お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

葛尾城

2013-06-08 11:39:28 | 長野県
 葛尾城

2013/5/5  信州北部遠征(3泊4日)

長野県坂城町のお城めぐり

 武田軍を二度破った村上義清の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 葛尾城
よみ: カツラオ
別称:
所在地: 長野県埴科郡坂城町坂城
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・段郭・土塁・堀切・竪堀
規模: 標高816.5m、比高386.5m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/5


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  3日目、ホテルから葛尾城へ向かう。

長野駅前を通って中御所北交差点信号を左折、国道19号を南下、犀川を渡り国道171号をさらに南下、青木島三叉路信号を斜めに左折、そのまま南下する。古戦場入口交差点信号を右折、国道18号を道なりに進み、坂城町に入ると右に千曲川、左に葛尾城のある山並みを見ながら山裾が切れる付近の三叉路を左折、山裾の狭い道を北東に進み、しなの鉄道の下をくぐり、次の三叉路を左折、山裾道をほぼ北へ登っていくと約500mで坂城神社の前に到着する。神社前の空き地に車を駐車させてもらう。坂城神社の北側に専用駐車場がある。

ここから徒歩で坂城神社の東側の道を進み、神社の裏側に出ると村上氏城館跡に碑のある西向きの登城口があり、ここから登っていく、途中、近道の分岐点があり私はこのまままっすぐに行くことにする。ちなみに帰り近道で降りたが非常に急な滑りやすい尾根を登る道です。
竪堀の見られる案内板辺りからつづれ折りの道をひたすら登ること約30分で岩肌の出た葛尾城と姫城の分岐点に到着する。登り口の案内や途中の案内にでてくる姫城が気になっていて、ここから姫城へ向かうことにする。
山裾の踏みつけ道を降りていくと堀切に出る。立派な堀切を越えてさらに山裾道を進むと約10分で姫城への案内板のある分かれ道に出る。ここから南へ約100m進むと両側を堀切で挟まれた姫城の郭に出る。郭には説明板が建てられている。姫城の手前の削平地は馬場がある。
姫城をあとにして岩肌の出た尾根に帰り、葛尾城を目指す。約30分で本丸前の段郭に出る。堀切を挟み一段高い頂上が本丸跡で細長い台状地の北側に祠、南側に東屋があり、東屋の屋根の裏側に説明板が張ってあり、郭の中央西側に葛尾城址碑が建てられている。
北側の切岸に架けられた階段を降りて堀切、削平地を越えて、さらに北へ進むと堀切、削平された尾根の連続で石塁跡と思われる石が転がっている土橋状の尾根を越えると林道へ出る。ここにも説明板がある。
引き返し本郭の東側の降り口(近道)で下山する。


≪ 歴 史 ≫

葛尾城がいつ頃築城されたは定かではないが、天文十七年(1548)の上田原の戦い、同十九年(1551)の砥石崩れで武田軍を破った頃には東北信地方に最大の勢力を誇った村上義清の居城となっている。
天文二十二年 (1553) 武田軍の攻撃によって村上義清は葛尾城を去り、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り越後に逃れた。
出城の姫城については葛尾城よりも後に築城されたようです。


≪ 写 真 ≫


坂城神社


坂城神社北側の登城口


近道との分岐点


つづれ折れ道前の竪堀


つづれ折れ道


岩肌の見える尾根の葛尾城と姫城の分岐点


岩肌の見える尾根道


姫城へ向かってすぐの竪堀


姫城案内板のある分岐点


姫城北側の堀切


姫城南側の堀切


姫城の主郭


姫城の馬場


葛尾城主郭前の段曲輪


主郭入り口前の堀切


主郭にある葛尾城址碑


葛尾城主郭


本郭北側の切岸


本郭北側降りてすぐの堀切


本郭北側の曲輪


本郭北側の曲輪北側の堀切


石塁跡


石塁跡を越えた土橋


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道坂城駅から坂城神社まで徒歩約10分。葛尾城まで約1時間。
<車>
上信越道坂城ICを降りて県道91号を西進、坂城IC入口三叉路を右折、国道18号を北上、田町交差点信号を右折、JRしなの鉄道を越えて、次の交差点を左折、約200m北上し変速交差点を左折、西進し坂城駅前の三叉路を右折、そのまま北上、途中県道が左に折れているがそのまま狭い道を約300m北上すると坂城神社に着く。神社の東側に道を北へ約100mで葛尾城の登城口、さらに川沿いに少し北へ行くと専用駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

坂城神社北側の登城口


葛尾城


姫城


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長野の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
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米山城

2013-06-07 05:05:46 | 長野県
 米山城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 村上氏の砥石城の出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 米山城
よみ: コメヤマ
別称:
所在地: 長野県上田市住吉
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・石垣
規模:
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、砥石城から出城の米山城に向かう。

砥石城の南側の虎口から急な下り階段を降りて馬の背のような尾根に着き、今度は逆に非常に急な斜面をロープを伝いながら上り詰めた頂上が米山城の本郭で、手前の北側斜面に石垣跡が残っている。
本郭から南へ段に二の郭、三の郭、金剛寺方面からの登城道となっている。
砥石城からの馬の背状の尾根からも東へ登城道がある。
本郭の北側中央に村上義清公の碑、北からの急な登り口付近に説明板と米山城址碑が建てられている。


≪ 歴 史 ≫

築城時期は砥石城と共にはっきりしないが、天文十九年(1550)の「砥石崩れ」のときには、砥石城と共に村上義清勢が籠城して、武田晴信軍を撃退している。翌二十年(1551)には真田幸隆の調略によって砥石城と共に武田軍の手に落ちている。

≪ 写 真 ≫


砥石城方面からの急な上り坂


北面の石垣跡


村上義清公の碑


米山城址碑


本郭


二の郭、三の郭

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。
砥石城と一緒に訪城するとよい。


≪ 位置図 ≫

米山城


登城口の陽泰寺


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砥石城

2013-06-05 05:11:30 | 長野県
 砥石城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 「砥石崩れ」で有名な村上義清の拠点となったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 砥石城
よみ: トイシ
別称: 戸石城・伊勢崎城
所在地: 長野県上田市上野
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 砥石城・本城・桝形城・段曲輪・馬場・堀切・土塁・石垣
規模: 標高791m(桝形城)
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、真田館から砥石城へ向かう。

真田館の駐車場を出て細い丘陵地の道を西へ西へと向かい、国道144号へ出て南へ、真田氏発祥の郷を通り、神川を渡り、伊勢山の集落へ入る信号を右折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。ここに車を駐車させてもらう。

駐車場から徒歩で陽泰寺前の道を北へ約300m行った道の左側に三角形の石柱の案内板があり、そこが砥石城の大手道の登城道でつづら折れの山道を10分程登ると桝形城と本城の分かれ道に出る。
まずは右側の桝形城へ向かう。尾根道を登っていくと一番高い場所の非常に急な坂道の下へ出る。用意してあるロープをたどりながら頂上に着くと台地状の削平地に出る。ここが砥石城北端の要害、桝形城で北の端に堀切を挟んで小さな出曲輪がある。現在、北の諸城を見渡す展望台になっていて、見渡せるお城の案内板が建ててある。
引き返して本城へ向かう。
引き返してすぐに立派な堀切のある場所に出る。この堀切を渡ったところが本城の曲輪でちょうど分かれ道の上の当りです。
北の堀切方向に土塁の跡があります。さらに南への降口に石垣跡が残っています。ここから馬場までの間に段曲輪が扇状に何段もあり壮観です。馬場は千畳敷のような広さで大手口と考えられています。
さらに尾根を南に行くと手前に堀切のある一段高い場所に出る。ここが砥石城の曲輪です。ここも険しい上り坂でロープを伝って頂上へ出ると、ここも台地状の削平地で中央に説明板と南側に砥石城址碑が建てられていて、南の諸城を見渡すことができ、見渡せるお城の案内板が建っています。
このお城は村上義清が武田晴信(信玄)を敗退させた戦い「砥石崩れ」として有名な堅固な城です。
砥石城から南へ急な坂道を降りて、また登ると米山城です。
他にも登城ルートがいくつかあるようです。


≪ 歴 史 ≫

築城時期ははっきりしない。
天文十年 (1541) 海野平合戦の頃には村上義清の拠点となっている。
天文十九年八月 (1550) 武田晴信が村上義清の砥石城を攻めるが、落すことが出来ず、引き揚げ時に村上勢の追い打ちを受け、歴代の諸将を失った。この戦いを「砥石崩れ」と言う。
天文二十年 (1551) 真田幸隆が調略をもって砥石城を攻略する。以後、真田氏の拠点となり、真田昌幸による上田城築城以降も上田城の背後の固めの城として重要視された。
慶長五年 (1600) 第二次上田合戦の時のも砥石城が使われたようです。


≪ 写 真 ≫


登城口の陽泰寺


大手道の登り口


桝形城と本城の分かれ道


桝形城へ向かう尾根道


桝形城虎口


桝形城の曲輪


桝形城北端の出曲輪


桝形城と出曲輪の間の堀切


出曲輪からの桝形城


本城北側の堀切


本城北側の土塁跡


本城の曲輪


本城南側虎口の石垣跡


本城南側に広がる段曲輪


本城南側虎口


段曲輪


馬場(大手口)


砥石城手前の堀切


砥石城の切岸


砥石城の曲輪にある砥石城址碑


砥石城の曲輪

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。


≪ 位置図 ≫

砥石城


桝形城


登城口の陽泰寺


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真田館

2013-06-04 05:37:19 | 長野県
 真田館

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 周囲を支配する城に守り固められた真田氏の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 真田館
よみ: サナダ
別称: 御屋敷
所在地: 長野県上田市真田町本原
現状: 御屋敷公園
築城年代: 天正年間以前
築城者:
形式: 館
遺構: 東曲輪・西曲輪・大手門跡・搦手門跡・東門跡・厩跡・土塁・石塁・堀跡
規模: 150-160m×100-130m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、真田本城から真田館へ向かう。

真田本城から真田本城の案内板のある県道4号へ出る入り口を左折、約1km南進した真田氏歴史館の案内板のある交差点を右折、約200mで真田氏歴史館へ着く。歴史館の駐車場が一杯だったので西へ約300m行った真田氏館の大手門跡を過ぎた空き地の駐車場へ車を駐車する。

車を止めた駐車場からすぐのところに真田氏館大手門跡で、石垣の残る大手門跡から中に入ると芝生が植えられ綺麗に刈られている広い周りを土塁で囲まれた緩やかな斜面がある。ここが西曲輪で入り口の縄張図付の説明板がある。
西曲輪の北西隅に土塁で囲まれた一角があり、ここが厩跡です。
現在、西曲輪はマレットゴルフ場になっています。
北側に搦手門跡、その北側の渓流は堀跡です。
大手門から搦手門へ通じる真ん中の道から東側が東曲輪で中央に皇太神社の社殿があり、南東隅に東門跡があります。東曲輪も周りを土塁で囲まれています。
全体的に東から西へ緩やかな傾斜した地形に築造されて、良く土塁が残っています。
入り口にあった真田氏歴史館を見学しました。入場料は200円です。


真田氏歴史館の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正年間(1573-92)以前に真田氏の居館として築城されたようです。

≪ 写 真 ≫


真田館大手門跡


西曲輪


西曲輪の土塁


西曲輪北西の厩跡


北側渓流地の堀跡


搦手門跡


東曲輪中央の皇太神社


東曲輪南東の東門跡


東曲輪の土塁


真田氏歴史館


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、荒井交差点信号を右折、県道35号を南下、右に大きく曲り次に左に大きく曲がったら南東に進むと真田氏歴史館に着く。歴史館の西側斜面に真田館跡がある。歴史館に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

真田館


真田氏歴史館


紹介したお城の数 77城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
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廣済堂出版

真田本城

2013-06-03 05:07:02 | 長野県
 真田本城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 真田氏の中心的な居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 真田本城
よみ: サナダホン
別称: 松尾の城・松尾城・真田城・住蓮寺城
所在地: 長野県上田市真田町長
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・段曲輪・土塁
規模: 標高880m、本郭15m×35m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、上田城から真田本城へ向かう。

上田城の二の丸駐車場を出て上田城東の道を北上、上田城跡公園入口交差点信号を右折、国道18号を東進、中央東交差点信号を斜め左折、国道144号を東に向かい、途中から北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、山の方へ登って行き横沢三叉路信号を大きく右折、県道4号を南下、山の中の広い道を進み、山裾を大きく右に迂回した先に真田本城への案内板があり、東の山側へ入って行く、約350mで集落の突き当りを大きく左に曲がり、狭い道を登っていくと真田本城前の車7~8台止められる空き地に着く。空き地は車で一杯でしたがなんとか駐車しました。

空き地から西に真田氏本城跡の木製標柱の場所が登城口です。
ここから西へ段曲輪の右側の緩やかな登り道を登ると本郭前に真田氏本城址碑と説明板があり、郭の裾を左に回って本郭に登れます。
本郭の南側に土塁跡があり、北に二の郭、三の郭と細長い削平地が続いています。
両側は急な崖になっていてますが、見晴らしは最高に良いです。西方には砥石城が見られます。
本郭に戻って、南側はなだらかな段曲輪が何段も続きます。


≪ 歴 史 ≫

真田の地に居を構えた真田氏の中心城として天正十一年(1583)の真田昌幸による上田城築城まで居城であった。

≪ 写 真 ≫


真田本城の登城口


本郭東側の段曲輪と登城道


本郭前の真田本城址碑


本郭


本郭南側の土塁


本郭の虎口


二の郭


二の郭の虎口


三の郭


本郭南側の段曲輪


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、荒井交差点信号を右折、県道35号を南下、右に大きく曲り次に左に大きく曲がったら南東に進む、真田氏館跡の真田氏歴史館を通り過ぎた三叉路を左折、県道4号を約1km北上したら真田本城への案内板があり、東の山側へ入って行く、約350mで集落の突き当りを大きく左に曲がり、狭い道を登っていくと真田本城前の車7~8台止められる空き地に着く。


≪ 位置図 ≫

真田本城


案内板のある登り口


紹介したお城の数 76城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社