縁起笑店

縁起の道も招き猫から
陶芸家猫社長のつれづれコラム
横浜の縁起村から伊豆の満腹村に移住

失われた2年間

2008-09-29 | Weblog
毎日楽しみに聞いていたTBSラジオのバツラジ、NHKのサラリーマンNEOも終わってしまった。
やっと涼しくなったってのに寂しくなった。
他に面白い番組はないかな、大分いた、政治にあった。中山国土交通大臣。
このおじさん恐ろしくズレータ、特に日教組に対しては親の敵、湘南で観光客の食べているマックを
急降下でねらい打ちするトンビみたいにしつこく、しぶとい。官僚ぽい。
猫社長が小学校5,6年の時の担任がものすごく最悪だったことを思い出した。その先生は
教室でいつもたばこをぱくぱく吸っていた。授業は教科書の棒読みで、切りのいいところまでくると
いきなり業者のテスト用紙を配った。いつも抜き打ちテストだ。先生はテストの時間が終了すると
テストを隣の子と交換させた。先生の読み上げる解答を聞いて生徒は隣の子のテスト用紙にマルバツを
付ける。だから赤鉛筆は必須アイテムだった。隣の子の赤丸の数を計算してテストの右端に点数を書いた。
その後テスト用紙をまた交換し、教壇脇の机の前にででーんと座っている先生のところに行列しながら
自分のもらった点数を告げるのである。先生は自分のノートに点数を記入するだけであった。
この担任はよく出張した。月に三日、長い時は一週間という時もあった。そんな時はいつも自習だった。
代わりの先生がくることはまったくなかった。ほったらかしにされた教室の子供達は小さな箱の中に
詰め込まれたパチンコ玉だった。箱を揺するたびにパチンコ玉の子供達はあっちこっちと転がりながら
ガラガラ音をたてた。その騒々しさに時々隣のクラスの担任がのぞきに来たけれどただただ無言のまま
ちょっと難しい顔をして出て行った。
断定はできないけど、この先生は日教組の幹部だったのだと思う。きっと地方の会合かなんかで出張が
多かったのだろう。その後温泉に浸かっていたかもしれない。
卒業後先生はほどなくして校長になったと聞いた。ただただびっくりした。
あのような授業でいいなら猫社長にだって校長になれる。
猫社長にとっても同級生にとっても5年6年は失われた2年間だった。今ならこんな先生がいたら
モンスターペアレントに吊し上げられ獄門さらし首だろう。まさかいないよねえ。いる?