下赤阪城
2013/11/2
大阪府千早赤阪村のお城めぐり
鎌倉幕府の大軍を相手に防戦した楠木正成の前衛の城
≪ お城の概要 ≫
城名: 下赤阪城
よみ: シモアカサカ
別称: 楠木館
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
現状: 千早赤阪村立中学校裏公園・千早赤阪村役場
築城年代: 元徳三年(元弘元、1331)
築城者: 楠木正成
形式: 山城
遺構:
規模:
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/11/2
≪ 訪城記 ≫
上赤阪城から下赤阪城へ向かう。
千早赤阪村立学校給食センターの駐車場を出て前の道を南下、次のT字路を大きく右折、道なりに進むと府道705号に出るT字路を右折、府道705号を北上、しばらくして左手に千早赤阪村立中学校が見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。
公園の西側に赤阪城趾碑と説明板がある。ちなみに東側に見える棚田は非常に美しい。
公園を出て、再び府道705号を北上して、すぐに道の左手に千早赤阪村役場があり、入口に説明板がある。説明板によると役場の裏山が本丸跡だそうです。
役場を出て北側すぐのT字路を右折してS字道を登っていくと千早赤阪村郷土資料館があり、資料館横に楠公誕生地がある。さらに北側の棚田を降りていくと楠公産湯の井戸がある。
≪ 歴 史 ≫
元徳三年(元弘元)( 1331) 後醍醐天皇が笠置山で挙兵、笠置山が落ちた時、天皇を迎えようと楠木正成が急いで築城した。しかし、笠置山が落ち、天皇は楠木館へ向かう途中に捕えられ、護良親王を奉じて赤阪城に拠ったが、鎌倉勢に笠置山を落した勢いで攻められ、正成は城に火を放ち金剛山中に隠れた。
正慶元年(元弘二) (1332) 楠木正成は再起して、下赤阪城を奪回する。
正慶二年(元弘三) (1333) 鎌倉勢に攻められ、再び落城。
湊川で楠木正成が戦死すると、孫の正儀らが下赤阪城に拠る。
延文五年(正平十五) (1360) 竜泉寺・平石両城が落ち、楠木正儀は下赤阪城を捨て、金剛山中の千早城に退く。
≪ 写 真 ≫
千原赤阪村立中学校裏の公園にある赤阪城趾碑
赤阪城趾碑のある公園
美しい棚田
千早赤阪村役場入口の説明板
楠公誕生地
楠公誕生地の碑
千早赤阪村郷土資料館
楠公産湯の井戸
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで赤阪中学校前下車すぐ。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場を過ぎ、道なりに南下、千早赤阪村立中学校が右手に見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
赤阪城趾碑のある公園
千早赤阪村役場
千原赤阪村郷土資料館
紹介したお城の数 149城
2013/11/2
大阪府千早赤阪村のお城めぐり
鎌倉幕府の大軍を相手に防戦した楠木正成の前衛の城
≪ お城の概要 ≫
城名: 下赤阪城
よみ: シモアカサカ
別称: 楠木館
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
現状: 千早赤阪村立中学校裏公園・千早赤阪村役場
築城年代: 元徳三年(元弘元、1331)
築城者: 楠木正成
形式: 山城
遺構:
規模:
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/11/2
≪ 訪城記 ≫
上赤阪城から下赤阪城へ向かう。
千早赤阪村立学校給食センターの駐車場を出て前の道を南下、次のT字路を大きく右折、道なりに進むと府道705号に出るT字路を右折、府道705号を北上、しばらくして左手に千早赤阪村立中学校が見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。
公園の西側に赤阪城趾碑と説明板がある。ちなみに東側に見える棚田は非常に美しい。
公園を出て、再び府道705号を北上して、すぐに道の左手に千早赤阪村役場があり、入口に説明板がある。説明板によると役場の裏山が本丸跡だそうです。
役場を出て北側すぐのT字路を右折してS字道を登っていくと千早赤阪村郷土資料館があり、資料館横に楠公誕生地がある。さらに北側の棚田を降りていくと楠公産湯の井戸がある。
≪ 歴 史 ≫
元徳三年(元弘元)( 1331) 後醍醐天皇が笠置山で挙兵、笠置山が落ちた時、天皇を迎えようと楠木正成が急いで築城した。しかし、笠置山が落ち、天皇は楠木館へ向かう途中に捕えられ、護良親王を奉じて赤阪城に拠ったが、鎌倉勢に笠置山を落した勢いで攻められ、正成は城に火を放ち金剛山中に隠れた。
正慶元年(元弘二) (1332) 楠木正成は再起して、下赤阪城を奪回する。
正慶二年(元弘三) (1333) 鎌倉勢に攻められ、再び落城。
湊川で楠木正成が戦死すると、孫の正儀らが下赤阪城に拠る。
延文五年(正平十五) (1360) 竜泉寺・平石両城が落ち、楠木正儀は下赤阪城を捨て、金剛山中の千早城に退く。
≪ 写 真 ≫
千原赤阪村立中学校裏の公園にある赤阪城趾碑
赤阪城趾碑のある公園
美しい棚田
千早赤阪村役場入口の説明板
楠公誕生地
楠公誕生地の碑
千早赤阪村郷土資料館
楠公産湯の井戸
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで赤阪中学校前下車すぐ。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場を過ぎ、道なりに南下、千早赤阪村立中学校が右手に見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
赤阪城趾碑のある公園
千早赤阪村役場
千原赤阪村郷土資料館
紹介したお城の数 149城
日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック) | |
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