菜園の隅に追いやられても健気に咲いてくれたネリネの花
スナップエンドウが芽を出してきましたソロソロ植え替えてやらねば・・
今日は朝から雨が降っている。
雨が雪に変わるまで山から里に紅葉が下りてくる。
昔その又又昔初めての雪山を前に心境を綴った拙文です。
予定によればあと20日もすれば背丈を超える程の雪に中に居るはずである。
炬燵に身体ごと入って 田舎で迎えるお正月に心ふらつかせそして初めて迎える
冬山合宿にも心を引かれ 意志薄弱な人間は大いに迷った。
秋 足もとに纏わり付いていた枯れ葉に自分自身を見ていた。腐った臓物を首から
ぶら下げてありったけの装身具を身に纏いここにも未だ生きている人間がいるんだと
返ってこない魂を叫び色あせた太陽に同情されている季節が寂しかった 其れも一月
という流れの間に何事も無かったかのように皆を眠らせ全てを覆い尽くしてしまう冬
は救いだった しかし今までの生活の中に冬の山は存在しなかったしグラビア写真で
みる美しく冷たいものでしか無かった。安易で中途半端な人間を寄せ付けない冬の山
が手の届かないところで存在する事が魅力でありそんな山に崇高な美しさを抱いてい
た。だから今もって本当に山に行くのだという緊迫感は無く果たしてこんな状態で冬
山に入っても良いのだろうかと考えてしまう。なのに日数は確実に消化され不安だけ
が取り残されていく。飽くまで寒ければ寒いほど厳しければ厳しいほど冬山然として
いると思っていたが現実に合宿が目の前にぶら下がってくると唯々静かであって欲し
いと相反する考えが交錯する。夏山合宿前に感じていた不安以上にもっと様々な条件
が派生するだろうしそれらの様々な条件の下で旨く対処出来るだろうかと心配である
寒さや重装備に長時間身体が耐えてくれるだろうかとか トイレは食事は睡眠はと次
から次へと不安材料は止まるところを知らない 気休めと分っていても山の本を読ん
だり人の話を聞いてみたりしてみるが やはり冬山一年生の悲しさ実感が伴わず言葉
で表わされない計算で割り切れない突如として起こる得たいの知れない何かに不安を
感じそんな時合宿からの逃避を考えている。そう多くは無いであろう冬山合宿の機会
をみのがす手は無いと思っていたはずなのに そんな思いが脳裏を過ぎる。しかし今
はもう考えまい冬山に行きたいのである。だから新米の最低条件として素早く用具の
着脱が出来るよう練習しなければいけないし今となっては気休めであっても良いし冬
山に対する勉強やトレーニングを残された期間続けて冬山を自分のものとして捉える
ことが出来るよう努力することがいまの私に課せられた事なのかも知れない。
合宿一ヶ月前頃になるとリュックに15キロ程の砂を背に比良山系の山の中を駆け回っていました
今は昔の懐かしい想い出です。
ニッカーボッカに山靴で京都の街中を闊歩する姿は自身の誇りでありプライドでもありました。
山にのめり込んでいった時でも有りました。
初めての冬山でしたので山を目の前にして嬉しくてしかたが無かったのを覚えております。
私も赤岳鉱泉側から入り行者小屋のテント場にテントを設営 硫黄岳は頂上間近で強風による撤退 翌1月1日赤岳に立つことが出来ました アイゼンの手応えを感じながら中岳と阿弥陀のコルを下りてきました懐かしい想い出です。
山を眺めながらの生活羨ましく思います。