お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

上田藩主屋敷

2013-06-02 05:05:32 | 長野県
 上田藩主屋敷

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 上田城三の丸にある歴代城主の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 上田藩主屋敷
よみ: ウエダハンシュ
別称:
所在地: 長野県上田市大手1丁目4-32
現状: 上田高等学校
築城年代:
築城者:
形式: 館
遺構: 表門・土塀・濠
規模: 東西135.5m、南北135.1m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、上田城の大手門跡から徒歩で上田藩主屋敷に向かう。

上田城の大手門跡である大手門公園から上田城のある西へ約150m行くと上田市役所の東側に上田高校へ入る道があり、約80m南へ行くと上田高校の正門に着く。ここの左側に濠跡があり、濠沿いに東へ約60m、右折して約60m南に表門がある。この区間は土塀と濠が残っている。
上田高校の敷地は上田城の三の丸跡です。
表門前に説明板があります。


≪ 歴 史 ≫

真田氏、仙石氏、藤井松平氏を通して上田藩主の居館があった。

≪ 写 真 ≫


表門


南からの濠と土塀


北からの濠と土塀


表門前の碑


表門全景

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道線、長野新幹線上田駅から徒歩約15分。
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を南西に進み、住吉交差点信号を直進、中央東交差点信号を斜め右折、国道18号を西進、上田城跡公園入口交差点信号を左折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。他にも駐車場が南の芝生広場側にある。駐車場から徒歩約5分。


≪ 位置図 ≫

上田藩主屋敷(上田高校)


紹介したお城の数 75城



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上田城

2013-06-01 05:29:24 | 長野県
 上田城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 徳川軍を二度も退けた真田氏の堅城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 上田城
よみ: ウエダ
別称: 伊勢崎城・尼ヶ淵城・真田城・松尾城
所在地: 長野県上田市二の丸
現状: 上田城跡公園
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 真田昌幸
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・小泉曲輪・現存西櫓・復元南櫓・復元北櫓・復元東虎口櫓門・二の丸東虎口・北虎口・空堀・水堀・石垣
規模: 本丸84m×100m、標高456m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/6/18・2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、ホテルを出て上田城へ向かう。

長野駅前を通って中御所北交差点信号を左折、国道19号を南下、犀川を渡り国道171号をさらに南下、青木島三叉路信号を斜めに左折、そのまま南下する。古戦場入口交差点信号を右折、国道18号を道なりに進み、上田市に入り上田城跡公園入口交差点信号を右折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。ここに車を駐車する。

二の丸橋の下に深い空堀があり、散策路になっている。橋を渡った東側道路沿いに上田城址碑と説明板がある。二の丸東虎口に帰り駐車場を西に通り過ぎると東虎口櫓門へ通じる橋から北サイドに水堀、南サイドに縁切りの石垣のある空堀を見られる。東虎口櫓門の入口の石垣に真田石があり、北に北櫓、南に南櫓が連なっている。この櫓群は有料250円で見学できる。
櫓門を入ると正面に真田神社があり社殿裏から真田井戸と西櫓に行ける。真田神社の北側水堀と土塁で囲まれた平地が本丸跡で東、北、西の土塁は高い、北東隅と北西隅には櫓跡がある。水堀の北東角土塁は鬼門を除ける隅欠けになっている。
本丸から西櫓を過ぎて、さらに西の体育館あたりが小泉曲輪で本丸との間に空堀跡がある。
西櫓から芝生広場へ降りる階段は急です。この階段を降りて尼ヶ淵と呼ばれる崖下の芝生広場から見上げる西櫓と南櫓はとても素晴らしく絵になります。
二の丸橋から大手通りを東へ約450m行った道の北側にある三角地が大手門公園で大手門跡です。


上田城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

小県郡の土豪小泉氏が小泉曲輪付近に出城を築いたと言われている。
天文十九年七月 (1550) 真田幸隆が武田晴信から上田城周辺の地を得る。
天文二十二年八月 (1553) 上田城に近接する地を晴信から与えられる。
天正十一年 (1583) 真田昌幸が上田城を築城する。
天正十三年 (1585) 第一次上田城合戦で大久保忠世ら率いる徳川勢7000余を退ける。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の前哨戦、第二次上田城合戦で徳川秀忠軍をまたも退け、足止めをして関ヶ原本戦に間に合わせなかった。
関ヶ原合戦の後、上田城は依田信守に管理され、破却されている。その後、真田信之に与えられたが三の丸に構えた館で藩政を執った。
元和八年八月 (1622) 真田信之は松代に転封となり、代わり仙石忠政が入り三代続き、城を復興した。
宝永三年 (1706) 仙石氏が但馬出石へ移封になり、代わり藤井松平氏松平忠周が城主となり七代続き、明治維新により廃城となるが西櫓のみ解体を免れ現存する。
昭和二十四年 (1949) 遊郭にあった南櫓と北櫓を城内に移築復元する。
平成六年 (1994) 東虎口櫓門を復元する。


≪ 写 真 ≫


二の丸橋


二の丸橋入口にある上田城址碑


二の丸橋の下の空堀


二の丸東虎口


本丸橋から東虎口櫓門、南櫓、北櫓


南櫓


本丸橋の下南側空堀


本丸橋の下北側水堀


東虎口櫓門


真田石


真田神社


本丸


本丸東側土塁


本丸北東隅櫓跡


本丸北側土塁


本丸北西隅櫓跡


本丸西側土塁


本丸側からの西櫓


小泉曲輪東側の空堀


小泉曲輪の体育館


芝生広場側からの西櫓と石垣


西櫓


芝生広場側からの南櫓と石垣


真田井戸


水堀


本丸土塁北東の隅欠


大手門公園


現地上田城公園案内板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道線、長野新幹線上田駅から徒歩約20分。
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を南西に進み、住吉交差点信号を直進、中央東交差点信号を斜め右折、国道18号を西進、上田城跡公園入口交差点信号を左折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。他にも駐車場が南の芝生広場側にある。


≪ 位置図 ≫

上田城


小泉曲輪


大手門公園


紹介したお城の数 74城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




長野の山城ベスト50を歩く
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サンライズ出版