八上城
2014/3/16
兵庫県篠山市のお城めぐり
明智光秀の丹波攻略で滅びた波多野氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 八上城
よみ: ヤガミ
別称: 八上高城
所在地: 兵庫県篠山市殿町
現状: 山
築城年代: 永正五年(1508)
築城者: 波多野備前守元清(稙通)
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・岡田丸・右衛門丸・主膳屋敷跡・鴻の巣・下の茶屋丸・中の壇・上の茶屋丸・朝路池・東池番所・西池番所・蔵屋敷・茶屋の壇・馬駈場・芥丸・大竪堀・石垣
規模: 400m×80m、標高462m、比高210m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/3/16
≪ 訪城記 ≫
篠山城から八上城へ向かう。
篠山城三の丸駐車場を出て北側の外堀沿いの道を西へ向かい、大きい道へ出る交差点を左折、南下して突き当りの風深三叉路交差点信号を左折、県道77号を東進、篠山川沿いの堤防道を進み京口橋北詰交差点信号を右折、橋を渡り南東へ進み糯ヶ坪三叉路信号を斜め直進、八上小学校前を通り、八上下三叉路信号を直進して県道372号を東進、約160m進んだ重兵衛茶屋へ入る十字路を右折して集落内に入り、重兵衛茶屋で左に曲がり約140m東進した古美術店の角を右折した先に春日神社があり、神社トイレの横に車1台分の空き地がある。今回、ラッキーにも空いていて車を駐車することが出来ました。
古美術店角の畑前に説明板が建っている。
鳥居をくぐって左側に古い春日神社の社殿があり、手前に登山道の案内板がって、南に進むと八上城主前田茂勝の屋敷がった主膳屋敷跡の広い削平地があり、西へ進み登り口に前田主膳正供養塔が建っている。登るとすぐに鴻の巣、下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸と小さな削平地が尾根沿いにある。さらに登っていくと右衛門丸があり石垣跡が残っている。上に登ると三の丸、二の丸、その上の丘の上が本丸で波多野秀治公表忠碑、八上城趾碑、説明板がある。本丸からの眺めは絶景で篠山城も見えます。本丸南側に腰曲輪、北東下側に岡田丸があり、本丸北東側には石垣跡が残っている。本丸まで約50分。
本丸を南東側に降りていくと蔵屋敷、池東番所、さらに下に大竪堀が見られる。この大竪堀を西に行くと朝路池や池西番所へ行けるのですが、行かずに東の道を降りてしまいました残念。
途中に明智光秀の母が磔になった松の木があったようですが、今はなく説明板のみあります。この南側の杉林の中に削平地があり、さらに進むと茶屋の壇、馬駈場、芥丸を通って麓へ降りると東陽寺へ出ます。集落内の道へ出て春日神社を目指して西へ歩くと、途中に八上一里塚があります。
≪ 歴 史 ≫
永正五年 (1508) 波多野氏が丹波に勢力を広げ、郡奉行難波氏を八上から追い出し、清秀の子元清の時に八上城築城し、丹波一帯に勢力を広げ、元清は将軍足利義稙から偏諱を許され稙通と改名する。
大永六年 (1526) 稙通は弟柳本賢治と共に主家細川高国に叛旗を翻して、丹波から細川勢を駆逐する。その後、稙通の子元秀と柳本賢治は京都から細川高国を追い落とし、畿内一円を制圧、賢治が播磨別所氏の応援に出兵した東条城で暗殺される。
天文十八年 (1549) この頃、三好長慶と細川晴元が干戈を交え、敗れた晴元が将軍を擁して八上に難を避けたため、三好勢による八上城攻撃が始まる。天文十九年(1550)から弘治三年(1557)までに6回の攻撃を受ける。
弘治三年 (1557) 八上城が落城する。
永禄九年 (1566) 波多野晴通、秀治が八上城を奪回する。
天正三年六月 (1575) 織田信長の丹波侵攻が始まり、明智光秀が丹波奥地まで侵入する。
天正四年一月 (1576) 波多野・赤井連合軍が明智勢を撃退する。
天正六年十二月 (1578) 明智光秀が再び丹波へ侵攻して八上城包囲戦が開始され、籠城六か月、城は落城し、波多野三兄弟は安土へ送られ磔にされた。八上城には口丹波の土豪並河飛騨守が城代として置かれる。
明智氏滅亡後は、丹波少将羽柴(豊臣)秀勝が亀山に入り、八上城には家臣の浅野和泉守・余江長兵衛が城番となる。秀勝移封後は前田玄以が亀山城に入り、玄以の死後、前田主膳正茂勝が遺領を継ぎ八上城に居住した。
慶長十三年 (1608) 前田主膳正茂勝が重臣を殺害して出奔し、代わって常陸国笠間から松平(松井)康重が八上城主となる。
慶長十四年三月 (1609) 天下普請によって篠山城が完成して松平(松井)康重が移り、八上城は廃城となる。
≪ 写 真 ≫
八上城本丸
八上城趾碑
波多野秀治公表忠碑
岡田丸
本丸北東側の石垣跡
本丸南側の腰曲輪
二の丸
三の丸と切岸
三の丸
右衛門丸
右衛門丸の石垣跡
上の茶屋丸
中の壇
下の茶屋丸
鴻の巣
前田主膳正供養塔
主膳屋敷跡
春日神社前の登城口
春日神社
春日神社入口
蔵屋敷
池東番所
大竪堀
はりつけ松跡
茶屋の壇
馬駈場
芥丸
八上一里塚
現地八上城主郭部縄張図(リンク付サムネイル)
現地八上城跡周辺の中世城郭図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR福知山線篠山口駅からバスで重兵衛茶屋下車、本丸まで徒歩約50分。
<車>
舞鶴若狭道丹南篠山口ICで降りて丹南篠山口IC前信号を左折、舞鶴若狭道の高架下をくぐり県道大沢新篠山線バイパスを東進、糯ヶ坪三叉路信号を斜め直進、八上小学校前を通り、八上下三叉路信号を直進して県道372号を東進、約160m進んだ重兵衛茶屋へ入る十字路を右折して集落内に入り、重兵衛茶屋で左に曲がり約140m東進した古美術店の角を右折した先に春日神社があり、神社トイレの横に車1台分の空き地に駐車可能。
≪ 位置図 ≫
八上城
登城口の春日神社
紹介したお城の数 197城
2014/3/16
兵庫県篠山市のお城めぐり
明智光秀の丹波攻略で滅びた波多野氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 八上城
よみ: ヤガミ
別称: 八上高城
所在地: 兵庫県篠山市殿町
現状: 山
築城年代: 永正五年(1508)
築城者: 波多野備前守元清(稙通)
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・岡田丸・右衛門丸・主膳屋敷跡・鴻の巣・下の茶屋丸・中の壇・上の茶屋丸・朝路池・東池番所・西池番所・蔵屋敷・茶屋の壇・馬駈場・芥丸・大竪堀・石垣
規模: 400m×80m、標高462m、比高210m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/3/16
≪ 訪城記 ≫
篠山城から八上城へ向かう。
篠山城三の丸駐車場を出て北側の外堀沿いの道を西へ向かい、大きい道へ出る交差点を左折、南下して突き当りの風深三叉路交差点信号を左折、県道77号を東進、篠山川沿いの堤防道を進み京口橋北詰交差点信号を右折、橋を渡り南東へ進み糯ヶ坪三叉路信号を斜め直進、八上小学校前を通り、八上下三叉路信号を直進して県道372号を東進、約160m進んだ重兵衛茶屋へ入る十字路を右折して集落内に入り、重兵衛茶屋で左に曲がり約140m東進した古美術店の角を右折した先に春日神社があり、神社トイレの横に車1台分の空き地がある。今回、ラッキーにも空いていて車を駐車することが出来ました。
古美術店角の畑前に説明板が建っている。
鳥居をくぐって左側に古い春日神社の社殿があり、手前に登山道の案内板がって、南に進むと八上城主前田茂勝の屋敷がった主膳屋敷跡の広い削平地があり、西へ進み登り口に前田主膳正供養塔が建っている。登るとすぐに鴻の巣、下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸と小さな削平地が尾根沿いにある。さらに登っていくと右衛門丸があり石垣跡が残っている。上に登ると三の丸、二の丸、その上の丘の上が本丸で波多野秀治公表忠碑、八上城趾碑、説明板がある。本丸からの眺めは絶景で篠山城も見えます。本丸南側に腰曲輪、北東下側に岡田丸があり、本丸北東側には石垣跡が残っている。本丸まで約50分。
本丸を南東側に降りていくと蔵屋敷、池東番所、さらに下に大竪堀が見られる。この大竪堀を西に行くと朝路池や池西番所へ行けるのですが、行かずに東の道を降りてしまいました残念。
途中に明智光秀の母が磔になった松の木があったようですが、今はなく説明板のみあります。この南側の杉林の中に削平地があり、さらに進むと茶屋の壇、馬駈場、芥丸を通って麓へ降りると東陽寺へ出ます。集落内の道へ出て春日神社を目指して西へ歩くと、途中に八上一里塚があります。
≪ 歴 史 ≫
永正五年 (1508) 波多野氏が丹波に勢力を広げ、郡奉行難波氏を八上から追い出し、清秀の子元清の時に八上城築城し、丹波一帯に勢力を広げ、元清は将軍足利義稙から偏諱を許され稙通と改名する。
大永六年 (1526) 稙通は弟柳本賢治と共に主家細川高国に叛旗を翻して、丹波から細川勢を駆逐する。その後、稙通の子元秀と柳本賢治は京都から細川高国を追い落とし、畿内一円を制圧、賢治が播磨別所氏の応援に出兵した東条城で暗殺される。
天文十八年 (1549) この頃、三好長慶と細川晴元が干戈を交え、敗れた晴元が将軍を擁して八上に難を避けたため、三好勢による八上城攻撃が始まる。天文十九年(1550)から弘治三年(1557)までに6回の攻撃を受ける。
弘治三年 (1557) 八上城が落城する。
永禄九年 (1566) 波多野晴通、秀治が八上城を奪回する。
天正三年六月 (1575) 織田信長の丹波侵攻が始まり、明智光秀が丹波奥地まで侵入する。
天正四年一月 (1576) 波多野・赤井連合軍が明智勢を撃退する。
天正六年十二月 (1578) 明智光秀が再び丹波へ侵攻して八上城包囲戦が開始され、籠城六か月、城は落城し、波多野三兄弟は安土へ送られ磔にされた。八上城には口丹波の土豪並河飛騨守が城代として置かれる。
明智氏滅亡後は、丹波少将羽柴(豊臣)秀勝が亀山に入り、八上城には家臣の浅野和泉守・余江長兵衛が城番となる。秀勝移封後は前田玄以が亀山城に入り、玄以の死後、前田主膳正茂勝が遺領を継ぎ八上城に居住した。
慶長十三年 (1608) 前田主膳正茂勝が重臣を殺害して出奔し、代わって常陸国笠間から松平(松井)康重が八上城主となる。
慶長十四年三月 (1609) 天下普請によって篠山城が完成して松平(松井)康重が移り、八上城は廃城となる。
≪ 写 真 ≫
八上城本丸
八上城趾碑
波多野秀治公表忠碑
岡田丸
本丸北東側の石垣跡
本丸南側の腰曲輪
二の丸
三の丸と切岸
三の丸
右衛門丸
右衛門丸の石垣跡
上の茶屋丸
中の壇
下の茶屋丸
鴻の巣
前田主膳正供養塔
主膳屋敷跡
春日神社前の登城口
春日神社
春日神社入口
蔵屋敷
池東番所
大竪堀
はりつけ松跡
茶屋の壇
馬駈場
芥丸
八上一里塚
現地八上城主郭部縄張図(リンク付サムネイル)
現地八上城跡周辺の中世城郭図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR福知山線篠山口駅からバスで重兵衛茶屋下車、本丸まで徒歩約50分。
<車>
舞鶴若狭道丹南篠山口ICで降りて丹南篠山口IC前信号を左折、舞鶴若狭道の高架下をくぐり県道大沢新篠山線バイパスを東進、糯ヶ坪三叉路信号を斜め直進、八上小学校前を通り、八上下三叉路信号を直進して県道372号を東進、約160m進んだ重兵衛茶屋へ入る十字路を右折して集落内に入り、重兵衛茶屋で左に曲がり約140m東進した古美術店の角を右折した先に春日神社があり、神社トイレの横に車1台分の空き地に駐車可能。
≪ 位置図 ≫
八上城
登城口の春日神社
紹介したお城の数 197城
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