東北大学片平キャンパス付近に三つの辻標があります。
75番「桜小路(さくらこうじ)/七軒丁(しちけんちょう)」は、 仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑪
でご紹介しました。
48番「弾正横丁(だんじょうよこちょう)/道場小路(どうじょうこうじ)」は、まさしく東北大学北門前にあります。
東北大学正門付近には、かつて岩出山館主伊達弾正の屋敷があり、東西に抜ける道が、「弾正横丁」と呼ばれました。明治初年に廃道、のちに旧制二高の敷地になりましたが、校内にその当時の名残は見受けられません。
一方で「道場小路」ですが、ここも藩政時代は、柳町と弾正横丁を結ぶ南北の道でした。東一番丁教会の裏手に南北の道があったそうですが、戦災復興事業で廃道になりました。
藩政時代前期に、「松林左馬之助」という剣豪が道場を開いていたのでこの町名が生まれたという伝説めいた話があります。
近くの「大日如来」の関係者有志のみなさんでしょうか、記念塔が寄贈されています、地域のみなさんとの強い絆を感じます。
すこし前ですが、東北大学北門食堂は、建て替えられ、おしゃれなレストランになりました。一帯は、大学の建物や、マンションが建設され、大きく変わろうとしています。
72番「太夫小路(たゆうこうじ)/袋町(ふくろまち)」は、東北大学の伝統「金属材料研究所」の右手にあります。
金属材料研究所から北にのびる通りが「太夫小路」です。寛永年間、伊達政宗の小姓で仙台の金春太夫と呼ばれた金春流御乱舞櫻井八右衛門や観世流長命家などの屋敷があったのでそう呼ばれました。
「袋町」は、柳町西端から片平丁に通じる通りの名称。かつては、弓の稽古場として三十三間堂があったので、明治初めのころまで、三十三間堂横丁とも称されたようです。
屋敷割から2本の道が行きどまりになっていたので、「袋町」の名があると言われています。
世界的に有名な金属材料研究所の本部がここにあります。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森