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明石城

2013-04-14 21:40:31 | 兵庫県
 明石城

2013/3/30

兵庫県明石市のお城めぐり

 西国大名への備えとして小笠原忠真が築いたお城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 明石城
よみ: アカシ
別称: 喜春城・錦江城
所在地: 兵庫県明石市明石公園1-27
現状: 県立明石公園
築城年代: 元和四年(1618)
築城者: 小笠原忠真(忠政)
形式: 平山城
遺構: 現存巽櫓・現存坤櫓・天守台・本丸・二の丸・東の丸・稲荷郭・艮櫓跡・石垣・中堀・薬研堀・桜堀・箱堀・土塁・大手門桝形
規模:
文化財: 現存巽櫓・坤櫓は国指定重要文化財
訪城日: 2012/9/16・2013/3/30


≪ 訪城記 ≫

山陽道三木東ICを降りて三木東インター入口交差点信号を左折、県道85号を南進、西盛口交差点信号を直進、県道83号を南進、高和橋交差点信号を右折、明石川を越えたところの信号を左折、明石川沿いに南下、西戸口三叉路信号を左折、国道175号を南下、第二神明道路玉津ICを越えて、森友交差点信号を左折、県道21号を東進、明石川を越えて、山陽新幹線、伊川を通り過ぎ、次の白水東交差点信号を右折、カーブしながら南下、錦城中学校前を通り過ぎ、次の交差点信号を右折、住宅街を西に約300mで明石公園内にある県立図書館の有料駐車場に着く。この駐車場に車を駐車する。

駐車場から徒歩で図書館西側の道を南へ迂回すると、球技場との境付近の脇道南に石垣跡が木々の中に見えるところがあり、石垣見たさに入って行くと門の石垣のようで道の両側に石垣が残っている。そのまま谷を下へ降りていくと桜堀に出て、本丸や二の丸の高石垣がそびえている。このまま中堀沿いに二の丸高石垣の下を東へ行くと薬研堀から東の丸へ入る桝形石垣を通って東に丸に入る。
東の丸、二の丸を通って本丸へ入る土橋を渡ると左隅に現存巽櫓、本丸中央のこんもり土を盛った所が人丸塚で、その西側、西南隅に現存坤櫓がある。3月は坤櫓の公開中で中を見学できた。ほかに5・9・11月も公開されている。4・10月は巽櫓が公開されているようです。
坤櫓の北側に天守台があり、ここに天守は建てられなかったようです。
さらに本丸北東隅には艮櫓跡があります。
もう一度、東の丸まで帰り、薬研堀の石垣を見て、南面高石垣下の広場へ降り、大手桝形から出て外堀沿いを歩きました。
大手を出たところがJR明石駅です。


明石城(明石公園)の詳細は ……… こちらをクリック

≪ 歴 史 ≫

元和三年七月 (1617) 小笠原忠真が明石十万石を賜り、二代将軍徳川秀忠の命により、翌四年から築城を開始する。資材には廃城となった三木城、高砂城、船上城、枝吉城の解体資材が利用される。
寛永八年正月 (1631) 本丸御殿を失火により焼失。
寛永九年十月 (1632) 小笠原忠真が北九州の豊前小倉に移封となり、姫路の本多忠政の子忠義と孫政勝が一か月交替で在番をする。
寛永十年四月 (1633) 信濃松本から松平康直が入部する。
寛永十六年 (1639) 美濃加納から大久保忠職が入部する。
慶安二年 (1649) 丹波篠山から松平忠国が入部する。
延宝七年 (1679) 本多政利が入部する。
天和二年三月 (1682) 越前大野から松平直明が入部して明治維新を迎える。
明治四年 (1929) 廃城となる。


≪ 写 真 ≫


本丸北側の高石垣


二の丸北側の高石垣


東の丸へ入る桝形虎口


東の丸の土塁


東の丸


現存巽櫓


天守台


現存坤櫓


艮櫓跡


本丸


二の丸から本丸への橋


二の丸


薬研堀


二の丸南側の高石垣


天守台の石垣


南側公園広場から見た坤櫓


南側公園広場から見た巽櫓


南側公園広場から見た現存坤櫓・巽櫓


現地明石公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陽本線明石駅、山陽電鉄本線山陽明石駅から徒歩約5分。
<車>
第二神明道路大蔵谷ICを降りて県道21号を西進して、白水東交差点信号を左折、カーブしながら南下、錦城中学校前を通り過ぎ、次の交差点信号を右折、住宅街を西に約300mで明石公園内にある県立図書館の有料駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

県立図書館


明石城


紹介したお城の数 53城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社


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