三木城
2013/3/30
兵庫県三木市のお城めぐり
「三木の干殺し」で有名な三木合戦の舞台となったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 三木城
よみ: ミキ
別称: 釜山城・別所城
所在地: 兵庫県三木市上ノ丸町5-45
現状: 三木城跡上ノ丸公園・稲荷神社・保育所・金物資料館・市立図書館
築城年代: 十五世紀後半
築城者: 別所則治
形式: 丘城
遺構: 天守跡・本丸跡・二の丸跡・かんかん井戸
規模: 600m×500m
文化財:
訪城日: 2013/3/30
≪ 訪城記 ≫
明石城から三木城へ向かう。
図書館前の有料駐車場を出て東へ約300m、信号交差点を左折、錦城中学校前を通り過ぎ、白水東交差点信号を左折、県道21号を西へ進み、森友交差点信号を右折、国道175号を北上、福井ランプ交差点信号を左折、鶯谷三叉路信号を斜めに左折、県道20号を道なりに北上し、本町交番前信号を道なりに右へ曲がりながら直進、神戸電鉄粟生線を越えたところを大きく右へ曲がり、次の信号から約100m地点で細い路地に右折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。ここに車を駐車させてもらう。
車を降りた目の前に別所長治公の騎馬像があり、その右側にこんもりと一段高い場所があり、ここが天守跡で階段を登った上には辞世の歌碑が建てられている。
天守跡の北側には三木合戦図や説明板が建てられていて、北西角には「かんかん井戸」が残っている。西側は断崖で北側と西側には土塀が復元されている。
城域としては、天守跡や保育所、稲荷神社、金物神社付近が本丸跡で、道を隔てた南側の図書館付近が二の丸跡です。
この地で約二年におよぶ悲惨な籠城戦で有名な「三木の干殺し」があったとは思えないほど静かな場所です。
本丸跡から南へ約250m行ったところに別所長治公の首塚がある雲龍寺があります。
≪ 歴 史 ≫
明応年間 (1492-1501) 東播磨守護代別所則治によって築かれる。
天文七年 (1538) 同八年の二度にわたり尼子晴久の攻撃を受ける。
天文二十三年 (1554) 三好長逸に攻められ、和睦して三好氏の麾下となる。
永禄十一年頃 三好三人衆をみかぎり、織田信長と結ぶ。
天正六年 (1578) 織田信長を裏切り毛利氏と手を組んだため、羽柴秀吉に三木城を包囲され支城を次々と落され、一年十か月の悲惨な籠城戦「三木の干殺し」によって、天正八年(1580)一月十七日、別所長治一族が自害して開城した。
天正十三年 (1585) 中川秀政が入城するも文禄元年(1592)の朝鮮の役で事故死すると、弟の秀成が跡を継ぐ、三年に移封となり、以後豊臣氏の直轄地となり代官が置かれる。
慶長五年 (1600) 池田輝政が姫路城に入り、三木城はその支城となる。
元和元年 (1615) 江戸幕府の一国一城令によって廃城となり、古材を明石城の築城に使われたといわれている。
≪ 写 真 ≫
別所長治公騎馬像
天守跡
別所長治辞世の句碑
かんかん井戸
本丸跡
二の丸跡
雲龍寺
別所長治公首塚
現地三木城址案内図(リンク付サムネイル)
現地三木城想像図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
神戸電鉄粟生線三木上ノ丸駅より徒歩約3分。
<車>
山陽道三木東ICを降りて三木東インター入口を左折、県道85号を南下、奥田橋東詰交差点信号を右折、県道38号を西進し、本町1丁目の信号を直進、約100m地点で細い路地に左折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。図書館前にも駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
三木城(上ノ丸公園)
市立図書館
雲龍寺
紹介したお城の数 54城
2013/3/30
兵庫県三木市のお城めぐり
「三木の干殺し」で有名な三木合戦の舞台となったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 三木城
よみ: ミキ
別称: 釜山城・別所城
所在地: 兵庫県三木市上ノ丸町5-45
現状: 三木城跡上ノ丸公園・稲荷神社・保育所・金物資料館・市立図書館
築城年代: 十五世紀後半
築城者: 別所則治
形式: 丘城
遺構: 天守跡・本丸跡・二の丸跡・かんかん井戸
規模: 600m×500m
文化財:
訪城日: 2013/3/30
≪ 訪城記 ≫
明石城から三木城へ向かう。
図書館前の有料駐車場を出て東へ約300m、信号交差点を左折、錦城中学校前を通り過ぎ、白水東交差点信号を左折、県道21号を西へ進み、森友交差点信号を右折、国道175号を北上、福井ランプ交差点信号を左折、鶯谷三叉路信号を斜めに左折、県道20号を道なりに北上し、本町交番前信号を道なりに右へ曲がりながら直進、神戸電鉄粟生線を越えたところを大きく右へ曲がり、次の信号から約100m地点で細い路地に右折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。ここに車を駐車させてもらう。
車を降りた目の前に別所長治公の騎馬像があり、その右側にこんもりと一段高い場所があり、ここが天守跡で階段を登った上には辞世の歌碑が建てられている。
天守跡の北側には三木合戦図や説明板が建てられていて、北西角には「かんかん井戸」が残っている。西側は断崖で北側と西側には土塀が復元されている。
城域としては、天守跡や保育所、稲荷神社、金物神社付近が本丸跡で、道を隔てた南側の図書館付近が二の丸跡です。
この地で約二年におよぶ悲惨な籠城戦で有名な「三木の干殺し」があったとは思えないほど静かな場所です。
本丸跡から南へ約250m行ったところに別所長治公の首塚がある雲龍寺があります。
≪ 歴 史 ≫
明応年間 (1492-1501) 東播磨守護代別所則治によって築かれる。
天文七年 (1538) 同八年の二度にわたり尼子晴久の攻撃を受ける。
天文二十三年 (1554) 三好長逸に攻められ、和睦して三好氏の麾下となる。
永禄十一年頃 三好三人衆をみかぎり、織田信長と結ぶ。
天正六年 (1578) 織田信長を裏切り毛利氏と手を組んだため、羽柴秀吉に三木城を包囲され支城を次々と落され、一年十か月の悲惨な籠城戦「三木の干殺し」によって、天正八年(1580)一月十七日、別所長治一族が自害して開城した。
天正十三年 (1585) 中川秀政が入城するも文禄元年(1592)の朝鮮の役で事故死すると、弟の秀成が跡を継ぐ、三年に移封となり、以後豊臣氏の直轄地となり代官が置かれる。
慶長五年 (1600) 池田輝政が姫路城に入り、三木城はその支城となる。
元和元年 (1615) 江戸幕府の一国一城令によって廃城となり、古材を明石城の築城に使われたといわれている。
≪ 写 真 ≫
別所長治公騎馬像
天守跡
別所長治辞世の句碑
かんかん井戸
本丸跡
二の丸跡
雲龍寺
別所長治公首塚
現地三木城址案内図(リンク付サムネイル)
現地三木城想像図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
神戸電鉄粟生線三木上ノ丸駅より徒歩約3分。
<車>
山陽道三木東ICを降りて三木東インター入口を左折、県道85号を南下、奥田橋東詰交差点信号を右折、県道38号を西進し、本町1丁目の信号を直進、約100m地点で細い路地に左折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。図書館前にも駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
三木城(上ノ丸公園)
市立図書館
雲龍寺
紹介したお城の数 54城
日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック) | |
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廣済堂出版 |