![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/ab/43eba49f5eecb182016d325ba3f7de64.jpg)
美保神社
事代主命(えびす様)の総本宮で、母神である美穂津姫命と共にお祀りしてある古大社。
本殿は文化10年吉川広家が征韓戦捷の奉賽として造営したもので、
本殿は二殿連棟の特殊な形式で美保造りまたは比翼大社造りといって、国の有形文化財に指定されています。
「古事記」や「日本書記」に記された出雲の「国譲り神話」。その立役者となったのが、美保神社に祀られているコトシロヌシノカミです。
出雲の国を繁栄させたオオクニヌシノカミは、高天原の神々から国を譲るように迫られ、息子であるコトシロヌシノカミに返答を託しました。
争うことなく譲ることが、最善の道である。そう英断したコトシロヌシノカミは、手締めの起源とされる天逆手を打ち、
海に身を投じて新しい国造りの礎となりました。
美保関では、コトシロヌシノカミは海を守り繁栄をもたらす「えびす様」として親しまれています。(観光協会HPより)
美保神社前の漁港から
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鳥居
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お社
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/64/896665eda5a52fc042d9f66197644e79.jpg)
美保関灯台
明治31年(1898年)11月8日に初点灯された山陰最古の石造灯台。
灯台の高さは14m、水面からの高さは83mとなっており、美保湾を隔てて大山、
弓ヶ浜、また遠く隠岐の島を望むことができ、景観の眺望は雄大で素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/64/c687eea09e6e81cb761b9e819905b639.jpg)
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大山を
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海に向かって立つ鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/6f/59697e9e9c0e6358a049a951e74563d4.jpg)
この鳥居から見える小さな島が(この写真ではよくわかりませんが)
「沖の御前(おきのごぜん)島」という島で、「えびす様」が魚釣りをしていたと伝わる島だそうです
須佐神社
『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社は、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりにあります。
この地は日本神話の中でヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深く、
『出雲国風土記』の須佐郷の条には、スサノオがこの地に来て最後の開拓をし、
「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って
「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
全国にはスサノオゆかりの神社が数多くありますが、
ここは唯一、スサノオの御魂を祀る神社で、
祭神はスサノオのほか、妻である稲田比売命(イナタヒメノミコト)と、
その両親である足摩槌命(アシナズチノミコト)、手摩槌命(テナヅチノミコト)と、
オロチ退治に登場する四神が祀られています。ご利益は良縁・子孫繁栄・家内安全・諸障退散など。
『風土記』や『延喜式』でも確認できる古社であり、本殿は1861年(文久元年)建築の大社造りで県の文化財にも指定されています。
出雲の山あいに立つ小さな神社ですが、周囲を緑に囲まれた境内は神秘的な雰囲気が漂い、
日本一のパワースポットとしてメディアで紹介されるなど注目を集めています(出雲観光ガイドより)ということです。
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ご祈祷を受けていた人 これから受ける人が一人二人・・
参拝客もまばら 社務所にははじめ人がおらず・・・
降り注ぐスギ花粉に恐れをなし・・どうしたものか・・
かなりへんぴなところにどうしてここなの?っと素戔嗚尊さんにおうかがいしたかった!
七不思議には少しもきずかず先を急いでしまいました。
日御碕神社
島根半島の西端に位置する日御碕神社は、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される歴史ある神社です。
神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。
花崗岩の鳥居の奥に朱の楼門が鮮やかに映え、松林を背景に荘厳な雰囲気が漂います。
楼門をくぐり、右手の小高いところには「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。
出雲の国造りをしたスサノオが、根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と
柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。
その後スサノオの五世の孫、天葺根命(アメノフキネノミコト)がこの地にスサノオを奉斎したといわれています。
(出雲観光ガイドより)
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入って右手が 上の宮 御祭神 神の宮(かむのみや 神素戔嗚尊)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d5/c2c9eba712c1e2c036f8e3f4a4d72a12.jpg)
下の宮 日沈宮(天照大御神)
現在の本殿は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、当時の松江藩主であった京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させました。
壁や木の切り口は白色、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は、華やかな桃山時代の面影を残し、上下の二社どちらも拝殿と本殿が続く権現造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/54/6efe25ac111c195e4d7a6aebcabb5caa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/31/dbd9590fa13b2039b6685f819a40c358.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/67/8ec41635b8799306fa3b5ba5aa839fb6.jpg)
こんなに立ち並ぶ姿が車窓から垣間見え、凄いところと思いつつ参拝
しかし、人はまばら 出雲大社とは大違い
出雲大社
いわずもがな
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事代主命(えびす様)の総本宮で、母神である美穂津姫命と共にお祀りしてある古大社。
本殿は文化10年吉川広家が征韓戦捷の奉賽として造営したもので、
本殿は二殿連棟の特殊な形式で美保造りまたは比翼大社造りといって、国の有形文化財に指定されています。
「古事記」や「日本書記」に記された出雲の「国譲り神話」。その立役者となったのが、美保神社に祀られているコトシロヌシノカミです。
出雲の国を繁栄させたオオクニヌシノカミは、高天原の神々から国を譲るように迫られ、息子であるコトシロヌシノカミに返答を託しました。
争うことなく譲ることが、最善の道である。そう英断したコトシロヌシノカミは、手締めの起源とされる天逆手を打ち、
海に身を投じて新しい国造りの礎となりました。
美保関では、コトシロヌシノカミは海を守り繁栄をもたらす「えびす様」として親しまれています。(観光協会HPより)
美保神社前の漁港から
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鳥居
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お社
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美保関灯台
明治31年(1898年)11月8日に初点灯された山陰最古の石造灯台。
灯台の高さは14m、水面からの高さは83mとなっており、美保湾を隔てて大山、
弓ヶ浜、また遠く隠岐の島を望むことができ、景観の眺望は雄大で素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/64/c687eea09e6e81cb761b9e819905b639.jpg)
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大山を
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海に向かって立つ鳥居
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この鳥居から見える小さな島が(この写真ではよくわかりませんが)
「沖の御前(おきのごぜん)島」という島で、「えびす様」が魚釣りをしていたと伝わる島だそうです
須佐神社
『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社は、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりにあります。
この地は日本神話の中でヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深く、
『出雲国風土記』の須佐郷の条には、スサノオがこの地に来て最後の開拓をし、
「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って
「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
全国にはスサノオゆかりの神社が数多くありますが、
ここは唯一、スサノオの御魂を祀る神社で、
祭神はスサノオのほか、妻である稲田比売命(イナタヒメノミコト)と、
その両親である足摩槌命(アシナズチノミコト)、手摩槌命(テナヅチノミコト)と、
オロチ退治に登場する四神が祀られています。ご利益は良縁・子孫繁栄・家内安全・諸障退散など。
『風土記』や『延喜式』でも確認できる古社であり、本殿は1861年(文久元年)建築の大社造りで県の文化財にも指定されています。
出雲の山あいに立つ小さな神社ですが、周囲を緑に囲まれた境内は神秘的な雰囲気が漂い、
日本一のパワースポットとしてメディアで紹介されるなど注目を集めています(出雲観光ガイドより)ということです。
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ご祈祷を受けていた人 これから受ける人が一人二人・・
参拝客もまばら 社務所にははじめ人がおらず・・・
降り注ぐスギ花粉に恐れをなし・・どうしたものか・・
かなりへんぴなところにどうしてここなの?っと素戔嗚尊さんにおうかがいしたかった!
七不思議には少しもきずかず先を急いでしまいました。
日御碕神社
島根半島の西端に位置する日御碕神社は、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される歴史ある神社です。
神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。
花崗岩の鳥居の奥に朱の楼門が鮮やかに映え、松林を背景に荘厳な雰囲気が漂います。
楼門をくぐり、右手の小高いところには「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。
出雲の国造りをしたスサノオが、根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と
柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。
その後スサノオの五世の孫、天葺根命(アメノフキネノミコト)がこの地にスサノオを奉斎したといわれています。
(出雲観光ガイドより)
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入って右手が 上の宮 御祭神 神の宮(かむのみや 神素戔嗚尊)
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下の宮 日沈宮(天照大御神)
現在の本殿は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、当時の松江藩主であった京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させました。
壁や木の切り口は白色、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は、華やかな桃山時代の面影を残し、上下の二社どちらも拝殿と本殿が続く権現造りです。
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こんなに立ち並ぶ姿が車窓から垣間見え、凄いところと思いつつ参拝
しかし、人はまばら 出雲大社とは大違い
出雲大社
いわずもがな
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