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足助飯盛山城

2014-01-02 05:40:28 | 愛知県
 足助飯盛山城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 足助氏累代の居城で、跡を継いだ鈴木氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助飯盛山城
よみ: アスケイイモリヤマ
別称: 飯盛城
所在地: 愛知県豊田市足助町飯盛
現状: 山
築城年代: 治承年間(1177-81)
築城者: 足助重長
形式: 平山城
遺構: 主郭・二の曲輪・三の曲輪・腰曲輪・居館跡・空堀
規模: 標高345m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

足助真弓山城から足助飯盛山城へ向かう。

城跡公園足助城から山を下りて足助中学校横の三叉路を右折、国道420号鳳来寺道を飯盛山沿いに北へ廻り、国道153号飯田街道と合流する三叉路で国道153号へ出て西進、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。私は足助八幡宮南側の有料駐車場に車を駐車しました。

香嵐渓のお土産屋さんの辻を東へ進み巴川に突き当り、巴川沿いを北上、国道153号へ出て橋を渡った香嵐渓信号から南へ入ると「もみじ」で有名な香嵐渓です。この香嵐渓の裏山が足助飯盛山城跡です。
香嵐渓入口の森林公園と書かれた碑の前に石板の説明板があり、ここから山へ登ります。
途中に空堀や山頂付近に段々の腰曲輪があり、約25分で三の曲輪、二の曲輪に着きます。二の曲輪の上が主郭で岩のある鎖で囲まれた場所があり、その東に東屋があります。
主郭東から下に降りると腰曲輪があります。
三の曲輪から香積寺へ降ります。麓付近に豊栄稲荷、装束塚、鈴木氏五代の墓があり、香積寺に着きます。寺の前には三州足助屋敷があります。


≪ 歴 史 ≫

足助氏代々の居城で、足助氏没落後鈴木氏が飯盛山城を継ぐ。
大永五年 (1525) 松平清康(家康の祖父)に攻められ、城主鈴木重政は清康の妹を嫡子重直の妻とすることを条件に松平氏の麾下に入る。
天文四年 (1535) 守山崩れで清康が殺されると重直の妻を松平氏に送り返し、松平氏から独立する。
永禄三年 (1560) 桶狭間合戦後、再び松平氏の麾下に入る。
元亀二年 (1571) 武田信玄が足助城を攻略し、下條伊豆守信氏を城代とする。
天正元年 (1573) 家康の長男岡崎三郎信康が武田勢を追い払い、足助鈴木氏に足助城が戻る。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東入国に鈴木氏が従い足助の地を離れ、足助飯盛山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


足助飯盛山城全景


登城口


北面の空堀


西面の空堀


段々の腰曲輪


三の曲輪


二の曲輪


主郭


主郭の東屋


主郭東下の腰曲輪


主郭東側の切岸


南面の空堀


豊栄稲荷


装束塚


鈴木氏五代の墓


居館跡の香積寺


香積寺の門

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約25分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約25分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。香嵐渓の飯盛山山頂まで徒歩約25分。


≪ 位置図 ≫

足助飯盛山城


紹介したお城の数 162城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社


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