仙台駅を挟んで日々ダイナミックに変化する駅前エリア、東西3か所の辻標周辺を”街探”しました。
52番辻標「東七番丁(ひがししちばんちょう)/柳町通(やなぎまちどおり)」
仙台駅東口は、ヨドバシカメラ仙台第一ビルのオープンで、昨年さらにパワーアップ、人の流れも大きく変わりました。52番辻標「東七番丁(ひがししちばんちょう)/柳町通(やなぎまちどおり)」は、ビルの東側、バスの発着所そばに設置されています。
東七番丁は、二十人町と荒町の間を結ぶ南北の長い丁。北が侍屋敷、南が足軽町。今はとても信じられませんが、もともとは湿地帯で、”谷地小路”とも呼ばれていたそうです。
柳町通は、ご存じのように、柳町の大日如来付近から東の考勝寺付近までを結んでいました。鉄道開業によって東五番丁から七番丁間はほぼ失われています。ヨドバシカメラの駐車場南側と駿台予備校の間に、仙台駅で分断された道の名残をみることができます。
66番辻標「東八番丁(ひがしはちばんちょう)/八ツ塚(やつつか)」
新寺通・北目町ガードを潜って、S字で卸町方面に向かう五差路の角に設置されています。
東八番丁は、東七番丁の東側に平行して割り付けられた足軽屋敷群。ここも北は二十人町、南は荒町につながります。
八ツ塚は、東八番丁の東側、寺院が多く集まっているエリアを「八ツ塚」と称していました。古くは、一面の野や畑であったその中に、由来のわからない古塚が八つあったのでこの名がつきました。寛永年間、元寺小路から一部の寺院をこの周辺に移したので 、新寺小路と呼ばれるようになりました。
43番辻標「六道の辻(ろくどうのつじ)」
JR東日本仙台ビルの向かい側、植栽帯の中に半分埋もれています。角地にタワマンが建設中で、また景色が変わるでしょう。
もともと旧北目町ガード付近は、宮町からの東六番丁と北目町通りの四辻でしたが、東五番丁が平行して割込み、旧清水小路が水堀によって二筋に分けられ、計六本の道が集まります。また、幕末に龍川院跡(仙台国際センター付近)に残されていた六地蔵をこの地に移し、六道の辻と呼ばれました。
明治20年の鉄道開通や昭和40年代の再開発、最近は、東西自由通路、さきほどのヨドバシカメラオープンなどで、仙台駅周辺は大きく様変わりしましたが、街の記憶につながる辻標の存在は、ますます重要になってきていますね。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森