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堀越城

2014-09-29 05:55:24 | 北海道・青森県・岩手県
 堀越城

2014/9/15

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽地方を統一した津軽為信の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 堀越城
よみ: ホリコシ
別称: 堀越楯
所在地: 青森県弘前市堀越柏田
現状: 熊野宮・堀越城跡
築城年代: 建武三年(延元元、1336)
築城者: 曾我太郎貞光
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・堀・土塁・掘立柱建物跡
規模: 400m×500m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て堀越城に向かう。

青森市内のホテルを出て国道7号を西進、西バイパス環状線入口付近から南下、弘前市内に入り、弘前市運動公園前を通り、弘前バイパスを南下、堀越交差点信号南西側が堀越城跡復元現場で、右折してすぐの作業場に車を駐車させてもらう。

堀越交差点信号横に大きな「堀越城跡整備工事中」の看板があり分りやすい。
現場事務所の西側が二の丸で堀や土塁が復元され、堀越交差点信号から約200m南西に進んだ三叉路信号に熊野宮の真っ赤な鳥居が建っている脇に堀越城跡碑があり、追手門跡だそうです。
入って行くと二の丸虎口が復元されている。虎口を入ると掘立柱建物跡も復元されていて、ここから堀に架かる土橋を入ると本丸跡で右側に熊野宮、左側に掘立柱建物が復元され、土塁も復元されている。東側の土塁の切れている所に東門跡がある。
本丸の南側が三の丸で未整備のようです。


≪ 歴 史 ≫

建武三年 (1336) 南朝方に味方していた曾我貞光が、論功に不満を抱き、建武二年に北朝方に転じ南朝方の諸城を攻略した。このとき堀越に楯(館)を築く。その後、曾我貞光は暦応四年(1341)、根城の戦いに敗れ、康安元年(1361)に南部氏に滅ぼされる。
元亀二年 (1571) 大浦為信が大浦城を拠点に石川(南部)高信の石川大仏ヶ鼻城を攻略、十七年を経て、津軽地方を統一する。
天正十七年 (1589) 大浦氏から津軽氏に改める。
天正十八年 (1590) 小田原征伐中の秀吉のもとに赴き、津軽安堵の朱印状を受ける。
文禄三年 (1594) 堀越城を改修して大浦城から移る。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で徳川家康に味方して封地を保持する。
慶長八年 (1603) 関ヶ原合戦時と慶長七年(1602)の内紛で堀越城の弱体を痛感した津軽為信が新城建設の計画に着手する。
慶長十二年十二月 (1607) 京にあった嫡男信建の見舞いに上京するが、途中で信建の訃報に接し、自らも五十七歳で旅先で没する。三男信枚が跡を継ぐ。新城建設も引き継ぎ、慶長十五年二月に起工、十六年五月に完成して堀越城から新城に移る。
元和元年 (1615) 一国一城令によって堀越城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


堀越城本丸


熊野宮入口にある堀越城趾碑


二の丸虎口


復元された二の丸と土塁


二の丸掘立柱建物跡


復元された本丸堀


土橋


本丸にある熊野宮


本丸掘立柱建物跡


本丸東門跡


本丸土塁


三の丸付近


堀越城跡看板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線弘前駅からバスで堀越バス停下車すぐ。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡整備工事中の看板がある堀越交差点信号を左折した工事現場に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

堀越城


紹介したお城の数 266城



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