警報級の大雨が上がると青い空がありました。
14日の月お月様が大きくて手が届きそうです。昨日は夏至でした。
2017年にも放送された番組を再度観ていた。
時をかけるテレビ ばっちゃん~「子どもたちが立ち直る居場所」
嘗ては原爆投下によって大きな被害を受けた場所広島市基町。
様々な事情で居場所を失った子供達の行き着く先それが保護司のばっちゃん家であった。
貧しさ故満足に食事も摂れず帰る家もない 「非行の根っこには空腹がある」というばっちゃんの信念から
空腹から非行に走る子供達のために自宅を開放し食事を提供している。
家族からの虐待から逃れ行き場を失った子供達 社会の歪みが子供達にのし掛かっていた。
子供が言う「どうしてこんな家に生まれてきたのか」と
ばっちゃんは「生まれてきた家庭は変えられない生き方は変えられる」と話す。
朝ドラ「虎と翼」を観ているが戦争で親を失った子供達はばっちゃんちを訪ねてくる子供達と同じ
住む家も食べる物も無く生きて行くために盗まざるを得なかった。犯罪に走ると社会の目は冷たく
ばっちゃん同様奔走する虎が重ねって見えた。
今日6月23日は奇しくも沖縄慰霊の日。
8月15日は知っていても慰霊の日を知る人は多くはない。
ガザの地上戦沖縄の地上戦で多くの命が失われた。親を失った子供達はどの様な人生を送ってきたのか
想像に難くない。非行に走った子供達は悪くない走らせた親に社会に問題があるのだろう。
異なると思う。共通するのは、子供の頃
に甘えられたかどうかだろう。
甘ったれじゃないです。甘えられる。
高等な表現だと、愛情を感じられたか
どうかだと思う。甘えられなかった
場合、自分にも人にも厳しい人間に
なるか、自分勝手のやった者勝ちの
どちらかになるのでしょう。
保護司のばっちゃん家という存在は、
甘えられる場所を与えていたのだと
感じます。
>豊かな貧しさ... への返信
確かに時代背景は違います。
観ていて思ったのですが
ばっちゃんちに来る子供の親たちも愛に飢えていたように感じました。
ばっちゃんの言う「生まれてきた家庭は変えられない生き方は変えられる」
と言った言葉 その言葉が荒んだ子供の心にも
お腹が満たされると自然と心を開くものだと感じたのです。
叶わぬ事ですが生まれ来る子供に等しく手を掛けていたのなら
ばっちゃんちは要らないと
同じ日 ドキュメント72時間「中国のがん専門病院 路地裏の貸し台所」を観たあとでした。
格差社会の底辺で蠢く人達 ヤリキレナイ想いを引きずって居ました。
「ばっちゃん~「子どもたちが立ち直る居場所」」↑ は残念ながら拝見する機会を失いました。
ガーベラ様の説明に学ぶことができました。ありがとうございました。
「沖縄の慰霊の日を知る人は多くはない。」↑2年ほど前の記録ですが
6月23日を沖縄慰霊の日と知らなかった人は全国民の75.5%と報道されました。
昨夜のNHKスペシャル「戦い・そして・死んでいく 沖縄戦」
発掘された米軍録音記録を録画して見ましたが残酷で目を覆いました。
残念!沖縄追悼式の録画を忘れました。
いつもお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
ガーベラ様の素晴らしいお言葉に感心しながら拝見させて頂いておりますが
日々多忙にコメントを残せませず失礼の程をお許しくださいませ。
その様な中にも自然の変化に目を奪われナガラの暮らしです。
画像で足らない分を文章で文章で足らない分を画像でと補い合っての稚拙なブログで
お恥ずかしい限りです。
今日孫達が我が家にやって来夕食を共に致しました。
TVに映る沖縄慰霊の日の式典を観ながら
「糸満市って知ってる?」
「知ってるよいま社会で習っている。」と
教えてくれました。
歴史を正しく学ぶことは平和の大切さを知る事ではないかと思いながら
小さかった子が沖縄をしかも糸満市を知っているとは嬉しい誤算でした。
私はどうしても観ることが出来ませんでした。
史実を知る事の大切さを孫に教えておきながら直視することが出来きないという不甲斐なさです。
記念式典の中で特に印象に残った宮古高校3年の仲間友佑さんの詩「これから」に熱いものを感じました。
お元気でご活躍されてますokoさんの行動力はどこから来るのかしらと思うのですが
お父様に会いたい気持がokoさんを突き上げているのかナアと。
時間が経ちましたがお元気な内に少しでもお父様の手掛かりが見つかりますようにと願っております。
有り難うございました。