数年前、「ブラタモリ」でタモリが仙台を訪れた際に、注目された「へくり沢」と「四谷用水」。広瀬川にそそぐ「へくり沢」の終点から、源流のJR東北福祉大学前付近まで歩いてみました。1回目は、「へくり沢」と「四谷用水」が交差する「春日神社」までを街歩きしました。
春日神社です。
澱橋付近、尚絅女学院の崖下からスタートです。
広瀬川にそそぐ「へくり沢」の開口部です。
排水門でしょうか、ほぼ稼働はしていませんね。
「へくり沢散歩道案内板」が要所要所に掲示されているのでこれに沿って歩きましょう。
沢は、当然ですが、”暗渠”になっていて一般道路化しています。
澱橋上から八幡こばと園付近、県道31号線(仙台村田線)を越えます。
北三番丁、土橋通交差点下に案内板②があります。道路工事の際に掘り出された「疱瘡神」もいっしょに設置されています。
澱橋下、北三番丁の道路下に案内板③があります。
案内板③にしたがって進むと旧石切町に進みます。石で作られた”いしきりばし”の欄干があります。
仙台城築城の際に、石垣造営の石工たちが居住したエリアとされ、今も橋のたもとで石材店が頑張っておられます。
橋から100m位進むと、「春日神社」の参道です。
神社の縁起を見れば、地域住民の思いが深く伝わってきます。
細い参道ですが、よく整備されています。
平成7年に地域のみなさんが、昭和15年の地域の風景を思い出しながら描いた絵だそうです。
地域の誇りですね。
濃い青がへくり沢が北から南に流れ、薄い青が、四谷用水で、西から東に流れています。赤丸が「春日神社」です。
「春日神社」です。
地域のみなさんでしょうか、ボランティアで神社境内の清掃にあたっておられました。
「へくり沢」は、言ってみれば、自然の峡谷、「四谷用水」は、街づくりに欠かせない生活用水路という好対照の位置づけです。
案内板④です。「へくり沢」は、昭和30年代まで深い沢でした。
交差する部分はどうだったか、このイラスト図は、非常に興味深いですね。
「四谷用水」も「へくり沢」も暗渠化されて、市内中心部では、その流れを目にすることはできません。
「四谷用水」は、一部工業用水に活用され、「へくり沢」は、下水道化されています。
薄い青が「四谷用水」、濃い青が「へくり沢」です。
「四谷用水」の洗い場の跡です。生活用水だったのよくわかります。
伊達政宗が仙台開府した頃の街づくり、藩政時代の貴重な遺産ですね。
次回、「春日神社」付近から、「へくり沢」の源流付近まで”街探”します。