雨が上げり空が澄んできた
挿し木の梅の花が咲いていた
後世に遺したい昭和歌謡ベスト3と題して様々な職種の識者が3曲選んでいた。
昭和の時代が長かっただけに戦前と戦後生まれでは遺したい歌に時代を感じ
雑誌は年齢の高い読者が多いせいか選んでいた歌は団塊世代の私には
どの歌も懐かしく一度や二度口ずさんだ事のある歌だった。
自身の応援歌だったり 一杯悩んでいたときに励まされたり
口ずさむときは決まって嬉しいときが多かった。
選曲に大いに迷い3曲が4曲に
「石狩挽歌」 北原ミレイ 「石狩挽歌」も「僕たちの失敗」も心が病んでいるとき癒やしてくれた歌。
「僕たちの失敗」 森田童子
「津軽のふるさと」 美空ひばり 朝ドラで主人公の父親が歌っていて手書で覚えた歌。
そして「案山子」 さだまさし 親がそうだったように親になって初めて親を思い子を思った。
その時代時代が投影されて何時聴いても新鮮に感じている。
ああ 「舟歌」も良かった。
生活に潤いを与えてくれた物の一つに歌があった気がしている。
私は 何だろう?ゆっくり考えてみます。
何年か前だったかしら?小樽の鰊御殿に行った時 石狩挽歌を(音痴だから歌えないけど💦)口ずさみました。
八代亜紀さん〜性格絶対良い人だなあと 画面から思ってました。
舟唄、、雨の慕情の振り付けなど 昨日は思い出してました。
何時頃からでしょうか、梅の花を意識するようになったのは…
この小さな挿し木に咲いた一輪の花に心が震えます、香りが漂って来る気がします。
在京の頃近くに梅が丘公園という小山があって、よく出かけました。
華美ではないけれど、薫り高く美しいですね~。
この地では梅と桜はほとんど同時に咲きます。
だからでしょうか、あまり梅の木を見かけません,淋しいです。
昭和の歌ですか~…祖父が歌謡曲を嫌っておりましたが、公民館からのお知らせ等がある時、まずは演歌が流されてから始まっていたので「妻も子も捨て長旅にでる~」みたいな曲を覚えてしまっていました(笑)
意味も分からず「いやになったら捨ててもいいの~」みたいな歌も覚えました。
時々ふいにその歌が口をつきます、悪くありません。
年頃になってからはやはり洋物を聴いていましたが、それでもやはり仰る通り「石狩挽歌」「舟歌」あたりでしょうか。
「時には母の無い子のように」なんていうのもよく聴いていました。
その時々の恋愛事情もあったような気がしています(笑)
「恋人よ~」なんて私の為の歌じゃないなんて思った日々も…しかしそれも ? 十年前ですから、歴史上の人になりそうです。
ヤレヤレ。
ましたが、阿久悠さんのインタビュー
記事を思い出します。色んな機会で
色々おっしゃってましたが、共通
しているのは以下の通り。
>歌を"詞"で思い出すのが普通なら、
>"詞"を思い出さないものは、
>共通の話題としてどうやるんだろうなと…
>いきなりメロディーを口ずさむんだろうか
今の流行歌は、この言葉の行き着いた
結果だと思う。
寒い地域で獲れる鰊ですから愛媛では全く見掛けません。
白河に住んでいた頃食べた鰊の煮付けが無性に食べたくなります。
お正月には身欠き鰊を甘辛く炊いて 久しく戴いておりません。
食が記憶を呼び覚ます様です。
私もその様な印象を 人柄って滲み出てきますよね~
寒い中咲いて呉れたんだねと話掛けて。
外に出したまま雪に当たり寒さに曝され
寒い冬をやり過ごしてくれました。
小さいだけに余計に愛おしく感じております。
私はどちらかと言いますとフォークにのめり込んだ方でしたから
4人でグループを組んで下手くそなギターを弾いた物でした。
今は指使いも覚束なくなりました。
京阪電車沿線の下宿屋は神田川の世界そのものでした。
内容は忘れましたが。
作詞家の立場としましたら詞が出来て其処に歌が付くのが自然なのかと。
TVを観ていて詞の出ていないときはメロディーを口ずさみます。
流行歌は一つの時代が終わると廃れてしまう気がしますが
其れでも遺って欲しい歌が沢山有りますが選択は今の若者に委ねられているのでしょう。
返答になっていないかも知れませんが。