初代 保科正之の土津神社を訪問したのでこちらは、行かなくてもなどど思っていたが
今回東山温泉に宿泊したこともあり、よってみる。
こんな足元の悪い日に訪問するモノではないな・・
落ち葉で滑りやすくなっている石段を
やっと二代保科正経 この方だけが仏式で埋葬
拝殿は土台のみ その奥の
そこからさらに石段を登り
よく登ったと振り返りながら
立ち並ぶ碑石(亀趺坐と呼ばれる石造神亀の上に笠付きの石碑を建てた形状で、国文学者によって作成された碑文:藩主の経歴や実績、生立が刻まれているもの)
表石(藩主の名称が刻まれたもの。)
表石の後ろに鎮石(石造8角形、この下に設けらた棺の中に藩主が埋葬されているとのこと。)
九代 松平容保の表石 随分あたらしく感じるのは
明治26年に没したおりには内藤新宿正受院に埋葬されていたものが、
大正6年にこの地に移されたかららしい
神式にて埋葬され麓には共通の拝殿が造営されているが・・・
昔を偲ぶには、こうした墓巡りになってしまうものか・・
今回東山温泉に宿泊したこともあり、よってみる。
こんな足元の悪い日に訪問するモノではないな・・
落ち葉で滑りやすくなっている石段を
やっと二代保科正経 この方だけが仏式で埋葬
拝殿は土台のみ その奥の
そこからさらに石段を登り
よく登ったと振り返りながら
立ち並ぶ碑石(亀趺坐と呼ばれる石造神亀の上に笠付きの石碑を建てた形状で、国文学者によって作成された碑文:藩主の経歴や実績、生立が刻まれているもの)
表石(藩主の名称が刻まれたもの。)
表石の後ろに鎮石(石造8角形、この下に設けらた棺の中に藩主が埋葬されているとのこと。)
九代 松平容保の表石 随分あたらしく感じるのは
明治26年に没したおりには内藤新宿正受院に埋葬されていたものが、
大正6年にこの地に移されたかららしい
神式にて埋葬され麓には共通の拝殿が造営されているが・・・
昔を偲ぶには、こうした墓巡りになってしまうものか・・