山中城
2014/5/3
静岡県三島市のお城めぐり
豊臣秀吉の小田原攻めの初戦で落城した後北条氏の箱根防衛の要となった山城
日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 山中城
よみ: ヤマナカ
別称:
所在地: 静岡県三島市山中新田・田方郡函南町桑原
現状: 山中城跡公園
築城年代: 永禄年間(1558-70)
築城者: 北条氏康
形式: 山城
遺構: 本丸・天守台・二ノ丸(北条丸)・三ノ丸・北の丸・西ノ丸・御馬場曲輪・岱崎出丸・すりばち曲輪・帯曲輪・元西櫓跡・西ノ丸物見台・西櫓跡・障子堀・畝堀・一ノ堀・三ノ丸堀・出丸御馬場堀・二ノ丸橋・本丸西橋・本丸北橋・堀・土塁・田尻の池・箱井戸・溜池・弾薬庫跡・兵糧庫・堀切
規模: 400m×800m、標高585m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/7/21・2014/5/3
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て山中城へ向かう。
新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。道の左側に駐車場に車を駐車する。
駐車場に西側に説明板があり、ここから北に三ノ丸堀が綺麗な形でよく残っている。登っていくと田尻の池と箱井戸に着き、西ノ丸方向に登る。元西櫓下の堀を通り、二の丸と西ノ丸の間の堀切と土橋を見ながら、土塁で囲まれた広い西ノ丸へ入ると西の奥が高く斜面となっていて奥に物見台がある。さらに西には障子堀を間に角馬出の西櫓跡がある。
西ノ丸と西櫓の周りには緑の芝が植わった見事な障子堀と畝堀が印象的で、ちょうど咲いているツツジの赤と相まって、まるで庭園に来ているような雰囲気でとても美しい。
西櫓跡の西側畝堀外の帯曲輪に山中城趾碑が建っている。
溜池側から堀切を登って元西櫓跡、二ノ丸虎口を通って二ノ丸(北条丸)へ入る。二ノ丸は北から南へ傾斜していて西と東に物見台がある。本丸との間にも畝堀がみられる。
本丸は南に三段の曲輪で、一番下の曲輪に兵糧庫と弾薬庫跡があり、本丸の北東に天守台跡がある。北の丸との間には深い堀が横たわり、北の丸橋を渡って土塁に囲まれた北の丸へ入る。北の丸の周りはとても深い堀に囲まれている。
箱井戸に戻り、南へ抜けると宗閑寺があり、この寺に北条方と豊臣方の戦没武将の墓碑がひっそりと並んでいる。
国道1号の信号を渡り岱崎方面へ、案内所の裏側に御馬場曲輪、岱崎出丸、すりばち曲輪と連なり、北西側の斜面の一ノ堀も畝堀で緑の芝がとても美しい。見ると、とても感動します。
山中城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
永禄年間 (1558-70) 築城の時期につては分かっていないが、北条氏康の時に小田原城を守る箱根口の関門として築かれ、玉繩城主北条氏勝を城主とし、松田右兵衛大夫康長が城番となった。
天正十五年(1587)頃から豊臣秀吉軍の来攻を予想して増強を行っている。
天正十七年十二月 (1589) 岱崎を取り入れ郭を増強する。大改修は落城まで続けられ未完のところもあったようです。
天正十八年三月 (1590) 豊臣秀吉軍が伊豆に侵攻を開始し、韮山城と山中城を包囲した。三月二十九日、豊臣秀次を総大将に七万の大軍で山中城を一気に攻めたて守将松田康長ほか諸将が討死して、わずか半日で落城した。
≪ 写 真 ≫
山中城西ノ丸北西の障子堀
本丸
天守台
本丸下の段曲輪
本丸と北の丸の間の堀
北の丸
北の丸の深い堀
本丸と二ノ丸の間の畝堀
二ノ丸
二ノ丸櫓台
元西櫓と奥に西ノ丸
山中城趾碑
西櫓西側の畝堀
西櫓角馬出
西ノ丸と西櫓の間の障子堀
西ノ丸南側の畝堀
障子堀
西ノ丸
三ノ丸堀
出丸御馬場曲輪
出丸御馬場堀
一ノ堀
ツツジで書かれた山中城跡
岱崎出丸
すりばち曲輪見張台
すりばち曲輪
すりばち曲輪虎口
箱井戸跡
宗閑寺の北条方武将と豊臣方武将の墓
現地山中城跡案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線三島駅南口から沼津登山東海バス「元箱根港行き」で約30分「山名城跡」下車すぐ。
<車>
新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
山中城(山中城跡公園)
岱崎出丸
紹介したお城の数 222城
2014/5/3
静岡県三島市のお城めぐり
豊臣秀吉の小田原攻めの初戦で落城した後北条氏の箱根防衛の要となった山城
日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 山中城
よみ: ヤマナカ
別称:
所在地: 静岡県三島市山中新田・田方郡函南町桑原
現状: 山中城跡公園
築城年代: 永禄年間(1558-70)
築城者: 北条氏康
形式: 山城
遺構: 本丸・天守台・二ノ丸(北条丸)・三ノ丸・北の丸・西ノ丸・御馬場曲輪・岱崎出丸・すりばち曲輪・帯曲輪・元西櫓跡・西ノ丸物見台・西櫓跡・障子堀・畝堀・一ノ堀・三ノ丸堀・出丸御馬場堀・二ノ丸橋・本丸西橋・本丸北橋・堀・土塁・田尻の池・箱井戸・溜池・弾薬庫跡・兵糧庫・堀切
規模: 400m×800m、標高585m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/7/21・2014/5/3
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て山中城へ向かう。
新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。道の左側に駐車場に車を駐車する。
駐車場に西側に説明板があり、ここから北に三ノ丸堀が綺麗な形でよく残っている。登っていくと田尻の池と箱井戸に着き、西ノ丸方向に登る。元西櫓下の堀を通り、二の丸と西ノ丸の間の堀切と土橋を見ながら、土塁で囲まれた広い西ノ丸へ入ると西の奥が高く斜面となっていて奥に物見台がある。さらに西には障子堀を間に角馬出の西櫓跡がある。
西ノ丸と西櫓の周りには緑の芝が植わった見事な障子堀と畝堀が印象的で、ちょうど咲いているツツジの赤と相まって、まるで庭園に来ているような雰囲気でとても美しい。
西櫓跡の西側畝堀外の帯曲輪に山中城趾碑が建っている。
溜池側から堀切を登って元西櫓跡、二ノ丸虎口を通って二ノ丸(北条丸)へ入る。二ノ丸は北から南へ傾斜していて西と東に物見台がある。本丸との間にも畝堀がみられる。
本丸は南に三段の曲輪で、一番下の曲輪に兵糧庫と弾薬庫跡があり、本丸の北東に天守台跡がある。北の丸との間には深い堀が横たわり、北の丸橋を渡って土塁に囲まれた北の丸へ入る。北の丸の周りはとても深い堀に囲まれている。
箱井戸に戻り、南へ抜けると宗閑寺があり、この寺に北条方と豊臣方の戦没武将の墓碑がひっそりと並んでいる。
国道1号の信号を渡り岱崎方面へ、案内所の裏側に御馬場曲輪、岱崎出丸、すりばち曲輪と連なり、北西側の斜面の一ノ堀も畝堀で緑の芝がとても美しい。見ると、とても感動します。
山中城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
永禄年間 (1558-70) 築城の時期につては分かっていないが、北条氏康の時に小田原城を守る箱根口の関門として築かれ、玉繩城主北条氏勝を城主とし、松田右兵衛大夫康長が城番となった。
天正十五年(1587)頃から豊臣秀吉軍の来攻を予想して増強を行っている。
天正十七年十二月 (1589) 岱崎を取り入れ郭を増強する。大改修は落城まで続けられ未完のところもあったようです。
天正十八年三月 (1590) 豊臣秀吉軍が伊豆に侵攻を開始し、韮山城と山中城を包囲した。三月二十九日、豊臣秀次を総大将に七万の大軍で山中城を一気に攻めたて守将松田康長ほか諸将が討死して、わずか半日で落城した。
≪ 写 真 ≫
山中城西ノ丸北西の障子堀
本丸
天守台
本丸下の段曲輪
本丸と北の丸の間の堀
北の丸
北の丸の深い堀
本丸と二ノ丸の間の畝堀
二ノ丸
二ノ丸櫓台
元西櫓と奥に西ノ丸
山中城趾碑
西櫓西側の畝堀
西櫓角馬出
西ノ丸と西櫓の間の障子堀
西ノ丸南側の畝堀
障子堀
西ノ丸
三ノ丸堀
出丸御馬場曲輪
出丸御馬場堀
一ノ堀
ツツジで書かれた山中城跡
岱崎出丸
すりばち曲輪見張台
すりばち曲輪
すりばち曲輪虎口
箱井戸跡
宗閑寺の北条方武将と豊臣方武将の墓
現地山中城跡案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線三島駅南口から沼津登山東海バス「元箱根港行き」で約30分「山名城跡」下車すぐ。
<車>
新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
山中城(山中城跡公園)
岱崎出丸
紹介したお城の数 222城
静岡の山城ベスト50を歩く | |
クリエーター情報なし | |
サンライズ出版 |
日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ) | |
福代徹,日本城郭協会 | |
学習研究社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます