さて、あきらめたはいいけど、そのあとどうするか。
動かない頭で考える。33km以降は歩いては走り、走っては歩く。なかなか前に進まない。次の1kmが遠い。
結論は、「関門で切られるまでは走ろう」。
給水所を通るたび、スタッフさんに柄杓で水を頭からぶっかけてもらう。
制限時間のことを考えると足が止まるので、完走は意識から捨て、最後まで体力を絞り切ろうという考え方に変える。きっちり残量をゼロにしないと悔いが残る。
ただ、すでに自分の体にはほとんどエネルギーが残っていない。
あ。でも、エネルギーといえば、ウェストポーチに「塩熱飴」があった。この飴は新川通で一回口にして吐き出している。不味くはないが、しょっぱいしすっぱいし口は渇くし呼吸が苦しいしで、拒否反応を起こしていた。
36kmあたり、一か八かでもう一粒舐める。口に含んだ瞬間、案の定呼吸が苦しくなる。やっぱり粒が大きい。
なので、飴を噛み砕いた。
すると、新川通じゃあんなに嫌だったすっぱさとしょっぱさが心地良い。頭がすっきりして、今の自分に一番足りなかったものが補給されたような感じになる。
グッジョブ、塩熱飴!
粒が大きいなら噛み砕けばいいんだ。貧乏性の自分にはその発想がなかった。呼吸がスムーズ!
それから、不自然なくらいのペースアップに成功。
自分の体、どうしちゃったんだ。正直、気持ち悪い。
さっきの飴だけに変な薬物が入ってたら嫌だなと思いながらペースをあげる。でも、そのペースが自分ではコントロールできない。速く走れる。歩いたりもする。
心はとっくに折れているのに、体が降伏ではなく討死を望んでいる感じ。
なので、36kmから38kmくらいまでは自分がどれくらいのペースで何キロ地点を走っているのか全然わからなくなる。考え方は変えず、とにかく一歩でも前へ前へ。それやって関門で切られるんならしょうがないや。
混乱しながら、いよいよ北海道大学の構内へ。広い広い敷地内に40kmの関門がある。
…40km制限時間って正確には何分だっけ?
可能性はあるのか、ないのか。わからない。
※ こんなところも通った。
動かない頭で考える。33km以降は歩いては走り、走っては歩く。なかなか前に進まない。次の1kmが遠い。
結論は、「関門で切られるまでは走ろう」。
給水所を通るたび、スタッフさんに柄杓で水を頭からぶっかけてもらう。
制限時間のことを考えると足が止まるので、完走は意識から捨て、最後まで体力を絞り切ろうという考え方に変える。きっちり残量をゼロにしないと悔いが残る。
ただ、すでに自分の体にはほとんどエネルギーが残っていない。
あ。でも、エネルギーといえば、ウェストポーチに「塩熱飴」があった。この飴は新川通で一回口にして吐き出している。不味くはないが、しょっぱいしすっぱいし口は渇くし呼吸が苦しいしで、拒否反応を起こしていた。
36kmあたり、一か八かでもう一粒舐める。口に含んだ瞬間、案の定呼吸が苦しくなる。やっぱり粒が大きい。
なので、飴を噛み砕いた。
すると、新川通じゃあんなに嫌だったすっぱさとしょっぱさが心地良い。頭がすっきりして、今の自分に一番足りなかったものが補給されたような感じになる。
グッジョブ、塩熱飴!
粒が大きいなら噛み砕けばいいんだ。貧乏性の自分にはその発想がなかった。呼吸がスムーズ!
それから、不自然なくらいのペースアップに成功。
自分の体、どうしちゃったんだ。正直、気持ち悪い。
さっきの飴だけに変な薬物が入ってたら嫌だなと思いながらペースをあげる。でも、そのペースが自分ではコントロールできない。速く走れる。歩いたりもする。
心はとっくに折れているのに、体が降伏ではなく討死を望んでいる感じ。
なので、36kmから38kmくらいまでは自分がどれくらいのペースで何キロ地点を走っているのか全然わからなくなる。考え方は変えず、とにかく一歩でも前へ前へ。それやって関門で切られるんならしょうがないや。
混乱しながら、いよいよ北海道大学の構内へ。広い広い敷地内に40kmの関門がある。
…40km制限時間って正確には何分だっけ?
可能性はあるのか、ないのか。わからない。
※ こんなところも通った。
もしそうだったら大変失礼なコメントをしてしまったと、早とちりを後悔しています。もしそうならごめんなさい。
ランナー以前に遠藤さんが劇作家だということを失念しておりました。
最後まで読んでから改めてコメントさせていただきます。
かえってお気を使わせてしまってすみません。
走り終わって、書いている途中でわかることも色々あります。40kmの閉鎖時間はいまだによくわかりません。
よかったらまたコメントをいただけるとうれしいです。