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此隅山城

2013-05-13 21:12:49 | 兵庫県
 此隅山城

2013/4/27 但馬遠征(2泊3日)

兵庫県豊岡市のお城めぐり

 但馬山名氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 此隅山城
よみ: コノスミヤマ
別称: 子盗城・此隅城・鶴賀城
所在地: 兵庫県豊岡市出石町宮内
現状: 山
築城年代: 応安五年(文中元年、1372)
築城者: 山名時義
形式: 山城
遺構: 本丸・腰曲輪・切岸
規模: 約150m×50m、標高140m、比高130m
文化財:
訪城日: 2013/4/27


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)  初日、出石城から此隅山城へ向かう。

出石支所前の有料駐車場から支所前の道の商店街を北上、次の交差点を左折、西進して柳交差点信号を右折、北上して川原三叉路信号を斜めに左折、北西に進み出石農協前三叉路信号を左折、県道706号を北上、約1.6kmで出石神社バス停のある交差点を右折、約200m東進すると出石神社があり、その南側に宮内センターがあります。センター前の空き地に車を駐車させてもらう。

ここから徒歩で出石神社東側の道を北へ約200m進むと川があり、この川に架かる橋の西側に縄張図付の説明板があり、北に見える山が此隅山城跡です。川に架かる橋を越えて道なりに約350m山に向かっていくと、道が少し左に曲がりかけた左側に此隅山城登城口と書かれた標柱があります。ここから西へ少し入って行くと、此隅山登山口の遊歩道があります。
この遊歩道は階段が壊れていて、ほとんど直登状態です。頂上付近になると用意されているロープを使って登らないと登れなほど急です。
頂上へは約15分で到着し、頂上前に腰曲輪らしき削平地があり、本丸は南北に長い台地状の削平地で中央に説明板があります。本丸北西側に一段低い曲輪があり、降口は切岸です。


≪ 歴 史 ≫

応安五年 (1372) 山名時義が但馬山名氏初代となり、此隅山城を築く。
永享五年 (1433) 山名持豊(宗全)が家督を継ぎ城主となる。
嘉吉元年 (1441) 六代将軍足利義教が播磨守護赤松満祐に殺される嘉吉の乱が起こる。
応仁元年 (1467) 応仁・文明の乱が起こり、山名持豊(宗全)が西軍の総師として東軍の細川勝元と戦う。
文明五年三月 (1473) 持豊(宗全)が病死する。
此隅山城主は持豊以降、子の政豊、政豊の子致豊、その弟誠豊、誠豊の子祐豊と継承されたのち、永禄十二年(1569)に羽柴秀吉に攻められ落城する。


≪ 写 真 ≫


出石神社北側の説明板から見た此隅山城


此隅山城登城口


此隅山登山口


急な遊歩道


頂上付近の急な上り坂


本丸前の帯曲輪


本丸


本丸北西側の切岸


本丸北西側の曲輪


出石神社


現地説明板の縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線豊岡駅よりバスで鳥居下車、登城口まで徒歩約30分。
<車>
舞鶴若狭道福知山ICを降りて国道9号山陰道を西進、羽合付近から北上、牧川を越えて牧三叉路信号を左折、国道9号山陰道をそのまま西進、野花三叉路信号を右折、国道426号を北上、京都府から兵庫県へ入り、ひたすら道なりに進み登尾トンネルを抜けて、さらに道なりに進み出合三叉路信号を左折、国道426号をそのまま進み、乙女橋三叉路信号を右折、出石川堤防沿いの道を北上、出石農協前三叉路信号を左折、県道706号を北上、約1.6kmで出石神社バス停のある交差点を右折、約200m東進すると出石神社があり、その南側に宮内センターがあります。センター前の空き地に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

出石神社北側の説明板


此隅山城登城口


此隅山城


紹介したお城の数 61城



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