ブログを愛読している方の姑様が100歳超えてお元気だった。最後迄耳も聞こえ、目も見えておられたらしい。なので、ヒソヒソ話なぞ全部通じていたんだとか。それで思い出した。
亡夫が元気だった頃、夫婦で正月だけハワイでのんびりする事にした。日頃日曜も祝日もない生活だったので、この年末年始の10日間は、電話もかからず、いい空気を吸って、半袖でそろそろと散歩して過ごしたものだ。
でも、吐血して、地元の病院へ入院。2人部屋だった。
奥はカーテンで仕切られているので、誰が入院しているか分からなかったけど、手前に夫が入り、すぐさま点滴開始。絶飲絶食、私はベッドの側に丸椅子を用意して貰って、そこで一日を過ごした。
奥は、どうやら心臓手術を終えたおじいさんだったようで、奥様が毎日お見舞いに来ておられた。
奥様もおじいさんも、どう見ても日本人、日系1世なのかな。ひそひそ話は英語だし、もう日本語忘れちゃったのかしらなんて思っていた。
夜は、丸椅子に座って、ベッドの足元に頭を置いて寝た。夫は口を真一文字に結んで「痛い」とか「苦しい」とか言わないんだけれど、内臓から出血しているので、時々血を吐いた。
翌朝看護師が来て、奥のおじいさんに「手術して2日たってるのよ、もう歩く練習しなさい!」と怒鳴りつけ(そう聞こえたもの)おじいさんはよろよろと杖を頼りに立ち上がり歩き始めた。
病院着の前は、はだけ、傷跡が丸見え(*_*)それは「アジのひらき」みたいな体の真ん前にファスナーみたいな縫い目のある、何とも無残な姿だった。
それでも一歩一歩歩いて行く。私と目が合うと「ぐっもーにん」と弱弱しい声で言って、にかっと笑う。歯が無い(;'∀')
私も、「ぐっもーにん、はうあーゆー」とか言ってたけど、日本人同士なのに、英語かよと思っていたけど、もう100歳近く(に見えた)奥様とも英語だし、日本語ワカリマセンなのかなと思って、世間話もたどたどしい英語でしていた。
友人が見舞いに来て「mioここは、入院費が高い、1日10万円以上するよ、早く退院しなさい」とアドバイスしてくれた。
けど「あ、ほんなら、退院しますわ」という訳には行かなくて、大勢の医師が入れ替わり立ち代わり挨拶に来るのである。
看護師は1時間毎に変わる。その度に夫と握手して名前を告げる。覚えられへんっちゅーに。
おじいさんは、又よろよろと帰ってきて、目の周りにクマを作って一睡もせずに丸椅子に座っている私を見て「あーゆーおーけー?」と聞くのである。
あなたの方が心配だわ~と思ったけど「さんきゅー、あいむおーけー」なんて言うてたっけ。
その後夫とひそひそ話。ひそひそ話してもカーテン越しには聞こえるだろうけど、何日本語分かりゃせんだろうから、と大阪弁でベラベラ喋っていたものだ。
「何かな、A君が、ここの入院費は高いから、成るべく早く退院した方がいいって言うとった」
「ほうか、そらボクも一刻も早く帰国したいねんけどな」
「でな、隣のじいさん、胸んとこ喉からヘソまでばっさり・・・やねん、こっわ~。なんかしょぼいじーさんやし、ここの入院費払えるんやろか」
「ううむ、せやなあ、カネ持ってるようには見えんしなあ」
「めっちゃ年寄りやったら割引があるとかな」
「案外生活保護みたいで、無料とかな」と夫と顔を見て笑っていた。
しかし、正月明けに入院しているので、このまま絶食絶飲で、ずっとここに居る訳にはいかないので、「退院します!」と言ったら、医者が目玉をひんむいて「のう!!」だって。
「でも、このままでは夫は餓死します。帰国して日本の病院に入院したいです」
「おうけい、分かった、なら一筆書いてもらおう」と出した紙には「搭乗中何があっても医師の責任は問わない」というフォームだった。
勿論ぐりぐりとサインして、「これで退院させろ」と言ったら「おうけい」だった。
すぐに荷物を纏めて退院する事にした。その直前に医師とオオゲンカしていたのを、隣の老夫婦は知っておられたと思う(だって、英語だもの)
精算を済ませて、じいさんに「ういーあーごーいんぐばっくとーじゃぱーん」と言ったら、
「そうか、退院できて良かったな。達者でな」と流ちょうな日本語で答えて下さった。え!?日本語分かるん?
うちら、めっちゃ失礼な事言うてたのん、みんな分かってたん!あわわわ・・・
で、骨と皮の爺さんと熱いハグをして機上の人となったのである、ああ、口は災いの元だわ。