幸せは どんなときも 私の中に・・・
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父が体を離れてから、3週間以上が経ちました。
その3日前、お医者様に
「僕はもう91年も生きてきて、何の悔いもないです。今は女房のそばにいなくてはならないので、何としても退院します。」
と言った父。
母や長男の陽性の心配が嘘のように晴れて、
91歳の誕生日の次の日、
言葉通りに退院を叶えたのでした。
それからの2日間は、
表面的にはいろいろありましたが、
何か静謐で、穏やかな幸福感さえ漂う時間でした。
「あぁ、家はいいなぁ。平和だなぁ」としみじみ喜び、
青空を眺め、
いつも親しんでいる母の歌を聴いたり時々一緒に口づさんだり。。。
誕生日のお祝いに、ジュースで乾杯したり
急遽作ったちらし寿司を一緒に食べたり、
「入院していた時は会えなくて寂しかった。帰ってきてまた一緒にいることができてほんとに嬉しい」
と語ったり。。。
そして3日目になったばかりの6月20日未明、
母の隣で不規則な息をしながらも 眠ったまま、
苦しむ様子もなく、
私の目の前で、
父はごく自然に 息を止めたのでした。
私の長男と次男が泊まり込んでくれていました。
看護師の長男が、父が体から離れたことを見届けてくれて、
母と二人で父の手を握って最期の歌を歌いました。
悲しいけれど暖かい時間でした。
詳しいことは控えますが、
父はかけがえのない体験を、たくさんさせてくれました。
中でも大きかったことは、、
その2日間と葬儀や家の片付けの間中、
普段はそっけない二人の息子たちが、どれだけ頼もしく、心優しく、落ち着きある人になっていたかを、
驚きとともに感じさせられたこと。
そんな機会をくれたことだけでも、父に感謝の気持ちでいっぱいになります。
親戚のありがたさも、
弟家族の存在の大きさも、
ひしひしと感じさせられました。
父の希望通り、家族だけの小さな葬儀でしたけれど、
その二日間もなんだか暖かい時間でした。
今は母と二人で実家で暮らしています。
認知症が進んで父の死を忘れている母ですが、
やはり体調や精神状態はどこか いつもと違っています。
朝 目が覚めたとたんに、「私は生きている意味があるのかな?」なんて言うことがありドキリとさせられます。
見えない、記憶もすぐに消えてしまう、
そんな母が、
不自由をあまり感じずに暮らせるようにしながら、
私自身も自分の生きている意味を、
生きている幸せを、
見失わないように、
過ごしてゆきたいと思っています。
母はデイサービスに週4日通うようになりました。
時々ショートステイを利用することで、
私自身もリフレッシュできる時間を、ちゃっかり持てるようにしていきます。
父が、急いで母を連れて行ってしまわないように、
安心して見てもらえるように、、、。
父が毎日餌をやっていた鳥たちが
今日も庭に来ています。
ご近所には迷惑かけていそうだけれど、
私は父がしていたように、今日もそっと餌を置いてしまいました。
庭のブドウが、今年も青い実を日に日に大きくしています。
もう一緒にそんなことを父と喜べないんだなぁと思いながら、
しんみりしてしまう、
そんなこの頃です。
前回の投稿やその後の空白で 心配くださった皆様
すみませんでした。
ありがとうございました🙏
バタバタしているうちに、もう6月半ばなんですねぇ。。。😲
お陰さまで母は、謎の不調から謎の復活を果たし、以前に近い生活、つまりデイサービスに週3回(半日2日、全日1日)利用する生活に戻っていました。
ただ今日は💦利用者さんのお一人に感染者がでたため、スタッフさんに広がっていないことを祈りつつ、自主休所です。
最近は実家と家を1日2.3往復。
母の起床に合わせて実家へ行き、着替え、洗顔、歯磨き、などを手伝い、汚れ物を洗濯し、朝食介助、食器洗い、数日分の夕食用おかず作り。
とここまで書いているのは、不調な父の病院に母も連れて来ている待合室。
診察、検査は終わり、先ほど結果を聞きました。
父は心不全で心臓に水がたまっているとのこと。
ここの内科医のお話では、大きな病院へ入院して水を抜く治療をした方がよいというご意見でした。
今紹介状を書いていただいています。
デイサービスお休みの、認知症で目が見えない母。。
むくみが出て脈拍は34くらいしかない父。
これからどうなるのか。。私と父母の日々。。。。。😅
まぁ、なるようにしかならない、ですね。
パソコンがご臨終らしきまま、買いにも行けず、スマホからです。肩が凝る🥺でも記録しときたいので。
14日土曜日の整形外科受診結果
「骨は、腰も股関節も骨折などは全くみられない。
ただカルシウムが飛び出している欠片が写っているので、炎症が起きていて痛いのだろう。あと軟骨は少しだけすり減っている。」
カルシウムですか?!
と聞き直したが、そうです、とのこと。
痛み止め、湿布、腰ベルトを出しますとのこと。
運動制限はなし!!だからデイサービスにも行けると嬉しかった。私がね😆母は何年も行っていても、毎回初めての気分、の記憶です💦
行きと同じ介護タクシーで私も少し手伝い3人で階段を車椅子ごと上げて無事4時間後帰宅💦
(車椅子ごと、電動で上がり下がりするワゴン?型。お二人で来て、13もあり、しかも踊り場がなくカーブが三角の階段を車椅子ごと上げ下ろししてくださって。往復料金12.700円)
翌日15日(日)は、、、(あ~もう記憶が~😱)
痛み止のおかげか、少し元気が出て、歩行器でゆっくり移動でき、食事は何度も居眠りしながらも食べ。。あ、でも、昼食を始めるときに、ムカつきがあり、洗面器用意。少し食べたら嘔吐💦
そのあと、スッキリしたらしく食事再開しその後は全く吐き気なし。なんだろう?
(数週間前にもスーパーの帰りがけに疲れた、、と言って倒れ込み嘔吐したことがあって、お店のスタッフさん、何人もにお手伝いいただいたことがあった。そのときも、スッキリして、あとは普通に過ごしたのだった。)
午後は久しぶりに母に歌ってもらい、母は楽しそう。音楽投稿サイトにも投稿。すぐに聞いてくださったりコラボしてくださった方々に感謝😂
夜は洗面所までゆるゆる移動し、椅子に座って歯磨きや洗顔ができ、
20時前に就寝。私は帰宅🏠🚗💨
昼間ケアマネさんと話し、今まで午後からだった利用を朝からにして入浴や昼食もデイでと言ってくれたので、私は週三回は昼間は解放される可能性。
そして昨日16日(月)。
朝、翌日からデイサービスに行くために階段を降りられるか、ちょっと試してみようと考えながら張り切って実家に向かう。
が、、夢破れた~😖⤵️
母はやはりだるそうで、起きるよ、と自分で言いながらも、ベッドから起き上がる気力なし。
それでもなんとか起き上がらせ、リハパンの下着やパジャマのぬれたのを脱がせて体を拭き、服に着替えて朝食の食卓に。
洗濯機回しながら、母の隣であれこれ食事介助。
食欲はありきれいに食べ、お薬も飲む。(血圧、糖尿、痛み止め、認知症など10粒💦飲み込むのは上手)
元気出るかと期待したら、、全然でまたベッドへ。なんだか体が熱いので測ったら、、なんと、37.7度だった😱
その後しばらくしたら36.5度に。何度測っても。
しかも風邪症状は全くなし。熱のみ。
そのまま熱がなければご利用できますとデイの看護師さんに言っていただき安心していたが、、
お昼も食べず眠る母。。そして、夕方には、やはり38度近くが続く。
デイサービスあきらめる。
ケアマネさんのすすめで、主治医のいる病院に相談。でも看護師さんは、予想通りの答え。
今はコロナ相談センターに電話して検査してくださいとしか言えないですと。そうだよね。。
千歳の優しい叔母たち(父の妹)が電話をくれて父母の様子を聞いてくれた💓
千葉の弟にはラインで様子を伝えた。
息子から痛み止には解熱剤が入っているから、熱が下がるよとラインで言われて、気づく。そうか、一時下がったのはそのせいか。。。
夕食はベッドに座って食べた。美味しい~と、嬉しそうによく食べる。痛み止めを飲み、1時間後、さほど支えなしにトイレや洗面所に移動でき、座って洗顔歯磨き。すっきりしたねって言いながらベッドに戻り、母と私の一日が終わった。
父は何度も母のベッドサイドに行き、私が席をはずしてる時に、
「○○子が元気でいてくれないと、オレはさみしくて元気がでないんだよ。。がんばってくれな。。」
と悲しそうにささやいていた😢
さぁ、今日も悔いなくがんばろう‼️
数日前の朝、植えた藍の苗。
種から育てたから、なんとか元気に育ってねと思いながら一本一本。2日に分けて100本くらい植えたけれど、まだ50本くらい家の中の鉢のまま~💦
あい よ 育て~❣️
水撒きでできた虹と石楠花と松💓
皆様にも、好い一日でありますように~‼️
母と整形外科外来の待ち合い室にいます。
先週までは、病院の待ち合いでも母とおしゃべりしたりイヤホンで音楽を聴かせたりしていましたが、今日は母はずっと、うとうと眠っています。
認知症の進行で、全てがスローモーションになっていた母ですが、おとついから急激に不調になりました。
自力で立ち上がったり歩いたりができなくなってしまったのです。原因はわかりませんでした。。
ただ立てない、歩けないと本人。
何かにつかまり、ズボンの両側を後ろからヨイショと私が持ち上げると、なんとか立ち上がり、
そのまま支えながらズリズリと少~しずつ移動できました。
寝室から居間に行くのも、トイレに行くのも大騒動なので、おとつい主治医のいる病院に私一人で連れていったときには、筆舌に尽くしがたい重労働でした。だってね、母は私よりず~っと体重があるのです😭それなのに、実家は一階が車庫や物置で、出入りには13もの階段を昇り降りしなくてはならないのです。今思うとよくできたものだと。。それでも火事場のバカ力😆なんとか行ってきました。
そのときはMRI検査をし、脳の血管には全く問題がなく、脳の萎縮はかなり進んでいることはわかりました。認知症の薬はいただいてきました。気休めな感じですが。
昨日は、歩行器や介護ベットをレンタルすることになり、ケアマネさんや福祉用具店の方も来てくださり、様子をみてくださいました。
そこで、あちこち痛い場所を探してみたら、右の腰?お尻?の下のほうを圧すと 痛いことが判明。ぶつけたり転んだりはしていないと思うのですが。。それで、ケアマネさんから、骨折などがないかを整形外科で調べたほうがよいというアドバイスがあり、今ここにいます。
でも今日の外出は、おとついとは大違い‼️
ケアマネさんのおかげです。
介護タクシーをお願いし、母の体重を伝えたので二人で来てくださり、デイサービスのヘルパーさんも来てくださり、3人で母を車イスに乗せて階段を降ろしてくださったのです‼️カーブのある13階段なのに。ありがたや~😭もちろん料金はかかりますけれど、やはりありがたい限り。
そんなで、今、すごい人数がいる整形外科外来待ち合い室で、長々待っているわけでした。
腰の痛みの原因や状態がわかれば、デイサービスもまた利用できるようになり、私も父もとても助かります。
入院手術なんかになったら2度と会えなくなるかもしれないご時世。。
もう少し、父が母と一緒に暮らせますようにと、願うばかりです。
私の自分時間も少しはとれますように。。😁💦
これ、父のジャージですが。。
あ~あ(^_^;)実家の洗濯で・・・やってしまいました。
ティッシュがポケットに入っていたんだろうって?違うんです。
もっと大きなものを入れたまま洗ってしまった・・・
だから洗濯したものすべてがこんな状態。
高齢の両親はいろいろ身体的に、思うようにならないことが出てきて、
二人とも必要に迫られて、リハビリパンツをはいています。
先日、母のお風呂介助のときに、脱いだ物を全部、脱衣篭に入れたあと、片付け忘れてしまい、
翌日まとめて洗濯機にどさっと・・・入れてしまったのでした。(大雑把な性格バレバレ)
洗濯が終わって取り出して・・・・ガ~ン
白状すると、2回目です・・・・・・・・
この白いのは、紙ではなく、水分を吸収したジェル状のつぶつぶ。
前回はベランダから、バサバサふるい落としたんですが、
よく考えるとこのジェル状のつぶは、マイクロプラスチックになってしまうのでは????
それは大変まずい
きれいにとって、ゴミとして出すしかない。
以前ならそんなとき、ガムテープでぺたぺた取るところだけれど、
粘着カーペットクリーナーが今はある!!
これでなんとか一件落着!きれいに取ることができたのでした。
ありがたやありがたや・・・
2度も同じ失敗をしちゃうなんて、情けない。
え・・・2度あることは3度あるですって?
うわぁ~ん。可能性はおおありです。。。
大丈夫、粘着クリーナーがある!!
ついでに書くと、リハパンの本体はしっかりしていて、ホンの少し破れたところから、
吸収体のツブツブジェルが出てきたようです。
本体は当然その任務通りに洗濯機の中で水分を十二分に吸い込んで、
ずっしりとした重さになって、君臨しておりましたたいしたもんです
感心。
さて、気分直しに、お花でもどうぞ。
前回も載せた実家の牡丹です。
ますますみごとに大輪の花を咲かせています。
前回、ライラックの花がエディブルフラワー、つまり食べられる花だということを書きましたが、
なんと!この大輪の牡丹も芍薬も、食べられるのだそうです。
食べたことあります????
因みに、シャクヤクと名前は似てるけど、シャクナゲは食べちゃだめ。微毒あり。
で・・・
で?・・・笑
こうなりました。すべて自前のサラダです。
(パスタは、我が家の暴発蕗のアンチョビガーリックオイル炒めです。)
たしかに牡丹は、しゃきっとした歯ごたえでレタスみたい。
ほんのり甘みと苦味もあり、食べられます。
でもね・・・色が鮮やかすぎて・・・
なんだか「私は食べ物じゃないわ」って言われているような気がするのでした。
やっぱり牡丹は美しさを愛でるだけがいいかも。
あ、でもこれはなかなかイケましたアイスクリームのトッピング。
あとはお風呂に浮かべました。
松ぼっくりオイルは、そろそろかなぁ~
では皆様、今夜もよい眠りを・・・!
お休みなさい。。。
また更新がずいぶん開いてしまいました。
フォローさせていただいている方のところにも、ほとんど伺えず。
緊急事態宣言に伴い、デイサービスがお休みの母は、毎日実家にいます。
母の認知症状は進行の一途をたどっており、私は毎日実家へ行きます。
でも、来月90歳になる父がいろんな意味で頑張ってくれているので、
私はするべきことをしたら、家に帰ってきて自分の時間もたっぷり取っています。
母の状況が分かるエピソードその①
父の用事でほんの10分、母に留守番してもらって父と車で出かけました。
母も連れて行こうとしましたが、待ってるよ、と、ずっと座っているので仕方なく。
そして帰ってきたら、父や私がいるときはソファから動かないことが多い母が台所に立っていました。
「あら?お母さんどうしたの?」と声を掛けると、
「何って、晩ごはんの支度だよ」と。
見ると、コンロの上にフライパン、さらにその中に、水を入れたお鍋があって、火がついていました。
「ご飯の支度は、さっき二人でしたからもうしなくて大丈夫だよ」と言うと、
「あらそうだった?忘れてたわ」と。
ほんとは夕食の支度を私がしているとき、一緒にやろうと誘っても、
母は面倒がって「やって~」といって座ったままだったのでしたが。
その後も、ちょっと目を離した隙に、今度は空っぽのお鍋を乗せてコンロに火をつけていました
時々急に、家事をしなくちゃという主婦の本能スイッチ?が入るのでしょうね。
元栓を常に締めて、母から目を離さないように、父は気をつけています。
その②
今日はお昼に焼きそばを作って食べました。
最近は、野菜たっぷりと麺1袋だけで作り3人で分けると、ちょうどいいのでした。
それは置いておいて~
それは〇〇だよ、と説明し、時には手に触れるようにお箸や器を近づけると、
見えなくても母は一人で食べることができます。
「それが焼きそばの最後の一口だぞ~」と父が母に声をかけました。
そうしたら、母がふと、「これを蒔いたら芽が出るんだよ~」と言い出しました。
「え?焼きそばを土に蒔くの?お母さん、蒔いたことあるの?」と私が聞くと
「そうだよ~小さい芽が出るんだけど、まぁたいしたことない芽だったわ」ですって(笑)
それからデザートのバナナ(父が、いちごやみかんやキウイと一緒に、小さく切ってくれている)を
口に入れた後、「これは固い柿の種なんだよ」と。
「へ?バナナだよね?柔らかいよね~」と同意を求める私に
「あら、あんた知らないんだね~。柿の種だよ~。包丁で薄く切ってあるけど固いね~」
私はなんだかもう、すごく楽しくなっちゃって、ケラケラ笑いながら母にいろいろ質問。
「これ食べたらどうなるの?」
母も楽しそうに答えてくれます。
「これも芽が出るよ。お腹の中でね。お腹にもちゃんと土があるんだよ。あんた、そんなことも知らないの?」
って。また私がケラケラ笑うと、母も笑い、
父にも、「面白いね~!」っていうと、父も少し笑ってくれました。
そんな感じ。
まあ、書けない大変なこともありますけど。おおかたこんな感じ。
我が家でも実家でも、草木瓜(くさぼけ)の花が満開です・・・・笑
春紅葉と月。
ライラック
ハスカップ
ブドウの小さな葉がきれいです。
ブログを更新していないので、載せたかった写真がたくさん記憶の川に流れて流れ去ってしまいそう~。
日本中雨や風や・・・もちろんコロナサンも・・・そうじゃなくて交通事故やいろんな事件・・・
大変なことや不安はたくさんですが。
でも、たった今、この瞬間に、生きてるということだけで 丸儲け!!
ね
皆様、穏やかな週末を・・・!
しばらく見ないうちに、リアクションボタンの数がたくさんになっていて、びっくりしつつ、
ちょっと後ろめたいような気持ちになっています。
元気です。
こんな毎日です。
長男が普通勤務の日は5時前に起きて朝食づくり。自分は豆乳に自家製の果実酢入れて飲んだらお腹いっぱい。
6時過ぎには一人になるので、しばしだらだらし(笑)、BSの朝ドラ再放送と現在の朝ドラ見ながら、エアロバイクを30分から1時間漕ぎます。いい汗かいたらシャワー浴びて、洗濯して、新聞チラッとだけ見て(´▽`)💦。。。お腹すいたら朝ごはんを食べながら、音楽を聴くか録画をテレビで見るかします。
片付けがすんだら
実家へ🚗
九時半くらいだと、まだ朝ごはんがすんでないことが多い両親。少し前より、1時間くらい遅くなっています。母の料理の意欲や能力が落ちて、今は、お味噌汁や目玉焼きや野菜、大根おろしに納豆、など定番のメニューを、父が作っています。母の好きなりんごは必ず添えて。最近は二人ではりんご1つ食べきれなくなったようで、行くと「お前の分も残してやったぞ」と父が2切れ入ったお皿を出してくれます。
母は服の着方があやしくなり、裏返しは仕方ないとしても、下着を一番上に着ていたりするので、だいたい行くと最初に着替え。
それから3人でスーパーへ買い物。帰ってきたら調理。律儀な父は、肉料理、魚料理、青菜のお浸し、酢の物を作って欲しがるので、必ず数日分作りおきします。メニューにはあまり悩みません。二人とも固いものが苦手になっているので、よく煮込んで柔らかくしたものが多いです。お魚はたいてい、しょうがや梅干しをいれた煮物。お肉はだいたい野菜と炒め煮したり野菜を巻いてレンチンしたり。
そういう夕食用調理とお昼ごはんを同時に作るときはコンロが足りないけれど、今はストーブの上も使えます。
あらら、なんだか小学生の作文みたいですね。。💦飽きちゃいますね🙏
いつもかな(笑)
でも続けます(笑)
料理はなるべく母にも手伝ってもらうようにしたいけれど、最近は目薬を入れたりお手洗いに行ったりというだけでも、
以前よりとっても時間がかかってしまい、猛スピードで動き調理する私は待てずに、一人でどんどんやってしまうことが多いのです。
時間に余裕のある日は・・・こんなことも。
先日のお昼はカボチャ入りの白玉団子のおつゆ。
母も楽しんで丸めてくれた貴重なひととき。
父はその間、運動がてら外へ。先日雪が積ったときの。
89歳。まだまだ動けます!
父はベランダ下に、野鳥さん用にえさを置くのも楽しみにしています。
最近はあまり珍しい鳥は来ませんが・・・(以前はキジも来ていました)
毎日同じ?雀たちと(父が言うには同じらしい)、3羽の親子のカラスが常連さん。
カラスにえさをやるなんて、と目くじら立てる人もいそうですが、
実家の前の公園に巣を作って、子育てしている3羽家族は、
凶暴性のないめんこいハシボソカラスさん。
最近は私の車が着くと、飛んできて、庭の木や玄関前の階段に止まります。
私が来ると父が外に出るのを覚えているのか、まさか、以前に私が残り物のパンを持ってきたのを覚えているのか・・・
とにかく、父をしっかり覚えているので、平気で寄ってきます。
母と違ってデイサービスに行くこともない父には、鳥さんたちは慰めになるのかも知れません。
母が動物苦手じゃなければ、ワンちゃんでも飼いたいところですが、野生の鳥さんたちの方が、
お世話がいらないから、ちょうど良いのかも・・・
野生の生き物にえさをやることには、いろいろ問題もあるようですが、
妻を介護する切ない老人と鳥たちの儚い触れ合いを大目に見て欲しいです。
今年生まれた子ガラスちゃん(秋の姿)
話は戻りますが、午後は母が週三回デイサービスに行きます。
以前利用していたデイサービスから、「小規模多機能型居宅介護」施設に変えました。
万が一私や父に何かあれば、ここなら訪問介護、看護、短期入所が可能なので。
母がデイサービスに行ったら私は自宅に戻ります。
ああ、今は施設サンの人手が足りないので、週一度は私が母を送っていきますが。
実家の夕食は、私が作り置いた物を、父がお皿に分けたり電子レンジで温めたり、
魚の骨をとったり、朝父が作ったお味噌汁を温めたり。
母の帰宅時にはもう既に、食卓は整い、父は外に出て母の送られてくる車を待っています。
私は帰宅後、自分の家のことをしますが・・・
最近は、歌ったりオカリナ吹いたりして遊んでいることが多いです。
正直言うとかなりの時間、音楽系のアプリで遊んでいます。
そのためなかなかブログに向かえず・・・
歌声コンプレックスだった私の卑屈な部分が、少しずつ溶けてきて、
自分が一番好きだったのは音楽だったんだと気づかされました。
もちろん上手じゃないし才能もないし、相変わらずというか、持って生まれた声は豊かなよい声に変わるわけじゃないけれど、少なくとも、ずっと楽しめるようには、なれた・・・
コラボやコメントのやりとりもできるので、
家族以外の誰とも話さない一日でも、人と心を通わせることもできます。
今は高齢者施設へのボランティア訪問もできないので、淋しいですけれど、
時々母と歌ったり、そうやってSNS上で音楽コラボを楽しんだりできる毎日は、
退屈することがありません。
実家に行く回数は、このところ週6回くらい。ほぼ毎日のようになってきましたが、
他に何の拘束もない身です。
父母が二人で暮らしそれを通いで手伝う・・・どんどん手伝う内容は濃厚になってきていますが、
この生活を、できるだけ長く続けて行けたらなぁと思っています。
そうそう、以前は母、ちょっと興奮したり乱暴になったりした時期がありました。
父が、母の認知症を受け入れられずに、感情的に対応していたときです。
いろんな本やネット上の情報をコピーして読んでもらったり、後は諦めもあって、
父の対応が穏やかになった頃から、母はまた母に戻りました。
もちろん認知症の進行はかなりのもので、私を娘だとは認識していないことも多いです。身近な身内とは分かると本人が言っています。
トイレの使い方、お風呂の入り方、毎日4回も入れているのに目薬をどうやって使うか・・・いろんなこと分からなく、できなくなっています。視覚も僅かに残っているだけで、毎日暗いねと言っています。
それでも、父と母の一応穏やかな生活が、なんとか続けられている、という感じがしています。
楽観的?
最近私が母に一番いう言葉は、
「大丈夫だよ。心配することは何にもないよ。」です。
親の介護と音楽を楽しむこと・・・ごくたまぁには、遠出して日常から離れる・・・
こういう生活に、今はとても満足しています。
この生活が終わった後のことも・・・もう、なんとなく考えています。それも未来の楽しみ。
そういえば、父のまねして、私も冬だけ雀さんのえさ箱を窓の外につけました!
窓の側だから来ないかなぁと思ったけれど、見ていないときにちゃんと来て食べていきます。
たまにカーテンを開けたときに雀さんが来ていて、あまりに間近なのでお互いにびっくりしちゃうこともあります。
慣れて逃げなくなったら楽しいけれど、それは無理ですね。
冬ですね。ストーブの上でお鍋や焼き芋や焼きリンゴを楽しめる季節になりました。
今も丸のままアルミホイルに包んだリンゴが、ジュワジュワ好い香りになってきています。
あ~アイスクリームと食べたら美味しそうだなぁ・・・
さて、マスクしっかりして、お買い物に行ってきます~
だらだら書きました。
最後まで読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。
あなたに幸あれ!
おはようございます。
お彼岸ですね。
我が家は、夫も義母も、この一週間に命日が来ます。
お盆とはまた違う、物思う一週間・・・。
でもね、せっかく生きてる私たちは、
いずれ向こうの世界へ戻るまでの貴重なこの世での日々を、
楽しまないでは もったいない!!
こんな話をすると、母は、
「あんたはヘンなことを言うねぇ」と言います。
私たちの命は、先祖がいろんな病気や災害や事件や・・・そんな危険もある中を、
奇跡的に生きて生きて命を繋いでくれたからこそ、今あるんだから、ありがたいね。
なんて言うと
「あんたはそんなこと考えてるの?変わってるね。そんなこと考えたことはないよ。」
と言います。父も母に同意。。。
そういえば、小学生の卒業文集に私が「今という時は一度しかないから大切に・・・」というようなことを書いたら、
読んだ母に「変なこという子だね。」と言われたのを今でも覚えています。
私は変?
いやいや、家の両親がそういうことをあまり考えずに、ただひたすら生きてきたのでしょうね。。。
それはともかく、
前回母の状況や私の実家でのことを書きましたが、
そういう事実の中も、私は毎日楽しく・・・幸せを感じながら過ごしています。
自分の緑内障のことも、いろんな人や事のお陰で、受け止める気持ちができあがったので、
ますます日々を大事に楽しむ気持ち満々です。
そんな今の楽しみは、ネットの音楽交流サイト。
無料で聴けて、自分の歌や楽器、中にはオリジナル声劇を録音して投稿する方たちも。
他の方の投稿に重ねることができるので、音で繋がる楽しさが広がります。
たった90秒間だけの投稿なので、とても手軽です。
投稿はさらりと気軽にする方もいるし、かなり練習したりアレンジしたりのハイレベルな方もいて、
感動で泣けることも。
コメントでの交流も出来、会ったことのない方たちとのコミュニケーションができます。
というわけで、家にいても全く退屈するどころか、ちょっと時間が足りない(*´∀`*)
で、歌の好きな母にも歌ってもらって投稿しています。
見えない認知症ですが、昔の歌は歌詞無しでも覚えていますからね~
歌ったことは 即忘れますが、いつでも聞かせられるので、母もその都度とても喜びます。
頂くコメントを母に読んであげると、さらに喜びます。
最近は、一緒に台所に立つとき、母の歌声を一緒に聴きながらお料理しています。
先週は母の糖尿病の定期通院日だったので、車に乗せて二人で行ってきました。
新型コロナ感染で重症になる可能性の高い「糖尿病や高血圧の持病のある高齢者」どんぴしゃりの母ですが・・・
もっか「記憶消去能力最高レベル」なので、
ニュースを聞いても父や私が説明しても、何のその。
ちっとも苦にしていません
「知らぬが仏」?
視点を変えれば・・・見習いたい境地かも。
不安を感じたり疑心暗鬼になったりすることもありません。
さて、いつものように血圧測定や採血の後、
看護師さんに「今日はレントゲンで骨密度を測る検査を入れてますので、検査室へ~」と突然言われました。
(聞いてない~けど まぁいいか・・・骨折の心配をしなきゃならない年齢だし)と素直な私・・・
もちろん母は、全く気にしてませんでした
あとで診察室で、「勝手に検査入れちゃったけど~へへへ」とお茶目に笑う主治医さん
そしてその結果は・・・
え?同年代との比較値が 腰椎150%、大腿骨も138%!
私より、骨が丈夫そうです。すごいなぁ。
よっぽどのことがない限り、骨折で寝たきりになったりはしなさそう
肝心の糖尿病の方も、HbA1Cは6.1。合格点です。
数年前7.9だったのがトルリシティ皮下注「アテオス」で改善し、
その後「ジャディアンス錠10mg」と「メトグルコ250mg」の服薬に変更した処方は、
1年以上経過しても、有効のようです
良好な検査結果に、先生も喜んで下さり、
よかったね~!何にも心配なところがないよ、と私も母に言って喜び、診察終了。
薬局に、いつものようにお薬に印字してもらうよう頼み、できるまでの時間に母を家へ送り、
再度私だけ薬局へ。
行ったり来たり面倒ですが、待ち時間40分なので家に帰した方が安心。
日付と朝昼晩を印字してもらうことで、父もきちんきちんとと母にお薬を飲ませてくれるので、
とても助かっています。
そして今週は、やはり母の緑内障の定期通院なのですが・・
こちらは公立の大学病院で、受付、診察、計算、会計、外の距離のある薬局と とても移動が多くて大変。
しかもあらゆる病気の方がた~くさん。
この感染症拡大防止のための緊急事態宣言の期間に連れて行けるような場所ではありません。
政府の方も言っていたので、病院に電話してみると・・・「こんなときなのでご本人じゃなくても・・・」
と柔軟な対応をして下さるよう。
そんなわけで予約日には、お薬をもらいに私1人で行くことにしました。
・・・ほんとは病院には私も行きたくないけれど・・・郵送は無理でしょうし・・・。
母を前にしては言えない話も、主治医にできるので、ラッキーと思って行ってきます。
母の緑内障は、目薬の効き目はほとんど期待できないと言われ、さらに、
何も見えなくなるまであと1、2年だろうと言われてから、、今年で4年目!?
認知症のお陰で、自分の病気を忘れているので、「ここは暗いねぇ」といつも言っていますが、
(自分だけじゃなくみんながそうだと思っているので、運転する私を、助手席で心配してくれます)
でも、家の中ではなんとか日常生活を、ゆるゆると過ごせているので、本当にありがたいです。
母の通院はもう一カ所、毎月の皮膚科。
これも何年も完治しないやっかいな顔の湿疹ですが、
父が朝晩忘れずにお薬を塗ってくれているので、一見すると分からないくらいになってきています。
あら、皮膚科のお薬はまだあったのだったかなぁ・・・明日父に確かめなくっちゃ。
いろんなことができなくなっている母・・・見えないし忘れてるし億劫だし・・・。
最近は洗濯や掃除もしなくなり、得意だったお料理も難しくなってきていますが・・・
今日は私にも余裕があったので、
楽しんでお料理してもらおうかなと思いついて、とっても久しぶりに餃子を一緒に作ってみました
今回は皮は市販のもの。
居間のソファに座って、包むのを一緒にやってもらいました。
皮に具を乗せておくところまでしたので、本当に包むだけ。
最初は、包み方を忘れて、変わった形になっていましたが、
やっているうちにちゃんと思い出して、昔と同じように包めていました。
父が気を利かせて、唱歌や童謡のカラオケCDをかけてくれたので、
一緒に歌いながら。時にハモったりしながら
おかげで母も楽しめたようです。
全部包み終わっても、「もう終わりなの~?もっとやりたいなぁ」なんて。
そんなふうに母が言うのは、珍しいことでした
いつもは時間がないからと、私がちゃっちゃと調理してしまって、
母は「ただ切るだけ」だったし慌ただしかったなぁ・・・
こんなふうにゆったりと、一緒にお料理することは大事だなぁ・・・と、
反省するやら、緊急事態宣言に感謝するやら・・・
こうして、楽しくたくさんできたのを、小分けして冷凍。
焼くのももう、母には難しいので、今度夕方行って、焼きます
今日のおかずは、他にサンマの生姜煮やお肉料理や和え物を作ったので大丈夫。
2人とも規則正しくバランスよく、よく食べるので、張り合いがあります。
明日は、父がお汁粉を作るそう!「おひな様の日だからな」ですって。
母と同じ87歳のおひな様を、父が飾っていましたよ
お汁粉苦手な私は、明日は自分の家でのんびり過ごします
そいういえば・・確か もともとひな祭りは、
人形に身代わりになってもらって邪気を払うものだったのですよね。
おひな様に身代わりになってもらわなくても、
邪気は払いたいですね。
明日は心も体も清らかになるような過ごし方を、したいな。
ううむ・・・中からもアルコール消毒しちゃいそうだなぁ、私は
無事下船しました!
ホッとしました!
18日中に、検疫検査が陽性の場合だけ連絡が来るとのことで、
姉たちはきっと、一日落ち着かない気持ちで過ごしていたと思います。
その日の夜9時過ぎに「連絡がなかったから帰れそうです!!」そして・・・
昨日20日午後に「今家に無事戻りました!」とラインが。
それで本当に安心できました。
ダイヤモンド・プリンセス号からの写真・・・(富士山をトリミングしてみました)
義姉とお友だちが二人そろって無事帰れて、本当にホッとしたけれど、
感染してしまった方、安心できるまでまだ隔離されている方・・たくさんいらっしゃいますね。
早く元気に帰れますように・・・
予想していたことですが、ウイルスが広がって来ていて、
「日本中の不安感」は高まってきていますね。
でも「COVID-19」 だけじゃなく、他の病気も事故も地震も厳しい気象もそして人間同士も・・・
生きてる限り心や体を脅かされるものは、いつだって誰にだって、たくさんあるのですよね。
自分にできる対策や用心をできるだけした上で、
あとは・・・
とにかくいつも「悔いなく生きること」それだけだなぁ・・・
風のない穏やかで明るい朝です。
久しぶりに小さな虹たちを遊ばせながら、
こんな平和な朝を過ごせることに喜びを感じています。
皆さんの今日も、幸せなものでありますように・・・!
久しぶりのブログです。
元気ですが・・・(体調壊して数日大変なことがありましたが、今は元気)
そしていろんなことがあって、写真もたくさん溜まっているのですが・・・
発信するより、しなきゃならないことや、したいことが、相変わらず多い毎日、それだけ充実しているということで。
でも今日は特別。。。
これは横浜の大黒ふ頭。
今ニュースになっているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号にいる義姉が、昨日送ってくれた写真です。
夫のいとこから、「〇〇ちゃん(義姉)大丈夫?クルーズ船に乗っていませんか?心配しています」というメールが来て、
まさかと思いつつ、久しぶりに義姉にラインしてみたら・・・
あぁ・・・本当に乗っていたのでした。
それ以来、ニュースで船の映像が出る度に、あの中に義姉がいるんだなぁと不思議な気持ちになり、
人ごとでなくなりました。
別のいとこからも、心配している旨のメールが来て、
夫の親戚のネットワークにあたたかさ、ありがたさも感じています。
義姉は、とてもおおらかで、しかもいつも落ち着いている人。
そして一人じゃなくて、仲のよいお友だちと一緒。
でも、
2週間船から下りられないということだし、
今は客室に監禁状態・・
新型コロナウイルスへの不安や、ストレスは、たくさんあると思います。
私は何にもできないので、ただひたすら、苦痛なく過ごせるよう祈るだけ・・・
それでも、義姉の客室はベランダ付で、外の風景も見られ、外の空気も吸えるようなので、
ちょっとホッとしました。
写真にも写っているけれど、富士山も見えたとのこと。
窓のない部屋にいる方たちの苦痛を思います・・・。
発病してしまった方たちの苦痛も・・・。
昨日の食事は朝食12時、昼食3時 夕食8時だったとか。
朝食・・・
それが今日は少し早まって朝食11時だったそう。
昼食と夕食は選べるメニューになったそう。
船の中で働く乗組員さんたちも、大変ですね・・・。
まだ先は長いけれど、日にちは必ず過ぎていくし・・・!
無事にお家に帰ったら、忘れられない旅の「思い出」になると思うし・・・!
きっと大丈夫!
きれいな風景を眺められる時間があるのが、救いです。
これも姉の送ってくれた写真。
いつもは、毎日を大事に過ごしたくて、早く過ぎないで~、と思うけれど、
今は、とにかく無事に、あと10日が早く過ぎてくれますように!
と思うばかりです。
お姉さん、Mさん、がんばって下さい
ご近所のお家を取り壊しているので、昨日から我が家はかなり揺れています。
原因が分かっていて、なんの影響もないと分かっていても、なんだか不安になってしまう。
台風19号の影響が大きいと予想される地域の方たちは、どんなに大きな不安の中にいらっしゃるでしょうか。
私にできるのは、今からでも、少しでも、陸地から逸れて欲しいと祈ることくらい。無力です。
日本中で祈ったら、台風を逸らすパワーが生まれないでしょうか・・・・
こんな時なのに気が引けますが、今週初めに行った千歳の叔母の家での写真、載せさせて下さい
父の妹であるままちゃん、吟ちゃんが毎年招待してくれて、
今年も母を乗せて千歳の吟ちゃんのお家へ行ってきました。
心のこもった美味しいランチ 今年も吟ちゃんが用意してくれていました。
お漬け物も手作り!
水ようかんも手作り!
そのお料理の腕を、認知症サロンのランチや子ども食堂のごはんにも発揮する、
ボランティア精神溢れる吟ちゃんです。
とっても忙しいのに、毎朝4時に起きてウォーキングしてるのですって。
本当にエネルギッシュです。
母と吟ちゃん(叔母の携帯撮影なのでちょっと小さめですが)
お食事の後は、恒例のミニコンサート
こちらはままちゃんが作ってくれた、素敵なプログラム
ハーモニカを姉妹で演奏してくれたり、
私もオカリナで加わったり・・・そして母も歌で全曲参加
最後の「星の界」は、讃美歌でもあります。
父やままちゃん吟ちゃんのお母さんである祖母の葬儀でも歌った曲。
「先に向こうへ逝った人たちのことを想いながら演奏しようね」と、
ままちゃんが言って、、皆で心を天に向けて・・・。
ままちゃんは、保育園長を退職してからすぐ、10年以上お姑さんを自宅介護した人。退職して遊んでる私と大違いの日々、、大変だったと思うけれど、辛抱強くて、人を思いやる気持ちにあふれて、ゆったりととっても温かい。
吟ちゃんは、やっぱり辛抱強くて情があって働き者で、いつも動き回っている。誰かのために。旦那さんに腎臓まであげて、それでも元気いっぱいボランティアでいろんなことを忙しくしている。
そんな叔母たちとの、ほのぼのあたたかで楽しい時間でした母も楽しそうでした~
あっという間の楽しい時間。
帰りには、父用にランチのおいなりさんや水ようかんや、
吟ちゃんの旦那様が丹精したカボチャも持たせてくれました
帰り道に寄りたいところがあるとままちゃん。
行き先は・・・
私が生まれた東雲町の家にいた頃、10代だったままちゃん吟ちゃんも同居していて、
父が酔っ払って、よくお土産に買ってきてくれたのが「アトムの焼き鳥」!
20数年後、札幌に住んでいた私の出産後に、
ままちゃん吟ちゃんが届けてくれたのも、このアトムの焼き鳥!貧血がひどかったからレバーも入れてくれていた
いろんな思い出いっぱいのお店は、しばらく閉店していたのだけれど、なんと(とても美人の)お孫さんによって復活したのでした!
お持ち帰りを予約してくれていて、うれしかった~
アトムの焼き鳥、大好きなんです!昔と同じ味だった~
その上・・・帰ってからすぐ食べられるようにと、ままちゃんが手作りのお弁当も持たせてくれました。
実家の分と、我が家の分2軒分!ありがたかった~
私の幸せな晩ごはん
そして、幸せな父母
だし巻き卵はままちゃんの旦那様の手作り!
温かで優しくて、いつも心にかけてくれる親戚がいることは、
ほんとうにありがたいなぁと思います。
なんでも永遠には続かない・・・
今ある幸せはいっぱいいっぱい感じていたい・・・・
ままちゃん、吟ちゃん、幸せなひとときをありがとう~
二人のように年を重ねたい!
今台風19号の進路が更新されました・・・
あまり変わっていないなぁ
日本中、平和な日常が、壊されませんように・・・
祈るしかありません。
どうかどうか日本中、皆無事でありますように・・・・
吟ちゃんのお友達も、何事もなく、このブログを見てくださいますように・・・・
台風19号・・・鎮まって、離れてください・・・・!
今月の初めから、行かない日が数日しかないほど実家に通いました。
いつもの買い物や夕食数日分の作りおきや通院、そして父の米寿のお祝いのための諸々・・・
日常的なこととお祝いごとだったので、辛くはありませんでしたが、
父に喜んでもらえるように、母に負担にならないように、とちょっぴり頑張りました。
で、先日の日曜日。
「父の日」で、父の誕生日の前日・・・弟と甥が休みをとって千葉から来てくれて、
夜勤明けの私の長男も加わり、
おばたちからのプレゼントも届き、なんとか楽しいひとときを、父に過ごしてもらうことができました。
父が好きならっきょう漬けも、今年も頑張って手をかけて作りました。
なんのお祝いか時々分からなくなる母も笑顔で過ごし、父はとってもご機嫌で、
そうして家族の大事なイベントをどうにか終えられたのでした。
やっと肩の荷が下りた感じ
長男と甥っ子のアドバイスで、
両親が外に出るときに使っている狭い階段空間の壁に 手すりをつけることも決めました
で、ほっと一息ついたら、
ちゃんと次の心配事が訪れたのです・・・
「出口の見えない心配」が胸に巣くったこの状況は、
脳天気すぎるお気楽な毎日を過ごしていた私には、必要なことなのかもしれないな・・と思いながら、
でも、何をしたら良いのかわからずに、しょんぼり佇んでいるような、そんなこの頃です。
どんなことにも、大切な意味があり、
後になったら「あのことがあったお陰で今の良い状況がある」と、
言える日が来ると信じて・・・・
きっと大丈夫。
さっきまで鳴り響いていた雷も、
ようやく静まって穏やかなお天気になりました。
今日は本当に久しぶりになんの予定もなくって、
ゆったりした朝です。
皆様よい週末を!
今年も叔母たちが、母を招いてくれたので、今週の初めに千歳へ行きました。
毎日慌ただしく過ごしている・・・せいだけではなく、
もともとおっちょこちょいなので、その日もたくさん失敗を重ねた末に、
やっとのことでだいぶ遅れて、千歳の伯母の家にたどり着きました。
え?どんな失敗かですって?ははは
大事な物がたくさん入ったバッグを、
出がけに寄ったお店のカートに、引っかけたまま忘れて出てきて車を何分も走らせちゃったり、
ナビを入れていたのに逆方向に進んで迷子になったり、メールで迎えに来てと言われていたのにすっぽり記憶が抜け落ちていたり・・・
(お母さんが認知症って言ってるけれど、本当はみやびが認知症になったのじゃないか)と思われても仕方のないミスの連発でした
あ、でも、忘れたバッグは親切な方がお店の方に届けて下さっていました。
実はね、これで5回目なのです。お店にお財布や、大事な物が入っているバックを忘れてきたのは。
でも、善い方達のおかげで、1回もなくなったことはないのでした。
ほんとうにありがたいことです
前置き長くなってしまいましたが、
とにかくミスばかりで、自分に嫌気がさし、ぐったりして
予定よりだいぶ遅く到着したのでしたが・・・
叔母たちは怒りも嫌な顔もせずに、やさしくむかえてくれたので、
その後の時間は、とってもとっても幸せだったのでした。
今年も吟ちゃんの手作りランチ
母への気配りいっぱいの、美味しくて心もあったまるお昼ご飯でした。
作りたてのよもぎ餅も、お祖母ちゃんを思い出す味で、すごく懐かしくて美味しかった・・・
そして恒例の・・・
今年も可愛いプログラムは、ままちゃんの手作り
叔母たちは二人とも、数ヶ月前に大変な手術をしているお体。
だから、ことしは去年みたいに立ってではなく、
椅子に座っての演奏でした。
でも二人とも、優しいきれいな音色~
母も一緒に口ずさみ、とっても楽しんでいました。
私もオカリナで参加。
一人で「愛燦燦」も吹かせてもらいました。
吟ちゃんは、オカリナも吹けるようになりたいと、
去年も見せてくれたオカリナを出してきました。
持ち方や、吹き方をちょっと説明したら、ちゃんとドレミファソラシドが出せて、
「練習しようっと」とにっこり。
お料理も、花壇作りも、何でもエネルギッシュに取組み、人並み以上になる吟ちゃんです。
来年は、オカリナ共演もできるかも
さらに・・・吟ちゃんが、ままちゃんと一緒に手がけているパッチワーク作品(ベッドカバー)も見せてもらいました。
とっても根気の要りそうな作業~!私にはできそうにない・・・!
またまた二人の叔母の素敵さを実感してきた一日でした。
帰りには、ままちゃんの手作りお弁当のお土産~実家の分だけじゃなく、私と息子の分まで!
帰ってからの夕食の支度が大変じゃないようにとの 心配り・・・
厚焼き卵はままちゃんの旦那様、徹叔父さん作とのことで、びっくり。
留守番の父にも、妹である叔母たちの愛情をたっぷり感じさせてもらえて、
本当にありがたかったです。
帰りの車の中で、母はやっぱり去年と同じように、
「パパのきょうだいは、本当にいい人ばかりで、私は幸せ」を繰り返し繰り返し言っていました。
あぁ、来年もまた、同じような心温かいひとときが過ごせますように・・・・
夏の終わりの三日間。
弟と甥・姪が実家に来ていました。
大人になった孫達と過ごす両親の、貴重な貴重な時間・・・
3歳の時、命に関わる大変な病気になり、
長い入院生活の末に奇跡的に助かった甥は、
今は理学療法士となって、高齢者施設で働いています。
おじいちゃん、ちょっといい?と、腰の悪い父にお手当
この後母にも、療法士としての腕前を体験させてくれていました。
とっても心の優しい素敵な子です。
姪は生まれてすぐに、入院したお兄ちゃんにつききりになった弟夫婦に代わって、
実家で父と母が1年近く育てていました。
今は、可愛い外見からは想像ができない努力で入った大学で、
これまた驚きの政治学を学んでいて、そして、やっぱりとても心優しい
夕食後、父と並んで食器を洗っている後ろ姿・・・
帰る日の朝、皆でテニスをしました。
昔はテニス部主将だった父は、やりたそうだったけれど・・・さすがにちょっと見に来ただけ。
4年間の最後の看護実習も終わり、国家試験に向かうのみの我が長男。
そして、するつもりはなかったのに我慢できずにラケットを持ってしまった私
7年ほど前にバトミントンでアキレス腱を切ってから、
卓球以外のラケットは、恐くて持たないようにしていたのですが・・・
やっぱり、すごーく楽しくなっちゃって、
こんな服装で汗びっしょりになるまでやってしまいました。
普段会えない弟親子との時間・・・
記憶が即消え、最近は誰が誰か分からなくなることが多い母ですが、
目の前にいたときは、ちゃんと孫達のことを分かって普通にお喋りしていました。
記憶は消えても、優しい孫達の温もりは、
ちゃんとどこかに残ってるよね・・・