ドンヨリとした曇り空の朝
母の日のプレゼントです
臨済宗妙心寺派禅僧の「渇!」の館内に響き渡る読経がこの世との別れを告げていた。
両親よりも兄姉よりも長く暮らしてきた46年の歳月が コマ送りで甦る。
余命宣告をうけてひと月と少し過ぎた5月17日の夕刻静かに永久の眠りについた。
数えの98歳 大往生だった。
悲しみに浸る間もなく葬儀までの4日間が慌ただしく過ぎた。
思えば瀬戸の花嫁ならぬ海辺の町の花嫁として親族と共に海辺の町を船で一周する
風習に則った最後の嫁入りだった。
化粧が落ちると心配されるくらい泣いていた。
少なからず京都に未練を残し 時代遅れの生活が待っていた。
結婚式の一週間前まで山の中に居た。
春未だ浅い3月 腰まで雪の残る京都の最高峰皆子山の山頂で多くの友人が結婚を
祝ってくれた 雪焼けした顔での嫁入りであった。
気丈な義母に翻弄されながらよくぞ此所までやって来たものだと今は自分を褒めている。
何時か分かり合えるときが来ると信じて 口まで出かかった言葉をいつも飲み込んで来た。
60半ばで義父を見送った義母 老いと共に性格も円くなり私を頼ってきた。
会えば感謝を口にするようになって 飲み込んだ言葉は沢山有ったけれどもう吐き出すことは無い。
多くの子や孫やひ孫達に見送られて。
親と呼べる人が遠くへ逝ってしまった。
一見強そうな性格もヘナヘナとしてしまいます。
元々無い思考力が一段と無くなっています。
考えることが辛くなり今は夢遊病者のようです。
有り難うございました。
今は何をする気も起こらずボーッと日がな一日過ごしていまたが
台風に急かされて久し振りに菜園の草引きをしていました。
四国も梅雨入りとなり暫くジメジメとした日が続きますが
koolさんもお元気で 温かな気持ちになりました。
どうぞご自分のお身体にお気を配り下さいませ。
季節も変わります、お大事に。
m(_ _)m
お疲れさまご苦労さま
でした…。
合掌m(_ _)m
献杯🍺(-_-メ)
m(_ _)m
皆様に…
生かされてる
事を忘れず…
その時まで …
前向きにやれる様…
この道を…
ゆきませう…
と…
噛み締めております。
m(_ _)m
最、初期に
お話しした かも、…。
な 微妙な…記憶…
m(_ _)m
長いトンネルを…
抜けた地点に
毎度立ってる気分…
毎回 考えますが…
m(_ _)m
一家と言うのは大変です…。
が…
人生で一家が持てる方のが
スゴい事の様な気もします…。
命をかけて
守る…
死守りする
って…。
ろくでもない…
献杯飲酒コメントで
毎度すみません
合掌m(_ _)m反省m(_ _)m
潮が引くように皆の帰った後一人遺影に向かって話しております。
遺影に選んだとびきり笑顔の義母は私が選びました。
寂しくてお骨も拾えなかった私です。
近しい人との別れは尚更寂しいですね~
皆さんに慰めの言葉を頂き有り難く嬉しく思いました。有り難うございました。
お義母様・・・、遠くへ行かれたのですね・・・。
謹んで、お悔やみ申し上げます。
ガーベラ様のご心情、お疲れを思い、
記事をもう少し前から、読ませていただいているのに、なかなか、言葉にできずで、今になりました・・・。
お嫁入りと同時に、知らない土地での生活が始まり、お義母様とも、色々あった長い年月・・・。
その中で、老いと共に性格が丸くなって来られたお義母様は、会えば感謝の気持ちを口になさるように・・・。
ガーベラ様は、ご苦労も、多かったと感じますが、良い関係を築かれていたのだなと、感じました・・・。
お義母様は、お幸せでいらっしゃったと思います。
私も、近しい人では、6年前の今頃(4月ですが)、父を亡くしています。
当時の今頃の事を、ふと、最近、思い出したりしました・・・。
お寂しい最中でいらっしゃるとお察ししますが、同時に、やらなければならない書類上の事等もあり、お忙しいと存じます。
海の風景に、癒されながら、お身体お大事に、お過ごし下さい・・・。
ティーガーデン
けんすけさんはご病気を抱えながらも社会の不正と闘っている姿には頭が下がります。
私など思いはあっても年と共に諦めかけている部分があるのは否めません。
其れでは何も良くならないのですが・・。
不正に対して抗う姿勢は失いません有り難うございました。
ブログを読ませて頂きながら了見の狭い人達の多い事に悲しくなります。
でも折角授かった命ですお互い最期の時まで堂々と生きて行きましょう。
suisenさんとは同じ時代を生きてきました
私 へこたれない積もりですよ。
okoさんに失礼ながら母親を感じてしまいます。
温もりの有る言葉に何時もホッとさせて頂き私もそういう人になりたいと思いながらです。
今後とも宜しくお願い致します。
誰しもいつか行く道
僕の周りには早すぎる人たちが多すぎる
僕の母も大正14年生まれでした
周りから言われます長生きの家系だと
ガーベラさんの安泰を祈ります。
お疲れ様でした。
どうして15年って書いてしまったのでしょう。
私も最近いろいろありまして頼りなくなってきています。
私の義母は大正8年生まれで、とてもモダンな人でしたが、嫁と姑の関係は昭和というより大正時代のようなものでしたので苦労しました。が、最後は私を頼り切ってくれていましたから私もお世話のしがいがありましたし、心残りもありません。
ガーベラさんも、ゆっくりなさってくださいね。
長い間のご立派なお努めにお義母様もお喜びのことと存じます。
どうぞお身体をお大事になさってくださいませ。
私達が親にしてきた生活を息子達に求めるのはもう無理でしょうね。
核家族化が進み生活形態が変化してきていますので 其れで良いのでしょうね。
苦労を味わってきた分そうはさせたくないという思いがあります。
最後の世代でしょうね~
ご心配頂き有り難うございました。
最期はガンの苦しみが有るのだろうかと心配していましたが
穏やかに逝かれて此で良かったのだと安心しました。
野の花さんも岩手のお母様とお義母さまを抱えて嘸かし大変だろうとお察し致します。
お仕事も有るのですから・・。
無理をなさらないで下さいね。
有り難うございました。
長い嫁生活でしたね。
私達世代が最後かもしれませんね。口答えしないいい嫁と言われて半世紀、本当にお疲れさまでした。今にして思えば、何もかも血となり肉となっているのかもしれません。おまけに贅肉にもなっているかも。
どうぞお身体を大切になさってくださいね。
とうとうお義母さん天へ召されたのですね。
御愁傷様です。🙏
長い年月義母さんへのお勤めお疲れ様でした。大変気苦労があったのではと
お察しします。
やっと解放されましたね。
うらやましく感じました。😓
我が義母は昭和2年の早生まれなので
同じぐらいの歳です。
他人には出来ない親子の関わり方を垣間見ております。
お互いに忌憚なく話せることは実の親子で無ければ出来ないだろうと思うときがあり
義母と嫁では踏み込んではならない領域が有る様に感じておりました。
お母様がお元気で居られるのはピエリナさんに拠るところが大きいのでしょうね
若いときの1年と違って何年にも相当するでしょう どうぞお母様共々お元気でいらして下さいませ。
供養になるのですか~お料具膳をお供えして
彼方の様子を伺っておりますよ。
皆が帰って寂しくなりましたが又お盆には沢山でやって来るとか
賑やかになりますが身体が持ってくれるだろうかと一抹の不安があります。
カイさんもお母様と一緒に長い間生活されていたのですね お四国参り
皆さんへのご供養のお参りでも有ったのでしょうね。
ご心配頂きまして恐縮です有り難うございました。
まだまだ大変でしょうけれど、どうかお気を付けて。
お義母様、お幸せだったと思います。
ご立派にお見送りなさいましたね。
私の母は先日、満98歳になりました。
大正14年生まれです。
大勢の接待に疲れてしまいました。
悲しんで居られない喪主の妻としての立場がありましたから。
皆が帰った後には様々な手続きに役所に出掛けたりと暫くは掛りそうです。
其れからノンビリしようと思っております。
何時もお心遣い嬉しく思います有り難うございました。
お悔み申し上げます。
お葬儀も無事済まされて、安堵されていることと思います。
お義母様と46年ご一緒に暮らされたことを思い出されているとお聞きして、
自分の時のことが頭に浮かびました。
(私もハハと暮らしたのは46年でした)
お義母様の思い出話されることが、ご供養になるとも聞いたことがあります。
どうぞお疲れのでませんよう。。
お体にお気をつけください。
皆が遠くから2度3度駆けつけて義母を見舞ってくれました。
其れだけでも幸せな人だと思いました。
古式湯灌を小さな孫が見つめておりましたがどの様に心に残ったのか
崇高な思いになりました。
お母様と義母は同い年だったのですね~
余命の記事から投稿が無かったから、もしかして? と感じていました
長らく尽くして頂いた義母さまは幸せだったと思います
頑固や意地っ張りが歳と共に岩盤のようになり、認知症でも同様な傾向にある人に尽くす事は並大抵では果たせません
流した涙や、飲み込んだ試練はガーベラさんのお心の中で立派に勲章として息づかれる、、
慰めにもなりませんが、大切な儀式も果たされ、心身共にお疲れが出ないように願うばかりです
私の母も大正15年生まれでしたが、五年前92歳で亡くなりました。ガーベラさんはよく仕えられましたね。お義母さんも感謝されていられることでしょう。
大正15年生まれです はい大正15年と昭和元年が同じ年だったようで。
皆に盛大に見送られて幸せだったと思います。思い通りに生きた義母でした。
息子達にはソッと私は見送って欲しいと頼んでおります。
昭和元年生まれでしょうか?
ご家族の皆さまに見守られながらの旅立ちは お義母さま お幸せでしたね。
どうぞお疲れが出ませんよう くれぐれもご自愛ください。