だっくす天国+わくわくハンドメイド

ダックスが好き、編み物も好き

すっかりババアとなりにけり

2024年10月03日 | 日々の暮らし
昨日の皮膚科は、電車で行かなくちゃいけない場所にある。たった2駅だけど、駅迄徒歩10分位。

最近は、それさえも辛い。つまりが「動くのがイヤ」
でも皮膚科には行く。そこで、子供達の空いてる時間に、どちらかが乗せてくれるようになって、早数年。

でも昨日は、二人とも忙しく「大丈夫よ。電車で行くから♪」と大見栄を切って、家を出た。駅迄10分足らずだが、歩いていると次第に古傷が痛んで来るのが分かる。

かれこれ10年位前の大晦日に、近所のそば屋さんに「年越しそば」を頼んでいたので、受け取りにいった。
息子のワゴン車の後部座席に座っていたのだが、いつもは「よれよれのマット」しか敷いてないので、スムースに半回転して降車出来ていたのに、何故かマットが新品になっていて、それを知らずに、いつものように半回転して降りようとして、膝のじん帯がねじれに耐え切れずピキ・・・」となって以来「膝が歩く度に痛む」

その翌年だったか、私はイタリアに居た。最後の日、ガイドの方が寿司屋に連れて行って下さり「フェアウエルパーティ」をして下さったのだ。

明日は帰国なので、私も浮かれて、何杯飲んだか分からない。すぐ近所のairbnb迄千鳥足で帰った。

さて、イタリアの道路って、未だに「未舗装で、小石が埋まっていて、歩道は人一人あるけば一杯の細い道路」なのである。

そして「段差が分かりにくい」そこで、ふらついて、足首を思い切り直角に捻じ曲げてしまった。
部屋に戻ると、足首はみるみる内に「小粒のミカン」をくっつけたように腫れて、じんじんしてきた。

マイッタ。しかも海外では「バケツ」と言うものがなかった(私が安宿を借りたから?)仕方なく鍋に水と氷を入れて、一晩中冷やした。が、しかし痛いわ、腫れるわ、靴は入らないわで、途方に暮れた。

翌朝ピサの空港迄見送りに来て下さった彼女は、私の足を見てびっくりし、さて、どうしたものかと相談。

これが「骨折だと判明すると治る迄飛行機には乗れない。つまりが滞在を伸ばさねばならない。いやもう、1か月近く日本食ご無沙汰だし、これ以上滞在するとオカネは出て行くし、何としても帰りたかった。

と彼女に仕えると、カウンターに行って「実は彼女は今日の便に乗るのだが、昨晩ちょっと足をくじいて、歩けない。よって車いすを所望する」と直談判してくれたのである。

お陰で、飛行機に乗る→フランスのシャルルドゴール空港でトランジット→関空と、ずーっと車いすで、帰れたのだった。イミグレもスルー、トランジットだって、フレンチのイケメンが車いすを押して、裏口から?さっと機内へ。

それでもピサから関空迄トランジットも含めて、30時間はかかったカモ(直行便にすれば良かった)

そのまま整形外科に直行して、ギブスを巻いてもらったら、あんなにズキズキしていた足が「ふっと」軽くなった。

でも、そこから3か月松葉杖をレンタルして、過ごす事になる。

3か月後ギブスを外してレントゲンを撮ると「やや、やや(ここ太字)ずれてくっついているので、一度折って付け直そう」と言われたが、そーんな怖い事いいです!と断り現在に至る。

つまり、私の左足の関節は、あちこち悉くダメージを受けているのである。そして今年の心臓の手術、歩きたくなくなるのも道理ではないか(と理屈をこねた所で)

なので、駅までの10分とは、健常者のハーフマラソンと同等の距離なのだ。おまけに足裏は痛いし・・・

年を取るのは、辛い。思うように体が動かなくなる。
子育て真っ最中の頃は、自転車の前後に子供を乗せて、前かごに10kgの米を積んで保育園から帰ったものだ。

今は??鉛筆さえも持ちたくない😢

「人生100歳時代」と言うけれど、一体何歳迄思い通りに体が動いてくれるのだろうか?

あちこちが悪くなり、寝たきりになり、スパゲティ状態になって迄生きたくない。

昔「ソイレントグリーン」という映画を見た事がある。それは未来のLAで、食料はなくなり、年よりは、己の意思で、どこかに行く。

それは「自分で決意して行く安楽死への道」だった。自分のおじいさんの後をつけて行った若者がおじいさんを取り戻す?んだったっけ。でもおじいさんの決心は固かった。

私も寝たきりになって、シモの世話もしてもらうようになれば「安楽死」でいいけどな。

しかし、いざ「その日」が来たら、いくら今覚悟を決めても「アバレル」だろうか?

最近ずっとこんな事を考えている。