お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

大浦城

2014-10-01 05:54:38 | 北海道・青森県・岩手県
 大浦城

2014/9/15

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽氏と改称する大浦氏の本拠で発祥の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大浦城
よみ: オオウラ
別称: 八幡城・賀田城
所在地: 青森県弘前市五代早稲田
現状: 市立津軽中学校・住宅街
築城年代: 文亀二年(1502)
築城者: 南部光信
形式: 平城
遺構:
規模: 500m×250m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

石川城から大浦城へ向かう。

大仏公園第2駐車場を出て弘南鉄道大鰐線高架下をくぐり、約130mの三叉路を右折、細い道を進み突き当りの三叉路を左折、県道260号羽州街道を北西に進み、弘前城追手門付近へ戻り、追手門通り信号を外濠沿いに県道3号鰺ヶ沢街道を進み、岩木川を渡り、東奥信用金庫岩木支店角の賀田1丁目信号を右折してすぐの弘前市役所岩木庁舎駐車場に車を駐車する。

ここから徒歩でいったん賀田1丁目信号を右折、県道3号の歩道を約500m西進、五代早稲田信号を斜め深く右折、約150m進んだ津軽中学校へ入る道の角に大浦城趾碑と説明板があるのみです。


≪ 歴 史 ≫

文亀元年 (1501) 南部光信が大浦郷内の古城を大修築して翌二年(1502)、養子の南部盛信を大浦城に入れる。
大永七年 (1527) 南部光信が種里城で没し、大浦城の大浦盛信が跡を継ぐ。
天文七年 (1538) 盛信が没し、養嗣子としていた光信の孫政信が跡を継ぐ。
天文十年 (1541) 大浦政信が和徳城を攻め、城主小山内満春と戦い、両者とも討死してしまう。大浦城は子の為則が継いだが、やがて為則は為信を婿養子に迎え没し、為信が城主となる。
永禄十年 (1567) 為則は為信を婿養子に迎え没し、為信が城主となる。
元亀二年 (1571) 大浦為信が津軽統一をめざし大浦城を本拠に堀越城を足掛かりとして、石川城と和徳城を攻略する。
天正三年 (1575) 大光寺城を落す。
天正十七年 (1589) 為信が念願の津軽統一を成し遂げ、大浦氏を改め津軽氏を称する。
文禄三年 (1594) 本拠を堀越城に移す。
元和元年 (1615) 一国一城令により三の丸はなくなったが、本丸・二の丸・西の丸は残る。以後も廃城にはなったが弘前城の詰城として残る。


≪ 写 真 ≫


大浦城趾碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線弘前駅からバスで岩木庁舎前バス停下車、徒歩約10分。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡を左手に見ながら国道7号弘前バイパスを北西に進み、弘前市運動公園付近で側道に入り、運動公園入口交差点信号を左折、県道109号を西進、JR奥羽本線と弘南鉄道弘南線を越え、松森町付近交差点信号を右折、県道260号を北西に進み、一方通行の商店街を通り、弘前城に突き当たる追手門通り東T字路信号を左折、すぐに右折、外濠沿いに進み、追手門前を左折、追手門通り信号を直進、外濠沿いに県道3号鰺ヶ沢街道を進み、岩木川を渡り、東奥信用金庫岩木支店角の賀田1丁目信号を右折してすぐの弘前市役所岩木庁舎駐車場に駐車すると良い。岩木庁舎から徒歩約10分。


≪ 位置図 ≫

大浦城


紹介したお城の数 268城



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