丸子城
2014/5/4
静岡県静岡市のお城めぐり
今川氏七代氏親が斎藤氏の居城を拡張した駿府の支城
≪ お城の概要 ≫
城名: 丸子城
よみ: マリコ
別称: 鞠子城・宇津谷城・赤目ヶ谷砦・三角城
所在地: 静岡県静岡市駿河区丸子
現状: 山
築城年代: 応永年間(1394-1428)・明応二年(1493)
築城者: 斎藤安元・今川氏親
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・北曲輪・東曲輪・大鈩曲輪・袖曲輪・大手曲輪・外曲輪・馬出曲輪・三日月堀・大西堀・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・桝形虎口・喰違い虎口・平虎口
規模: 800m×350m、標高136m、比高100m
文化財:
訪城日: 2014/5/4
≪ 訪城記 ≫
ホテルから丸子城へ向かう。
静岡駅前を通る国道1号東海道に出て南西方向に進み、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場から徒歩で静清バイパス高架下をくぐり、駿府匠宿へ入り、駿府匠宿おもしろ体験館の南側の路地を西へ入って行った山裾に案内板のある登城口がある。
急な階段を登ること約10分で丸子稲荷神社に着く。縄張図付の説明板もあります。
ここから細長い尾根伝いの外曲輪(駐屯地)が続き、いきなり大手曲輪手前の三日月堀が目に入り、土橋を入ると大手曲輪、竪堀を挟み北曲輪に入ります。北曲輪の北側に高い土塁跡が残り、この土塁の北側に堀切があり、痩せた尾根が続きます。
北曲輪の南西側の堀切を挟んだ台地上の曲輪が三の丸、次に竪堀で区切られた二の丸、続いて堀切を越えたら本丸入口の桝形虎口、そして広い本丸に入ります。外曲輪から本丸まで約20分。
本丸桝形虎口の両脇に土塁跡が残り、西側奥に説明板があり、東側の平虎口から袖曲輪に続きます。西側には喰違い虎口を降りて馬出曲輪、大鈩曲輪に続き、この付近の深い空堀と大鈩曲輪の三日月堀は見ごたえがあります。さらに本丸西側下には横堀が続き、竪堀も多数あり感動します。
≪ 歴 史 ≫
応永年間 (1394-1428) 今川氏の被官斎藤加賀守安元によって築かれ、斎藤氏代々の居館としていたようです。
明応二年 (1493) 今川氏親が遠江・駿河への進出をするため、斎藤氏の丸子城を接収して府中防禦を固めるために城域の拡張をする。
永禄十一年十二月 (1568) 甲斐の武田信玄が駿河へ侵攻し、丸子城は今川勢が退き、武田方の城となり、山県昌景が駐屯する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄は駿河を平定し、丸子城に諸賀兵部大輔、関甚五兵衛を在番に置く。
天正六年 (1578) 城将が屋代勝永に代わる。
天正九年三月 (1581) 高天神城落城前に武田勢は徳川軍に城を開け渡し退去する。徳川家康は丸子城に松平備後守を入れる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城となる。
≪ 写 真 ≫
丸子城本丸
本丸土塁
本丸喰違い虎口
本丸平虎口
本丸桝形虎口
二の丸西側の横堀と土塁
本丸と二の丸の間の堀切
二の丸
二の丸と三の丸の間の堀切
北曲輪
北曲輪の土塁
北曲輪と大手曲輪の間の竪堀
大手曲輪
大手曲輪入口の土橋
大手曲輪の三日月堀
外曲輪(駐屯地)
袖曲輪
馬出曲輪
馬出曲輪と大鈩曲輪の間の堀切
大鈩曲輪の三日月堀
大鈩曲輪
本丸西側の横堀
大西堀
丸子稲荷神社
急な大手登城道
山裾の大手登城口
駿府匠宿おもしろ体験館からの入口
現地縄張図(リンク付サムネイル)
現地丸子城主郭見取図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約30分、吐月峰入口バス停下車。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC出口信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
≪ 位置図 ≫
丸子城
大手登城口(駿府匠宿おもしろ体験館)
紹介したお城の数 225城
2014/5/4
静岡県静岡市のお城めぐり
今川氏七代氏親が斎藤氏の居城を拡張した駿府の支城
≪ お城の概要 ≫
城名: 丸子城
よみ: マリコ
別称: 鞠子城・宇津谷城・赤目ヶ谷砦・三角城
所在地: 静岡県静岡市駿河区丸子
現状: 山
築城年代: 応永年間(1394-1428)・明応二年(1493)
築城者: 斎藤安元・今川氏親
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・北曲輪・東曲輪・大鈩曲輪・袖曲輪・大手曲輪・外曲輪・馬出曲輪・三日月堀・大西堀・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・桝形虎口・喰違い虎口・平虎口
規模: 800m×350m、標高136m、比高100m
文化財:
訪城日: 2014/5/4
≪ 訪城記 ≫
ホテルから丸子城へ向かう。
静岡駅前を通る国道1号東海道に出て南西方向に進み、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場から徒歩で静清バイパス高架下をくぐり、駿府匠宿へ入り、駿府匠宿おもしろ体験館の南側の路地を西へ入って行った山裾に案内板のある登城口がある。
急な階段を登ること約10分で丸子稲荷神社に着く。縄張図付の説明板もあります。
ここから細長い尾根伝いの外曲輪(駐屯地)が続き、いきなり大手曲輪手前の三日月堀が目に入り、土橋を入ると大手曲輪、竪堀を挟み北曲輪に入ります。北曲輪の北側に高い土塁跡が残り、この土塁の北側に堀切があり、痩せた尾根が続きます。
北曲輪の南西側の堀切を挟んだ台地上の曲輪が三の丸、次に竪堀で区切られた二の丸、続いて堀切を越えたら本丸入口の桝形虎口、そして広い本丸に入ります。外曲輪から本丸まで約20分。
本丸桝形虎口の両脇に土塁跡が残り、西側奥に説明板があり、東側の平虎口から袖曲輪に続きます。西側には喰違い虎口を降りて馬出曲輪、大鈩曲輪に続き、この付近の深い空堀と大鈩曲輪の三日月堀は見ごたえがあります。さらに本丸西側下には横堀が続き、竪堀も多数あり感動します。
≪ 歴 史 ≫
応永年間 (1394-1428) 今川氏の被官斎藤加賀守安元によって築かれ、斎藤氏代々の居館としていたようです。
明応二年 (1493) 今川氏親が遠江・駿河への進出をするため、斎藤氏の丸子城を接収して府中防禦を固めるために城域の拡張をする。
永禄十一年十二月 (1568) 甲斐の武田信玄が駿河へ侵攻し、丸子城は今川勢が退き、武田方の城となり、山県昌景が駐屯する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄は駿河を平定し、丸子城に諸賀兵部大輔、関甚五兵衛を在番に置く。
天正六年 (1578) 城将が屋代勝永に代わる。
天正九年三月 (1581) 高天神城落城前に武田勢は徳川軍に城を開け渡し退去する。徳川家康は丸子城に松平備後守を入れる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城となる。
≪ 写 真 ≫
丸子城本丸
本丸土塁
本丸喰違い虎口
本丸平虎口
本丸桝形虎口
二の丸西側の横堀と土塁
本丸と二の丸の間の堀切
二の丸
二の丸と三の丸の間の堀切
北曲輪
北曲輪の土塁
北曲輪と大手曲輪の間の竪堀
大手曲輪
大手曲輪入口の土橋
大手曲輪の三日月堀
外曲輪(駐屯地)
袖曲輪
馬出曲輪
馬出曲輪と大鈩曲輪の間の堀切
大鈩曲輪の三日月堀
大鈩曲輪
本丸西側の横堀
大西堀
丸子稲荷神社
急な大手登城道
山裾の大手登城口
駿府匠宿おもしろ体験館からの入口
現地縄張図(リンク付サムネイル)
現地丸子城主郭見取図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約30分、吐月峰入口バス停下車。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC出口信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
≪ 位置図 ≫
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大手登城口(駿府匠宿おもしろ体験館)
紹介したお城の数 225城
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