実家近くの温泉宿の事

2021-09-29 21:02:42 | 日記

両親が健在の頃は、孫の顔見せを建前に毎年夏に恒例で帰省をしていた。その時は実家に泊まるのではなく、実家の近くにある温泉街に部屋を取る事にしていた。

最初は、海外に赴任して二年ほどして一時帰国で実家に寄ることになった時に、風呂の文化がない海外生活に倦んでいてどうしても温泉宿に泊りたかったので、泊っていけとの両親の誘いを断って旅館を予約したのがきっかけだった。実家にいる弟夫婦から地元でも評判の宿を推薦してもらったのだが、父と弟が準備してくれるバーベキューの予定にあわせて夕食をキャンセルする、といった注文にも丁寧に応えてもらえたので、帰国後もその旅館をひいきにして、帰省と温泉でのんびりするのとを年一回の旅行に抱き合わせにして毎年泊まるのが恒例となっていた。

ある年、関西で暮らす妹夫婦から、こちらにスケジュールをあわせて実家に帰省する、という連絡がきた。両親にとっては、初めて子供夫婦・孫全員が一同に会する席となる。例年の庭でのバーベキューも規模を拡大して準備してくれることになった。こちらもいつもどおりその宿に電話をして、一泊分の夕食をキャンセルしてほしいと説明をしたところ、返ってきた回答は意外なものだった。

「規則のため、夕食キャンセルでの予約は受け付けられない」

注文内容は去年とまったく同じである。去年はそうしてもらえたのだが?と聞いてみたが、電話口の女性は一旦確認する、と言ってどこかに行った後、同じ答えをもって帰ってきた。料金の値引きは要らないから素泊まりさせてもらえないか、とも聞いてみたが、値引きは関係なく「夕食を取らない客の予約は受けられない」との回答であった。少なくとも電話受付の適当なあしらいのようなものではなく宿としての見解であり、これ以上電話口で粘っても状況は変わらなそうであった。では結構ですと言って電話を切る事になった。
我が家がこのタイミングで帰省を断念することはあり得ない。実家にはすでに妹夫婦が子供全員を引っ提げ大挙して押しかけることが決まっていた。隣町のビジネスホテルもあるがヘタをすると四室取る事になる。まずはもう一軒電話してみようと大昔泊ったことのある宿に電話をかけてみたが、やはり原則として夕食を取らない客は受け付けないことになっているとの返事だった。しかし、そのフロントの長らしい男性は事情を話すと、両親の元に初めて孫全員が集まる事、そのためにバーベキューをするので夕食が不要となる事などの背景を理解してくれ、「そういう事でしたら、今回は特別に」と言って、一泊の素泊まりを含む予約を受けてくれることになった。感謝の言葉を述べながら、電話を切った。

何軒も電話を掛けまくって確認したわけではないが、昨年と同じオーダーが急に、しかも複数の宿で同じように通らなくなった状況から鑑みるに、どうも個々の宿の判断ではなさそうな感触があった。折しも海を隔てた大陸の経済発展とともに、インバウンド需要の伸びは止まる事を知らず、田舎の温泉宿にもその影響が行きわたり始めた時期にあった。繁忙期とはいえ決して安くない宿、しかも旅行代理店のパッケージなどではなく、細かくオーダーを聞いてもらえるだろうとの思いもあって宿に直接連絡した中でのそのような対応であったから、どちらかというと旅館組合など温泉街全体としての意思決定なのだろうと思えた。その意味では、最初の宿の応対も残念でこそあれ憎いというような感情は全く起こらなかった。

ただ、初めての孫全員集合のタイミングでこれまでの恒例行事が外的要因により途絶させられる状況を目の当たりにして一抹の不安がよぎる。家には以前から、歳祝いを派手にやると人生をやり切ってしまって亡くなってしまう、というジンクスがあった。この後も両親が末永く健在でいてくれれば、と祈らざるを得なかった。またそれとは別に我が家にとって、そろそろ帰省のあり方を見直すべきタイミングに来ているのかもしれない、とも感じた。最初小学生だった子供達もいよいよ受験の声を聞き始めている。かつての息抜き・気晴らし・新しい体験のためのイベントも、もはや同じ事を繰り返しても当初の目的を果たせない時期に至りつつあるといえた。最初の宿も、今回気を利かせて調整してくれた宿も、帰省の目的ではもはや二度と使うことはないんだろうな、とふと思った。

そして結果から言うと、その年の冬の始めに父が亡くなった。仕事が忙しくまた事務手続きに慣れない弟をサポートし、相続手続きを処理するために何度か実家に戻る事になったが、それ以降温泉街には近寄らず、駅前のビジネスホテルを使うようになった。もちろん一泊当たりの料金もあったし、気分的に寛げる状況ではなかったこともある。その過程で弟夫婦と母が交代に体調を崩すなどして環境は一変し、帰省のイベントは事実上無期限に見送りとなった。

そしてコロナ禍が始まる。

今、それらの温泉宿がどうなっているのかは分からないし、調べてもいない。当時宿としてはその上位の意思決定に従ったのだろうし、その時点ではそれが温泉街の将来に繋がると信じていたのだろうから、関係もないのに現状を眺めて悲惨であろう状況をつぶさに確認したり、ましてやその状況にマウントを取って悪態をつこうなどとは思わない。ただ、あの時の違和感とそれに続く将来への不安が、我が家のジンクスの他にもう一つ、嫌な形で現実化してしまったのではないだろうか、と思うと寂しく残念な気持ちにならざるを得ない。


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