お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

大黒丸城

2014-09-12 05:55:55 | 福井県
 大黒丸城

2014/9/6

福井県福井市のお城めぐり

 足利(斯波)高経に従って但馬国から越前へ入った越前朝倉氏六代の根拠地

≪ お城の概要 ≫

城名: 大黒丸城
よみ: ダイクロマル
別称: 三宅黒丸城・黒丸城
所在地: 福井県福井市三宅町
現状: 墓所・広場・山
築城年代: 鎌倉時代
築城者: 朝倉広景
形式: 平城
遺構:
規模: 約70m×70m
文化財:
訪城日: 2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

小黒丸城から大黒丸城へ向かう。

小黒丸城跡西側の道を北上して国道416号へ出てすぐに大きく右へ曲がり、九頭竜川に架かる高屋橋を渡り、今度は左へ大きく曲がり、西進してもう一度、日野川と合流した九頭竜川を渡り、大きく右に曲がり北上、突き当りの布施田三叉路信号を右折、黒丸城バス停付近の三叉路を左折、細い道を北上して三宅町に入り、集落中央付近の広場と裏山のある付近で車を路上駐車する。
広場の西端と民家の間に古びた墓があり、その前に大黒丸城の説明板がある。
この付近が城跡のようですが、裏山の入口付近に入ってみましたが何もありませんでした。広場の北西端に祠がありました。


≪ 歴 史 ≫

建武四年 (延元二、1337) 足利(斯波)高経に従って、但馬国朝来郡から朝倉広景が越前に入り、黒丸城を構える。
文明年間 (1469-87) 七代孝景が一乗谷に本拠地を移す。


≪ 写 真 ≫


大黒丸城説明板付近


広場北西端の祠

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線福井駅からバスで黒丸城バス停下車、徒歩約5分。
<車>
北陸道福井北ICを降りて南下、福井北IC南交差点信号を右折、北陸道高架下をくぐり西進、県立歴史博物館前を通ってえちぜん鉄道三国芦原線の踏切を渡り、堀ノ宮交差点信号を右折、国道416号のまま北上、黒丸町付近で道が大きく右へ曲がり、九頭竜川に架かる高屋橋を渡り、今度は左へ大きく曲がり、西進してもう一度、日野川と合流した九頭竜川を渡り、大きく右に曲がり北上、突き当りの布施田三叉路信号を右折、黒丸城バス停付近の三叉路を左折、細い道を北上して三宅町に入り、広場と裏山のある付近が大黒丸城跡で、路上駐車するしかない。


≪ 位置図 ≫

大黒丸城


紹介したお城の数 262城



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小黒丸城

2014-09-11 05:56:25 | 福井県
 小黒丸城

2014/9/6

福井県福井市のお城めぐり

 南北朝争乱期の足羽の合戦の舞台となった北朝方の足羽七城の一つ

≪ お城の概要 ≫

城名: 小黒丸城
よみ: オグロマル
別称: 郡黒丸城・黒丸城
所在地: 福井県福井市黒丸町
現状: 住宅地角
築城年代: 建武四年(延元二、1337)頃
築城者: 足利(斯波)尾張守高経
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

越前勝山城から小黒丸城へ向かう。

勝山市役所を出て昭和町1丁目交差点信号を左折、県道17号を西進、伊波交差点信号を左折、国道416号勝山街道を西進、堀名三叉路信号を斜め左折、九頭竜川沿いを西進して市荒川大橋北詰信号前で大きく左に曲がり、九頭竜川に架かる市荒川大橋を渡りすぐの三叉路信号を右折、国道416号のまま西進、牧福島交差点信号を右折、永平寺町役場前を通り、福井北IC北交差点信号を左折、北陸道福井北IC入口前を通って南下、福井北IC南交差点信号を右折、北陸道高架下をくぐり西進、県立歴史博物館前を通ってえちぜん鉄道三国芦原線の踏切を渡り、堀ノ宮交差点信号を右折、国道416号のまま北上、黒丸町付近で道が大きく右に曲がる前の交差点を左折して約150m南下した黒丸町集落へ入る道の角北側の盛り上げた小公園の上に小黒丸城趾碑と説明板があるのみで遺構はない。
説明板によると、ここより北50mの水田付近が城跡だそうです。

車は道路の端に駐車しました。


≪ 歴 史 ≫

建武四年 (延元二、1337) 南朝方の新田義貞に備え、北朝方の足利(斯波)尾張守高経が足羽七城をを築き、その中心の砦として小黒丸城を築く。
建武五年 (延元三、1338) 越前府中攻防戦で足利高経の籠る越前の府が落ち、足羽の城に退く。府中落城により新田義貞の足羽の城攻めが始まり、第一回目の足羽の合戦は守側の足利方の勝利に終わる。第二回目の合戦では、新田義貞が燈明寺畷討死して足利方が勝利する。
建武六年七月 (延元四、1339) 新田義貞の弟脇屋義助が兵を挙げ、黒丸城を囲み、足利(斯波)高経は黒丸城を捨て加賀に落ちる。


≪ 写 真 ≫


小黒丸城趾碑


小黒丸城趾碑のある小公園

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
えちぜん鉄道三国芦原線新田塚駅から徒歩約2.1km、約40分。
<車>
北陸道福井北ICを降りて南下、福井北IC南交差点信号を右折、北陸道高架下をくぐり西進、県立歴史博物館前を通ってえちぜん鉄道三国芦原線の踏切を渡り、堀ノ宮交差点信号を右折、国道416号のまま北上、黒丸町付近で道が大きく右に曲がる前の交差点を左折して約150m南下した黒丸町集落へ入る道の角北側の盛り上げた小公園に小黒丸城址碑がある。車は道路脇に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

小黒丸城


紹介したお城の数 261城


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越前勝山城

2014-09-10 05:57:32 | 福井県
 越前勝山城

2014/9/6

福井県勝山市のお城めぐり

 柴田勝家の養子勝安の築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 越前勝山城
よみ: カツヤマ
別称: 勝山城・袋田城
所在地: 福井県勝山市元町1丁目5-16
現状: 勝山市民会館・勝山市役所・中央公園
築城年代: 天正八年(1580)
築城者: 柴田勝安(勝政)
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

亥山城から越前勝山城へ向かう。

藩主隠居所西側の駐車場を出て北側の道を東進、突き当りのT字路を左折、一番通りを北上、水落町交差点信号を右折、次の三番交差点信号を左折、県道240号を北上、中野町2付近でY字路信号を斜め右折、九頭竜線高架下をくぐり北東へ進み、中津川三叉路信号を直進、永平寺大野道路下をくぐり、国道157号を北東に進み、南新在家付近で県道170号になり直進、川を渡ったT字路を右折、川沿いの山裾を左回りして下荒井交差点信号を右折、九頭竜川に架かる下荒井橋を渡り、国道157号を北上、旭町交差点信号を左折、西進して元町2丁目付近の交差点信号を右折、昭和町1丁目付近「ゆめおーれ勝山」角の交差点信号を左折した突き当りが勝山市役所で、北側に勝山市民会館がある。勝山市役所の駐車場に車を駐車する。

勝山市民会館前庭付近が天守台跡で越前勝山城趾碑と説明板があるのみで遺構はない。
説明板によると市役所一帯が城跡のようです。

勝山市にはお城風の勝山城博物館があるので、そちらへ向かう。

市役所を出て来た道を戻る。「ゆめおーれ勝山」角の交差点信号を右折、次の元町交差点信号を左折、突き当りの三叉路信号を右折、国道157号を南下、猪野交差点信号を左折、南東に約400m進んだ道の右側にとても大きく立派な白亜のお城が建っている。ここが勝山城博物館です。


≪ 歴 史 ≫

天正八年 (1580) 柴田勝家の養子勝安(勝政)が築城する。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳の戦いに敗れ勝政は討死、戦後、羽柴秀吉の臣成田重政、長谷川秀一が居城する。
慶長六年 (1601) 徳川家康の次男結城秀康が越前に入部し、勝山城には林長門守、矢野伝左衛門らが居城する。
元禄四年 (1691) 小笠原貞信が勝山城に入り、勝山藩が成立したが、城はなかったようです。
宝永六年 (1709) 旧城の再建という名目で築城が許可されたが、天守は築かれなかった。勝山藩は明治維新まで続く。


≪ 写 真 ≫


越前勝山城趾碑


越前市民会館前庭


勝山城博物館


現地説明板図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
えちぜん鉄道勝山永平寺線勝山駅から徒歩約15分。
<車>
北陸道福井北ICで降りて北上、福井北IC北交差点信号を右折、国道416号勝山街道を東進、牧福島交差点信号を斜め左折、九頭竜川沿いに出て突き当りの荒川三叉路信号を左折、九頭竜川に架かる市荒川大橋を渡り、市荒川大橋北詰信号を過ぎて右に大きく曲り、九頭竜川沿いに東進、堀名三叉路信号を斜め右折、国道416号勝山街道のまま東進、滝波町交差点信号を直進、県道261号勝山街道を進み、長山町交差点信号を右折、県道131号を南西に進み、沢町交差点信号を左折、県道17号を南東に進み、昭和町1丁目付近「ゆめおーれ勝山」角の交差点信号を右折した突き当りが勝山市役所で、北側に勝山市民会館がある。勝山市役所の駐車場に車を駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

越前勝山城(勝山市民会館)


勝山城博物館


紹介したお城の数 260城



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亥山城

2014-09-09 05:57:12 | 福井県
 亥山城

2014/9/6

福井県大野市のお城めぐり

 南朝方の堀口氏政が構えた居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 亥山城
よみ: イヤマ
別称:
所在地: 福井県大野市日吉町
現状: 日吉神社
築城年代: 延元四年(1339)
築城者: 堀口氏政
形式: 居館
遺構: 堀跡
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

越前大野城から徒歩で亥山城に向かう。

藩主隠居屋敷前の道を東へ約550m進んだ道の南側に日吉神社があり、ここが亥山城跡です。
神社入口の石板の御由緒書きに記されていて、神社の南側に堀跡の池があり、神社敷地と池の間に木製の亥山城趾碑があるのみで、他に遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

延元四年 (1339) 南朝方の堀口氏政が居館を築く。のちに甲斐八郎、斯波義敏が居館する。元亀、天正の初めころには朝倉義景の臣土橋(朝倉)景鏡、杉浦壱岐、原彦次郎が居館する。

≪ 写 真 ≫


亥山城(日吉神社)


亥山城趾碑


堀跡の池

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR越美北線越前大野駅から徒歩約10分。
<車>
北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。ここから東へ徒歩約550mで日吉神社に着く。ここが亥山城跡です。


≪ 位置図 ≫

亥山城(日吉神社)


紹介したお城の数 259城



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越前大野城

2014-09-08 06:06:13 | 福井県
 越前大野城

2014/9/6

福井県大野市のお城めぐり

 金森長近が築き、のちに結城秀康の子らや土井利勝の四男土井利房が居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 越前大野城
よみ: エチゼンオオノ
別称: 大野城・亀山城
所在地: 福井県大野市城町
現状: 亀山公園
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 金森長近
形式: 平山城
遺構: 模擬天守・本丸・天守城門・復元城門・麻木櫓跡・武具蔵跡・塩硝蔵跡・石垣・武者登り・お福池・藩主隠居所・武家屋敷旧内山家
規模: 約420m×約500m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/10/28・2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

自宅から越前大野城へ向かう。

北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から裁判所北側の道を西進すると柳廼社の鳥居があり、南登り口の案内板がある。参道を進んで大野市郷土歴史館前を通り柳廼社社殿の左側を抜けると南登り口に着く。
南登り口には説明板と復元城門があり、城門を通って百坂の登り道を上がると土居利忠公像のある南側の小さな郭に着く。
北側の橋を渡り遊具のある本丸下の郭から階段を登り、本丸城門、左側の武具蔵跡の石垣、入ると小天守前に出る。
お福池に映る小天守と金魚が素敵です。
模擬天守を見学。入場料は200円です。最上階から西を展望すると戌山城址の犬山が見降ろせます。
本丸北側に塩硝蔵跡、東側に石垣が張出て先端南側に武者登りがあり、東へ続く郭にはぬらりひょんに似たマンガチックな金森長近の像があり、郭下の石垣前に越前大野城址碑が建ってます。そこから東に続く郭の先に麻木櫓跡、その下の遊具のある郭、その下の亀山観音像が並ぶ郭、その下に降りていくと北登り口になります。
明倫前には武家屋敷旧内山家があります。

駐車場から南に約300mに朝倉義景墓所があります。途中に名水百選の御清水があります。


越前大野城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 金森長近が織田信長から大野郡三分の二を与えられ、亀山に築城する。のち、飛騨高山に移り、長谷川秀一、青木一矩の居城となる。
文禄元年 (1592) 織田信雄の子織田秀雄が城主となる。
慶長六年 (1601) 徳川家康の次男結城秀康が越前に入部し、家臣土屋昌明が越前大野城の城代として入る。
慶長十二年 (1607) 福井藩主結城秀康が死去し、土屋昌明も殉死、子の土屋忠次が継ぐ。
慶長十四年 (1609) 父の殉死が禁に触れて改易、土屋忠次は追放される。代わって小栗正勝が入る。
元和九年 (1623) 結城秀康の三男松平直政が越前大野城に入る。
寛永十年 (1633) 松平直政が信濃松本に移り、代わって結城秀康の四男松平直基が入る。
正保元年 (1644) 松平直基が出羽山形に移り、代わって結城秀康の六男松平直良が入る。
延宝六年 (1678) 松平直良の跡を三男松平直明が継ぎ城主となる。
天和二年 (1682) 松平直明が明石に移り、代わって大老土井利勝の四男土井利房が入る。
天和三年 (1683) 土井利房が死去し、利知が十歳で家督を継ぐ。
寛保三年 (1743) 利知が隠居し、土井利寛が家督を継ぐ。
延享三年 (1746) 利寛が死去し、土井利貞が六歳で家督を継ぐ。
安永四年 (1775) 大火によって天守閣を焼失。
寛政七年 (1795) 天守を除いて再建される。
文化二年 (1805) 利貞が隠居し、婿養子の彦根藩主井伊直幸の十男土井利義が家督を継ぐ。
文化七年 (1810) 利義が隠居し、養子の下総関宿藩主久世広誉の十一男土井利器が家督を継ぐ。
文政元年 (1818) 利器が死去し、利義の長男土井利忠が八歳で家督を継ぐ。
文久二年 (1862) 利忠が隠居し、利恒が家督を継ぎ、明治維新を迎える。
明治六年 (1873) 廃城令により、取り壊される。
昭和四十三年 (1968) 天守が再建される。


≪ 写 真 ≫


越前大野城


模擬天守と小天守


小天守


お福池に映る小天守と金魚


入場口


天守閣石垣


武者登り


天守南側通路と石垣


金森長近公像


越前大野城址碑


塩硝蔵跡


武具蔵跡


天守城門


天守城門横の石垣


土井利忠公像


南登り口の復元城門


登り口


藩主隠居所


麻木櫓跡


亀山観音像


北登り口


武家屋敷旧内山家


越前大野城天守


朝倉義景墓所


朝倉義景公墓


現地亀山公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR越美北線越前大野駅から徒歩約20分。
<車>
北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。麓から天守まで徒歩約30分。


≪ 位置図 ≫

越前大野城


藩主隠居所


朝倉義景墓所


紹介したお城の数 258城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
中山良昭
廣済堂出版




あやしい天守閣 (イカロス・ムック)
かみゆ歴史編集部
イカロス出版