石巻から南三陸志津川漁港へ。
防災対策庁舎
残す派 撤去派 今後どーなるかわからないけど 建っていてくれて良かったです。 おかげで手を合わせることがでました。。
ここに立って手を合わせる それだけのことでしたけど もの凄く切ない気持ちになりました
ここに確かに町はあったんですよね?
雑草に覆われつつある市街地跡 止まらない時間。 奥の方では宅地造成が行われています。
昨日、道の駅上品の郷で見た案内板の『大谷海岸』です。 プレハブ建ての道の駅 その裏にはホームの跡がありました。 とても美しい海岸です。
R45を北上しているわけですけど ただそれだけのことで津波がどれほどのものだったのかを実感させられます。
破壊された高架の線路 その下をくぐるR45。 あらゆる所で見かける“ココから→コゴで浸水”の看板。
未だに撤去しきれない建物や防波堤の残骸達 或は おそらく市街地だったであろうR45両脇に広がる雑草群
気仙沼を通り陸前高田へ。 『奇跡の一本松』 ここへは少し離れた所から歩いて来ます。
オブジェとして残されている一本松です。
できることなら奥の建物も残してほしいと思いますけど 壊された物が残っているのは切ないかな
何もわからない我々ですが “ここに来れば等身大の爪痕を感じられる” それって貴重な気がしました。 勝手なもんですゎ。。
一本を残して流された高田松原。 その松の木から作られたブレスレットを買いました。
圧倒されたのは山を崩しての地盤嵩上げ工事でした。 橋みたいに見えますけど コレ、土を運ぶベルトコンベアですよっ!
このベルトコンベアが何キロも繋がって山の土を運んでます。 おそらくは市街地であったろう場所のアチコチに土を盛っております。。
こんな戦闘的な復旧工事をしていたのは陸前高田だけです。 なんだか地球と戦っているよーな気がします。。
盛り上げた土の上にどんな建物ができるのかわかりませんが 何年か後に来た時には新しい街が出来ているのかも知れませんネ。。
ここは車を止めた駐車場に出来ていた土産物売り場です。『奇跡の一本松』とは1km位離れてるかな。。 サイダー 美味しかったです♪
とてつもなく大きな津波 飲み込まれた大勢の人々 無くなってしまった街
TVとかで被害の大きさは理解していたつもりでした
だけど なんだか現実味がなく 遠くでおきた3年前の出来事みたいな感じになってました。
ここに立って 残された風景を見て 言葉が出なくなりました
過去を想えなくなり 明日を望めなくなった日 今日を生きるって思えたのはいつ頃だったろう。。。
あれから3年 街を取り戻そうと行き交う工事車両 プレハブの商店街の活気 修復された港 人々の笑顔
明日から明後日 その先に向かって歩き出してるんだなと実感しました。
頑張って!!! いつまでも応援しています!!!!!!!
R45添いのPから海。 三陸ってトコは ホント美しい所です。
大理石海岸ってトコに下りてみました。 残念ながら津波の影響で遊歩道は通行止めでしたけど 海に浮かぶ白い岩が点在する美しい海岸でした。。
唐桑半島の先っぽまで行ってみよう! で、途中の“折石”と姉さん♪ 折石って大理石だそーですよ! 宝庫ですな♪
ワタクシも海に近い方で暮らしてますけど 三陸の景観の美しさは別格かと ハイ。
御崎岬からの太平洋。
日本海を眺めながら暮らす我々。 太平洋と日本海は違います!
コレ、ワタクシ&奥様の同意見ですょ! 何が違うの?って聞かれてもうまく答えられないですけどね ヘヘヘ。。
岬の神様&我が家の神様。
御立派でございます♪
今日の宿は南三陸
『民宿 下道荘』
津波の被害で以前の建物が駄目になり 少し高台に新しく建てられたそーです。
立ち止まっているワケにはいかないもんね 今日をたくさん積み重ねている感じがしました 頑張って下さいっ!!!
宿から夜空と志津川湾。
これね 夕食ですけどね ワタクシには多すぎました。。 ハラくっちぃ~~~っす
部屋は10畳もあろうかって和室。 そこにワタクシ達2人
豪ぉ勢ぇ~~~~でっしょ~~~~~♪
そーそーそー お風呂で大阪から取材に来てるって人と話をしました。
震災後から毎年取材に来ているそーで 当時の事を少し教えてくれました。
ウンウンウン
なんだかさ 、、、なんか言えるよーな言葉を持ってないんだよね。。。。
ネムネムネム~ by ヘロヘロ~