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大給城

2013-01-21 20:16:15 | 愛知県
 大給城

2013/1/12

愛知県豊田市徳川氏発祥の地、松平郷のお城めぐり

 松平一族 大給松平氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大給城
よみ: オギュウ
別称:
所在地: 愛知県豊田市大内町字城下
現状: 大給城址公園
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 長坂新左衛門・松平乗元
形式: 山城
遺構: 本丸・水の手曲輪・館跡・石塁・櫓台・虎口・土塁・堀切・竪堀
規模: 標高207m、比高120m
文化財: 国指定史跡「松平氏遺跡」
訪城日: 2013/1/12


≪ 訪城記 ≫

東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約1.6kmで大内町の集落への入口に着く、その入り口交差点右側に「大給城址公園・松平乗元の墓」と書かれた案内板があり、この案内板を左折し、山へ入っていく、約500m登ると道の右側に車が5~6台止められる駐車場がある。ここに駐車する。

駐車場から徒歩で城跡へ
しばらく道なりに歩くと大給城址と書かれた案内板があり、ここが登城口です。
登城道をしばらく登ると、またも大給城址の案内板があり、左に行くと大給城、右に行くとすぐに松平乗元の墓があります。
左に約5分行くと道の右側に説明板があり、左側に大きな岩が転がる堀切を見られます。
まっすぐに行くと虎口があり、左上に櫓台跡、さらにもう一つ虎口を抜けると本丸下の曲輪に出ます。この曲輪の土塁は左側が本丸へ、右側は水の手へ降りる付近まで続いています。
右手下側に尾根に挟まれた水の手曲輪はまるでダム工事でもしたかのような石塁の土留めが二段になっていて凄いです。ところどころに水溜のような穴が開いていたり、石塁で区画された井戸のような穴もあります。さらに二段目の下へ降りると竪堀跡や左側の尾根の先の大きな堀切を見られますが、足元が滑りやすいので注意が必要です。
右側に尾根には竪堀が見られ、左側の尾根には石塁が土塁の代わりをしている場所もあります。左尾根を越えると本丸からの竪堀が1本見られます。
虎口から入った曲輪まで戻り、本丸の切岸下の西へ進むと本丸への虎口があり、登りながら入ると石塁で真ん中が区画されていて、東の本丸には東奥に土塁跡があり、一段低い西の本丸には大給城址碑と説明板があり、大きな石がたくさんあります。西の本丸の一段下の帯曲輪には物見石があり、ここからの展望はすばらしいです。
本丸南側に降りていくと、ここにも帯曲輪群があり、一番下の梅林が館跡です。
全体的に岩がたくさんあり天然の土塁を形成していて、さらに見やすく良く整備されています。

登城したときは、城跡を見に来たのはわたし一人で、大勢の方がロッククライミングの練習に来られていました。


≪ 歴 史 ≫

天文年間 (1532-55) 初め長坂新左衛門の居城でしたが、松平信光が奪取して次男の乗元に与え、乗元が大給松平氏の祖となる。
天正十八年 (1590) 大給松平氏は徳川家康の関東移封に従い、廃城となる。


≪ 写 真 ≫


大給城への登り口


登城口


松平乗元の墓


お城への入口付近


お城への入口付近の堀切


一つ目の虎口


二つ目の虎口


本丸東の土塁跡


一段低い西の本丸


大給城址碑


物見岩と遠望


館跡の梅畑


本丸を東西に区画する石塁


水の手曲輪東側尾根の竪堀


水の手曲輪


水の手曲輪西側尾根の堀切


水の手曲輪西側尾根の土塁替わりの石塁


水の手曲輪のダム状の石塁 1


水の手曲輪のダム状の石塁 2


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄豊田駅から、とよたおいでんバス大沼線で大内バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東海環状道豊田松平ICを降りて国道301号を東進、巴川に架かる橋を越えた地点の松平橋東の三叉路を右折、そのまま国道301号を川に沿って南下、九久平町簗場の三叉路を斜めに左折、川沿いの国道301号を東進、約1.6kmで大内町の集落への入口に着く、その入り口交差点右側に「大給城址公園・松平乗元の墓」と書かれた案内板があり、この案内板を左折し、山へ入っていく、約500m登ると道の右側に車が5~6台止められる駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

大給城への入口


登城口


大給城


紹介したお城の数 13城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版


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