幸せは どんなときも 私の中に・・・
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明るく澄んだ秋の光と、懐かしい潮の香りを含んだ優しい風に吹かれて、もうずーっとひとりで小樽マリーナの船たちを眺めています😌
記念館のなくなってしまった裕次郎さんのコンテッサも、天の雲海をクルージングしてるみたい😌
今日はお彼岸の中日で、中秋の名月。
札幌は、雲間から時々姿を見せてくれています。
よく見ると左側がちょっぴり欠けていて・・・本当の満月は明日だったことを思い出させてくれます。
お彼岸の最中に、我が家では夫と義母と・・・命日が2回。
昨日は夫の七回忌でした。
昼間は実家でいつものように一日忙しく過ごし、
疲れて帰ってきてしばらくしたら、父から「助けてくれぇ」と電話が入り、
何日かぶりで不安と混乱で興奮気味の母と長電話。
実家のことが落ち着いてから、
祭壇の前に夫の分も夕食を用意し、ようやく二人だけの晩餐!
といっても、鯖の味噌煮、ナスとピーマンの肉味噌炒め、ポテトサラダ、寿都から買ってきたナマだきしらすの佃煮、
な~んていう好きだった普段のおかずを並べただけですが~
ポテトサラダには、ソースたっぷりかけて(いつもそれで私はふくれていた(笑))
それから、(嫌がられそう~)と思いつつも、オカリナ聞かせちゃいました。
「sailing」「海の声」好きだった裕次郎の曲も。(歌よりましだな)って言ってたかも~。
あぁ夫のヨットの上で、吹いてみたかったなぁ・・・
その後、最後の同僚だった方達が、お参りに来て下さり、1年ぶりにたくさんおしゃべり。
夫が一番気にかけていた若く優秀な相方さんだった方からは、
難しい病と闘い入退院を繰り返しているのに、
今年も立派なお花が届きました。
6年経っても忘れずにいて下さる素敵な方達・・・
それぞれいろんな苦労を抱えているけれど、辛口の夫が心から信頼し大切に思っていた彼女達のことは、
きっと夫が見守り続けていると思います。
何年経っても悲しみは消えないけれど、
それでも生かされている私・・・。
楽しいことも大変なことも織り交ぜて、毎日予定はいっぱいです。
どんなことも生きていればこそ味わえる 貴重な経験。
昔も、そして今だって、幸せです。私。
今日から7年目・・・
(おまえの好きなように生きたらいい)って
天の海から、呆れながら見ていてね~
最期の職場であり夫の人生の中で、「最高の仲間」だった先生お二人が、
夫に会いに来て下さいました。
思い出話や近況を語り合い、
たくさん夫を褒めて下さり・・・
遺影の前で三人でご飯を食べて、賑やかに過ごしました。
気づくと5時間も
夫も喜んでいたと思います。
立派なお供物も
これ、ヨットのイメージ~
ありがとうございました・・・
今日は秋分の日・・・これから向かっていく季節への
不安もあるけれど、
でも、
夫にあきれられるくらい忙しく楽しく
いちにちいちにち大切に 過ごしましょう・・・
さて、今日は父が、「おはぎを買いに行きたい」と張り切って?いるので、
これから実家へ行き、父母とお買い物です。
お供えも大事だけれど、
「生きてる両親が美味しそうに食べる姿」をみられること・・、
これもとっても大事でありがたいことですね・・・
皆さまにも 好いいちにちでありますように!
お彼岸ですね。
そして今日は私には・・・夫の命日。
久しぶりに出した遺影に向かって
「行ってきまーす!」と声をかけて向かった先は
お墓で・・・
あれれん???なんだか可笑しい。
まぁいいや。
夫は家でもお墓でも、
どこにだって来てくれてるはずー。
いつものロウソク(おはぎやビールやチョコレートケーキ)
を見て笑ってるかな。
今日は明るく澄んだ秋晴れです。
お墓のどうだんツツジが色づき始めてました。
一緒に居た日々が遠ざかるほど、
好いところばかりを思い出すようになって、
なんだかずるい気がするなぁ。
ときどきは泣くけれど、
でも私は毎日をこよなく楽しんでる。
いつか再会したときには
たくさん感謝したり謝ったりするつもりだけれど、
でも、まだしたいことや
観たい風景はあるから、
まだまだまだまだ、
迎えには来ないでね・・・
昨日は夫の命日でした。4年経ちました。
お盆には義姉と長男とでお墓参りに行きましたが、今回は独りで。
独りだと、みんなで行くのとはまた違った気持ちになります。
いろんなことを思い出して 向かう車の中で泣いちゃったり、
声を出して夫に話しかけたりだって できちゃいます。
お墓の前で、長々心ゆくまでお参りできます。
近くにある、父の弟のお墓にもお参り。
他のお参りの年配の女性が、お墓に向かって「ただいまー」と言っていたのが
印象的でした
広大な敷地には、どんどんお墓が増え、それ以外の施設も増えています。
一番新しいのが「頭大仏」
世界的な建築家の安藤忠雄さんデザインです。
周囲には15万株ものラベンダーが丁寧に植えられています。
種から育てるのはとても難しく、苦労の末に育った苗たちだそうです。
お花は夏に既に咲き終わっていますが、茎と葉だけなのに、
周囲には、とってもすてきな香りが漂っていました。
ラベンダーの香り、大好きです
頭大仏の囲いの中から 後ろ姿を。
遠くから。
気の早い紅葉が色づいていました。
帰り道。大通公園も紅葉が始まっていました。
この先はオータムフェスタで、びっくりするような数のお店と、
美味しいものを求めて集う人たちでい~っぱい!
賑やかな人混みを横目で見ながら、
我が身の寂しさも ちょっぴりだけど味わいながら・・・
途中で、夜のためのワインとおつまみを買って、
近くに来ていた献血車で400ml全血の献血をして帰ってきました。
夜は遺影の前で独り・・・いえ4人で過ごしました。
甘い物好きの義父のために「おはぎ」も並べて・・・
チャイムの聞こえる部屋ではなかったので、
お客様が来たのにも全く気づかずに、
失礼してしまいましたが・・・
夫の仕事の素晴らしい相方さんだった若い方が、
立派なお供物を持って来て下さったのでした。
何年経っても忘れません!と言って下さること、本当にありがたく思います。
さて・・・4人分のワインを独りで飲んでしまった酔っ払いの私は・・・
その夜、ちょっぴり横になった後、立ち上がったとたんに、
味わったことのない体調の悪さに襲われました
頭がくらくらし、胸が悪くなり、全身が危険信号を発しました。
このまま独りで倒れて、救急車も呼べなくなってしまうのじゃないかという、恐怖感。
やっとの思いでベッドに横になると、落ち着いてきて、
献血のせいだと思い当たりました。
しばらくして血圧を測ってみたら、アチャー
血圧が低すぎでした。
飲みに行く前に献血したことは何度かあったのですが、
今までは平気でした。
飲み過ぎ?それとも、言いたくないけれど「年のせい」?
一晩眠ったら、回復したので、今日は予定通り実家でしっかり働いてくることが出来ました。
良かったぁ~
それにしても・・・
あの、体に変調を感じたときの、
どうしようもない恐怖感・・・
あぁ・・・あの日、夫はこんな恐怖を感じながら独り逝ってしまったのだろうか・・・と、
あらためて、胸が詰まりました・・・
あぁ、でももう過ぎたこと。彼はもう、大丈夫なのです。
すべてのことから 解放され 本来の自由な魂として存在し続けています。
さぁ、私も我が身をもう少し大切にしながら、
この世を一生懸命愉しみましょう・・・
夫のいない家での、5年目の生活の始まりです。
今日は亡き夫の誕生日。生きていたら61歳です。
「死んだ子の年を数えるな」ということわざがありますが・・・
夫の場合はどうなのでしょうね~
昨年は遺影を前に二人分の夕食を並べて飲みましたが、
今夜は一人で居間で・・・やっぱり飲みました
夫の好きだったビールや焼酎じゃなく、私の好きな白ワインですけれど。
ちょっぴり酔っ払って、ちょっぴり思い出に浸って、ちょっぴり泣き、
たくさんある写真をちょっとだけ眺めました。
夫は4年前まで、真冬でも休日はたいていマリーナへ行き、
こんなふうに冬囲いした愛艇の中で飲んでいました。
この冬囲いも、自分で設計して苦心しながら作っていましたっけ。
棚やテーブルや細々したものは、全部自分で作り、
メンテナンスもできる限り自分でやっていました。
その船は今、夫の従兄のお知り合いの方が、大切に乗ってくださっています。
夫はたぶん今も、天の海でクルージングを楽しんでいることでしょう・・・
夫が天の海へ旅立った日から、まる3年が過ぎました。
今日は午前中に、お墓のある滝野まで一人で行ってきました。
3年前の今日、
夫はいつものようにマリーナの愛艇の中で過ごしていました。
たぶん、休み前から作ってみると楽しみにしていた「茄子の肉味噌炒め」を作り、
大好きなビールや焼酎を飲み・・・その夜・・・
たぶんそれほど苦しむことなく(と思いたい)、
心臓の発作で、突然、旅立ってしまったのでした。
3年前のことを思い出しながら、
今日は、マリーナとは反対の方向の霊園まで車を走らせ・・・
海のように広がる青さに、ふわふわの雲の浮かぶ きれいな空を見上げながら、
お墓をきれいに拭き、お参りしてきました。
哀しいけれど穏やかな気持ちで。
夕方は思いがけず、
仕事の最後のパートナーだった若い方がお線香をあげに来て下さり、
しばし語らいました。
心の真っすぐなその若い方は、
毎年忘れずに来てくださって・・・それどころか毎日忘れることはないとおっしゃってくださって、
本当にありがたく思いました。
もう一人・・・何度目かの入院中で、過酷な病と闘っていらっしゃる若い元同僚の方からは、
とても立派なお花が届きました。
彼女の仕事ぶりには、夫はいつも感心していました。
実は利己的な人間には、かなり辛口な夫でしたが、
彼女を含む最後の仕事仲間の方たちのことは、一度もけなしたことがありませんでした。
頭が下がる・・・、とその一生懸命な仕事ぶりをいつも褒めていました。
そして、その方が入院してからは、
息子たちと同年代の彼女の、難しい病のこと、そのつらい心境や状況・・・を思って、ひどく心を痛めていたのでした。
その方が、
不自由な入院生活の中でも、命日にと、たぶんインターネットでお花をおくって下さったのでしょう・・・。
主人は、向こうの世界から送れる自分のパワーの足りなさを申し訳なく思いながら、
彼女や、すばらしく頑張り屋の 元同僚の方たちを見守り続けている気がします。
きっときっと彼女は・・・
病を乗り越えて、誰にも経験できないすごいものを
掴んでくれると信じたい・・・
・・・私のこと・・・は・・・
きっとこんなに能天気に思うまま暮らしていることに呆れながらも、
「おれがおまえをしっかり育ててやったんだから、もうあとは好きなようにすればいい」
と言ってくれていると、感謝と共に とっても都合よく思っています
今夜はビールやおつまみを、
いつも主人が座っていた席に並べ、
いっこうに減らないグラスや料理を眺めながら・・・、
しみじみと過ごしました。
(そのうち・・・何十年後かには、行きますから、
それまではこっちで、まだまだ能天気に思うままに、楽しませてくださいね。
生きてる日々を・・・精いっぱい・・・。)
生きていれば、夫は今日で60歳。還暦です。
今年3月には定年退職し、
愛艇エルミタージュで南へ旅する予定でしたが、
もっと遠い天の海へ逝ってしまいました。
今日は、祭壇のある部屋に、
夫の好きだったものを作って運び、
そこで一緒に食べました・・・
30年前の結婚式のしおりのインタビューに、
「手作りの生寿司を毎日食べたい」なんて答えてたなぁと思い出して、
奮発したマツカワガレイの握り寿司を2個ずつ作りました。
「好きなのにあまり作ってくれない」とよく言っていたマヨネーズたっぷりのポテトサラダも、
急に思い出して 作りました。味付け関係なくソースをたくさんかけるので、
わたしはいつもふくれていましたが、
今日はかけました。
一口だけど好きだったカツも、毎年楽しんでいたホッケのいずしやニシン漬けも並べて・・・
ipadで、主人が好きだった裕次郎さんの曲をかけながら乾杯・・・
『我が人生に悔いなし』という曲です。
カラオケをしない人でしたが、唯一 歌ったと言っていた曲です。
「鏡に映る わが影に、 グラスを上げて 乾杯を
たった一つの星を頼りに はるばる遠くへ来たもんだ
長かろうと短かろうと わが人生に悔いはない」
歌詞通り、悔いがないといいな・・・と思いながら、
何回もリピート・・・
その後、他にも何かipadで裕次郎さんの曲をかけようと、
右側に出てくるリストを移動させていたら
スクロールしそびれて、勝手になにか曲が始まってしまいました。
そして・・・
び~っくり。
それは・・・裕次郎さんの曲ではなく、加山雄三さんの、
『海・その愛』でした。
その曲は、葬儀会場で流した2曲のうちの1曲だったのです
主人が船でよく聞いていた、おおらかな、海の男の歌です。
ちょっぴり酔っぱらいながら、
遺影に向かって「ここに いるの~?」とか言っていた後だったので、
ほんとにびっくり。
間違いなく主人のしわざ・・・
「俺は来てるぞ」って言ってる・・・
葬儀で流したもう1曲は、
ロッド・スチュアートの『Sailing』でした。
葬儀前日にCDに落としながら初めて訳詞を見て、
その時も衝撃的でドキドキしました。
I am sailing・・・
ただの「航海を楽しんでいる人の歌」だと思っていたのに、
その歌詞は、なんと、
「今まさに死んでゆこうとする」男性の歌だったのです。
嵐の海を越えて、自由になるために神のもとへ旅立つ というような歌詞でした。
あの時も、私が選んだ曲だけれど実は、夫が選ばせた、と感じました。
今日は、還暦の夕食を一緒にした私に
「おまえは反省してるんだな?ん?」「俺に感謝してるんだな?」
と にんまりしている気がしました。
私は反省が苦手で、
どんな時も、「これ以上はどうしようもなかった」と、
そんなに努力していないのに、ちゃっかり思ってしまう性格です。
というより、くよくよ考えるタイプだった私が、
夫のおかげで 割り切れるようになった、と言えるかもしれません。
夫に申し訳なかったなぁと思うことは、た~くさんあるのですけれど、
反省や航海・・・いや後悔は、やっぱりせず・・・
ひたすら「感謝」だけしておきます
三回忌も、還暦も済んだので、
葬儀用の遺影は、
明日、大切に仕舞うことに・・・やっと決意しました・・・
「忘れるわけじゃあ、ないからね・・・」
「ありがとう・・・」
33年前・・・結婚前の夫は、
ヨットの自作に取り掛かりました。
熊澤研究所のK16という、全長16フィートの船の設計図を取り寄せて、
制作が始まりました。
職場や、借りたご近所の土地や、自宅前で・・・
不器用なんだ、という言葉と裏腹なその作業・・・
丸二年かけて、
情熱と知識と技術と根気・・・たくさんのエネルギーを注ぎ
夢を形にしていきました・・・
私は毎日毎日毎日
ヨットの夢を聞かされ、
最後はやすりがけを手伝い・・・
当時の教え子さん達5人が、
運ぶのを手伝ってくれて・・・
ついに・・・
1983年夏、進水!
次の年、結婚し、
このヨットで二人で積丹半島を越える旅をしたのでした。
夫のおかげで、またとない経験をさせてもらいました。
K16の設計者の熊澤時寛さんも、3年前に亡くなられたようです。
向こうで彼が、熊澤さんにお会いできてるといいなぁ・・・