浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

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印光老法師は一生因果教育を提唱された

2013-11-16 | 【因果の教育】


印光老法師一生提倡因果教育 / 印光老法師は一生因果教育を提唱された
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一三四集)2010/9/5 檔名:02-039-0134

現代人不知道因果可怕,敢造罪業。今天社會這麼亂,最主要的一個原因是殺生。凡是有生命的這些眾生,我們一般講動物,你殺牠,牠沒有怨恨嗎?牠沒有抵抗的能力,被你殺了,被你吃了,牠甘心情願嗎?如果不甘心、不情願,牠能不報復嗎?尤其是殺人,現在每天殺的人多少?最明顯的例子,墮胎,墮胎是殺人,不是殺別人,殺自己的兒女,全世界每天有多少,這還得了嗎?每年殺多少。他跟你有緣,他來做你的兒女,如果是報恩的,你把他殺掉,變成仇人;他是來報怨的,你把他殺掉,仇恨更深,那個怨氣還得了!他是來討債或者來還債的,債務上的糾紛,現在又變成殺業,又變成討命債,這還得了!懂因果的人決定不敢幹這個事情,太可怕了!
現代人は因果の恐ろしさを知らず、罪業を犯すことを恐れません。今日の社会がこれほど乱れている、その最も主要な原因の一つは殺生です。およそ命ある衆生、私たちは一般に動物と言いますが、あなたが動物を殺して、動物たちは恨みを持たずにいられるでしょうか?動物には抵抗する能力がなく、あなたに殺され、あなたに食べられます。動物はそれを心から願うでしょうか?もし心から願うのではなければ、報復しないでいられるでしょうか?特に今、毎日どれほどの人を殺しているでしょうか?最も明らかな例は、堕胎です。堕胎は殺人です。他人を殺すのではなく、自分の子どもを殺しています。全世界で毎日どれほどあるでしょうか。これは大変なことではないですか?毎年どれほど殺しているでしょうか。その子はあなたと縁があり、あなたの子どもとしてやって来ました。もし報恩(恩返し)に来たのなら、その子を殺せば(恩人から)仇に変わってしまいます。その子が報怨(仕返し)に来たのなら、その子を殺せば恨み辛みは更に深くなり、その恨みは凄まじいものになります!その子が討債(取立て)や還債(返済)に来たのなら、債務上の紛糾は殺生の業に変わり、また命を取りにやって来ます。これは大変なことです!因果を理解する人は絶対にこのような事はできません。とても恐ろしいことです!

我們現在空中的污染,你每天看到天上灰濛濛的,這什麼東西?冤氣,不是別的。人今天所幹的事情,連畜生都不如!畜生,獅子、老虎不吃自己的兒女,不會傷害牠,今天的人造的這個業連畜生都不如,多可怕!冤冤相報沒完沒了,這個麻煩多大。吃一切動物就更不必說了,沒有一個動物是甘心情願拿自己身體來供養你的,你去殺牠,你要吃牠,牠知道,牠想辦法逃命,逃不掉!被你殺了,被你吃了。一切惡業,殺生擺在第一,五戒頭一條不殺生,十善頭一條也是不殺生,所以大小乘戒律裡,第一條肯定都是不殺生,這是諸佛如來的大慈大悲,時時刻刻在提醒我們,決定不能造這個罪業。蚊蟲螞蟻都是有生命的,不要小看牠,那也是一條命。常常殺生的人,第一個,肯定身體不好,多病,多災多病,來生三途果報,他怎麼能逃得了!在這一生,無論什麼時候,都有這些冤親債主跟在你身上,你的日子能好過嗎?這些話不是危言聳聽,是事實真相。
今は空気中の汚染があり、空が薄暗くどんよりしているのが毎日見られます。これは何でしょう?恨みです。他のものではありません。今日では人が毎日していることは、畜生(動物たち)にも及びません!獅子、虎は自分の子どもを食べません。子どもを傷つけることはしません。今の人が造り出している業は、畜生にも及びません。恐ろしいことです!お互いに恨みあって切りがありません。これはどれほど面倒なことでしょうか。一切の動物を食べることは、尚更言うまでもありません。自ら望んで自分の身体を提供する動物はいません。あなたが動物を殺して食べれば、動物は分かっています。動物は逃げようと思っても逃げられません!あなたに殺され、あなたに食べられます。
一切の悪業のうち、殺生は一番目に置かれます。五戒の第一条は不殺生であり、十善の第一条も不殺生です。ですから大乗・小乗の戒律の中で、第一条は必ず不殺生です。これは諸仏如来の大慈大悲であり、常に私たちに注意を促しているのです。決してこの罪業を造ってはなりません。蚊や虫や蟻にも命があります。軽く見てはなりません。それも一つの命です。いつも殺生している人は、第一に身体が悪くなります。多病、多難です。来世は三途【注1】の果報を免れることはできません!この一生、いつ如何なる時も、恨みを持った衆生がついていては、あなたは穏やかな日々を過ごせるでしょうか?これらの話は故意に驚かせているのではなく、事実の真相です。

所以印光老法師一生提倡因果有道理。拯救今天的社會,倫理道管不管用?說實在話,不管用。什麼東西管用?因果教育就管用,用倫理道輔助因果教育。我們一定要知道,受過倫理教育的人、道教育的人,羞於作惡,古人講的,他覺得做不善的事情是丟人的事情,他不願意做,因果教育叫人不敢作惡,這個力量才大。倫理道教育很好的人,遇到古人所說的高名厚利,他還會動心,還會明知故犯,為了眼前的大利益,他幹,如果懂得因果,他就不敢幹了。
ですから印光大師【注2】が一生因果教育を提唱されたのには道理があります。今日の社会を救うのに、倫理道徳は効き目があるでしょうか?実のところを言えば、効き目はありません。何が効くのでしょうか?因果教育が効くのです。倫理道徳を用いて因果教育を補います。必ず知っておかなければなりません。倫理、道徳の教育を受けた人は、悪事を働くことを恥じるものです。古人は言っています。人は不善を働くことは面目を失うことだと思い、しようとしなくなります。因果教育は人に悪事を働けなくさせます。この力が大きいのです。倫理道徳の教育を受けた人は、古人の言うように名利を目の前にすると、知っていながら罪を犯すことがあります。目の前の大きな利益の為に、悪事を働きます。もし因果を理解しているなら、そうはできなくなります。

所以《安士全書》裡有兩句話說得好,說「人人信因果,天下大治之道也;人人不信因果,天下大亂之道也」。印光大師他老人家把《安士全書》介紹給我們,說這本書是天下第一奇書,全講因果。全書分四個部分,第一部分,「文昌帝君陰騭文」,勸人積陰,斷惡修善,積陰。這一部分分量很大,幾乎佔全書的一半。另外一半裡面有三篇,「萬善先資」勸戒殺,「欲海回狂」勸戒淫,罪業裡最重的就這兩條,最後一篇「西歸直指」,勸你念佛求生淨土。印光大師一生為我們所示現的,我深深感覺到他是來給我們示現因果教育,目的?拯救現前的社會。
ですから『安士全書』【注3】の中に二句の良い言葉があります。「人人信因果,天下大治之道也;人人不信因果,天下大乱之道也」(人々が皆因果に明るければ、天下は大いに治まり、人々が因果に暗ければ、それは天下大乱の道である)。印光大師は『安士全書』を紹介されました。この本は天下第一の珍書であり、すべて因果を説いています。『安士全書』は四つに分けられます。一つ目は、「文昌帝君陰騭文」。陰徳を積むことを人に勧めています。悪を断って善を修め、陰徳を積むことです。この部分は量が多く、ほとんど全書の半分を占めています。他の半分には三篇あり、「万善先資」では殺生の戒を勧め、「欲海回狂」では邪淫の戒を勧めています。罪業の中で最も重いのがこの二つです。最後の一篇の「西帰直指」では、念仏して浄土に生まれることを求めるように勧めています。印光大師が一生かけて示して下さったこと。印光大師は私たちに因果教育を教示する為に来たのだと、私は深く感じています。目的は何でしょう?現前の社会を救う為です。

<脚注>
1.三途(さんず)・・・・地獄道・畜生道・餓鬼道のこと。三悪道。

2.印光大師(1861-1940)・・・・釈印光。法名を聖量、字を印光、自称・常慚愧僧。浄土宗第十三代祖師。俗姓は趙、名は丹桂、字は紹伊、号は子任。陜西省郃陽(現・合陽)孟庄郷赤城東村の人。大師は仏教の中でも特に浄土宗の振興に偉大な功労をされ、中国の近代仏教に最も深い影響をもたらした人物の一人である。(「百度百科」より抜粋して翻訳)

3.『安士全書』・・・・周安士居士の著作。「文昌帝君陰騭文講義節録」「万善先資」「欲海回狂」「西帰直指」の四部を含む。中国浄土宗十三代祖である民国の高僧・印光大師より“善世第一奇書”(世の中を善くする第一の珍書)と称され、蘇州の弘化社により流通した書籍。原書はすべて古文であり、現代人が読むのに不便があるため、現代社会では読む人は数少ない。
  *「文昌帝君陰騭文講義節録」の「陰騭」(=阴骘)とは、陰徳のこと。
  (百度百科より抜粋して翻訳:http://baike.baidu.com/view/809936.htm

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印祖は一生で特に因果教育を重視された

2013-11-16 | 【因果の教育】


印祖一生特別重視因果教育 / 印祖は一生で特に因果教育を重視された
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一二二集)2010/8/24 檔名:02-039-0122

尤其難得,印祖一生特別重視因果教育,他推薦三本書,讓我們這一代以及往後學佛的,無論是在家、出家,必須要讀,要認真學習,做為根基。這三樣東西就是《了凡四訓》、《安士全書》、《太上感應篇彙編》,特別重視因果教育。現在我們才明白,現在要拯救這個社會,要化解災難,要拯救地球,用什麼?就是因果。人人相信因果,天下大治,地球上災難不起,沒有災難。倫理道有時候敵不過高名厚利,這個境界現前會明知故犯。
特に得難いのは、印祖【注1】が一生で特に因果教育を重視されたことです。印祖は三冊の書を推薦しました。私たちの世代と仏法を学ぶ後進の者は、出家在家に関わらず、必ず読んで真摯に学び、それを基礎としなければなりません。その三つとは、『了凡四訓』、『安士全書』、『太上感應篇彙編』で、特に因果教育が重視されています。今私たちはようやく理解しました。今この社会を救い、災難を解消して、地球を救うには何を用いれば良いのでしょう?それは因果(の教育)です。誰もが因果を信じれば、天下は大いに治まり、地球上に災難は起こらなくなります。災難はなくなります。倫理道徳は、時として名利には適いません。その状況を目の前にすると、知っていながら罪を犯してしまいます。

但是真正懂得因果,再高的名、再大的利,你不敢動心,為什麼?現在好處、利益得到了,死了以後怎麼辦?心行不善,死了肯定墮地獄。不孝父母、不忠於國家、不尊重長輩、不愛護下一輩,這個業都是阿鼻地獄。墮地獄很容易,從地獄出來可不是那麼簡單,敢做嗎?就不敢了。所以周安士說,「人人信因果,天下大治之道也」。我們知道,不但天下大治,地球上什麼災難都沒有了。「人人不信因果,天下大亂之道也」,地球什麼災難都發生了,就這麼個道理。
しかし本当に因果を理解していれば、更に高い名声、更に大きな利益にも、あなたは心を動かしません。なぜでしょう?今利益を得ても、死んだ後でどうするのでしょうか?心行【注2】が不善であれば、死んでから間違いなく地獄に堕ちます。親孝行せず、国家に不忠で、年長者を敬わず、次世代を大切にしないなら、その業はすべて阿鼻地獄【注3】です。地獄に堕ちるのは簡単ですが、地獄から出るのは簡単なことではありません。(不善の行いが)できるでしょうか?できません。ですから周安士【注4】は、「人人信因果,天下大治之道也」(人々が皆因果に明るければ、天下は大いに治まる)と説いています。天下が大いに治まるばかりか、地球上のいかなる災難も無くなります。「人人不信因果,天下大乱之道也」(人々が因果に暗ければ、それは天下大乱の道である)。これでは地球にはいかなる災難も発生します。このような道理です。

我們一個人生活在這個世間,實際上非常簡單,每天只要吃飽穿暖,有個小地方可以避風雨,足了,比什麼都快樂。古人講的話,「人到無求品自高」。欲望太多那就愈苦,人把欲望放下就得大自在。放下貪瞋痴,戒定慧就成就了。所以三昧修行,習久後能成陀羅尼,這個話是真的,我們能相信。習這一個字就是把你所學的落實在生活、落實在工作、落實在處事待人接物,學了真有用處,不是學了沒有用處,學以致用。
私たち一人がこの世間を生きるのは、実のところ非常に簡単です。毎日食事をとり、温かい服を着て、狭い場所で雨風をしのげれば、それで足りてしまいます。この上なく幸せです。古人は、「人到無求品自高」(人は無欲であれば品格は自ずと高まる)と説いています。欲望が多ければ多くほど苦しみ、人は欲望を放下すれば大自在を得ます。貪瞋痴【注5】を放下すれば、戒定慧【注6】を成就することができます。ですから三昧の修行を長く修めて陀羅尼になるという話は本当です。私たちは信じることができます。「習」の一字は、あなたが学んだことを生活で実行し、仕事で実行し、人間関係で実行することです。学べば本当に役に立ちます。役に立たないのではありません。学んで実際に役立てることです。

<脚注>
1.印祖・・・・浄土宗第十三代祖師、印光大師のこと。
 印光大師(1861-1940)・・・・釈印光。法名を聖量、字を印光、自称・常慚愧僧。浄土宗第十三代祖師。俗姓は趙、名は丹桂、字は紹伊、号は子任。陜西省郃陽(現・合陽)孟庄郷赤城東村の人。大師は仏教の中でも特に浄土宗の振興に偉大な功労をされ、中国の近代仏教に最も深い影響をもたらした人物の一人である。(「百度百科」より抜粋して翻訳)

2.心行(しんぎょう)・・・・心のはたらき。

3.阿鼻地獄(あびじごく)・・・・地獄の中で最も 苦しい地獄。八大地獄の一つ。(=無間地獄)

4.周安士(1656-1739)・・・・清朝初期の名居士。元の名を夢顔、又の名を思仁。自ら懐西居士と号す。経蔵の学識が広く、浄土法門を深く信じた。衆生は計り知れない罪業を犯すが、その大半が「淫」「殺」の二つの業であることを鑑みて、深い経の道理により、邪淫を戒め、殺生を戒める二冊の書を奨励した。先の書は『万善先資』と言い、後の書を『欲海回狂』と言う。この他に、また『陰騭文広義』(三巻)、『西帰直指』(四巻)がある。乾隆四年五月、家族と決別し、西方に帰ると言った。家族は香湯(こうとう=香りの良い湯)で沐浴するように言うと、それを断り、「我香汤沐浴久矣」と言うや否や逝去した。享年八十四。著述を編纂した『安士全書』がある。(「百度百科」より抜粋して翻訳)

5.貪瞋痴(とんじんち)・・・・「貪」は貪欲、「瞋」は瞋恚(しんに=怒り)、「痴」は愚痴(ぐち=愚かさ)のこと。

6.戒定慧・・・・「戒」は戒律、「定」は禅定、「慧」は智慧のこと。

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因果の理論と事実【日本語吹替版】

2012-05-23 | 【因果の教育】


因果的理論與事実 / 因果の理論と事実 2004年7月17日 香港佛陀教育協会
<読みの補注>
 ・安士全書→あんぜんしょ ・自性→じしょう ・見性→けんしょう ・華厳→ごん ・出世間→しゅっせけん 
 ・心性→しんしょう  ・衆生→しゅじょう  ・無明→むみょう  ・四聖→ししょう  ・法界→ほっかい  
 ・声聞→しょうもん  ・華蔵世界→ぞうせかい ・清浄→しょうじょう ・法身→ほっしん ・凡夫→ぼん
 ・西方→さいほう
http://www.youtube.com/watch?v=sRv9FYXjr64
地獄変相図ガイド (1h 11m 50s)

<参考>
『了凡四訓』
・・・・中国明代の儒学者、袁了凡(えん・りょうぼん)が息子の袁天啓に語る勧善の書。

東洋庶民道徳―了凡四訓の研究 西澤 嘉朗 (著) 明徳出版社; 15版(2008/10)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%BA%B6%E6%B0%91%E9%81%93%E5%BE%B3%E2%80%95%E4%BA%86%E5%87%A1%E5%9B%9B%E8%A8%93%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E8%A5%BF%E6%BE%A4-%E5%98%89%E6%9C%97/dp/4896190327

運命のルール―『了凡四訓』講話 付 海(翻訳),浄空法師(講話) 明徳出版社(2011/12)
http://www.amazon.co.jp/%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E2%80%95%E3%80%8E%E4%BA%86%E5%87%A1%E5%9B%9B%E8%A8%93%E3%80%8F%E8%AC%9B%E8%A9%B1-%E4%BB%98-%E6%B5%B7/dp/4896197992

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如何にして自分の運命を改善するか(上)

2012-03-10 | 【因果の教育】


如何改造自己的命運(上集) / 如何にして自分の運命を改善するか(上)
文摘恭錄--修華嚴奧旨妄盡還源觀(第八十一集)2009/8/23

  印光大師一生極力提倡《了凡四訓》,《了凡四訓》把因果的事理講透了,真正難得!那是袁了凡先生一生實行改過自新的報告,雲谷大師給他的開導,他明白覺悟才知道命是自己造的,福是自己求的。佛法講命運,但不是宿命,命是過去生中所造的業,你這一生當中所受的報,這叫命運。
 印光大師【注1】は一生 『了凡四訓』 の提唱に力を尽くしました。『了凡四訓』には因果の事理が透徹して説かれています。本当に得難いものです!それは袁了凡さんがその一生で実際に心を入れかえた記録です。雲谷大師が彼を教え導くと、彼は運命は自分で造るものであり、福は自分で求めるものだと理解します。仏法は運命を説きます。しかし宿命ではありません。命は過去世の中で造った業であり、あなたのこの一生で享受する果報、それを運命と言います。
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 【注1】 印光大師(1861-1940)・・・・釈印光、法名を聖量、字を印光、自称・常惭愧僧。浄土宗第十三代祖師。
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那自己造的與別人不相干,自己造的當然自己可以改,怎麼改法?我不再造惡,我全造善,命運就改了,你這一生當中有一些不如意的,這些不善的果報全沒有了。你所希求的、所嚮往的統統現前,升官發財能得到。佛氏門中,有求必應,實在講不是從佛門當中求的,是你從自性裡頭求的。
それは自分で造ったもので他人とは関係がありません。自分が造ったものは、当然自分で変えることができます。どのように変えるのでしょう?二度と悪い行いをせず、すべて善い行いにすれば、運命は変わります。あなたのこの一生で思うようにならないこと、それらの不善の果報はすべてなくなります。あなたが希求すること、心を寄せているものはすべて目の前に現れ、出世や財を得ることができます。仏門の中では、求めれば必ずかなえられます【注2】が、実際には仏門に求めるのではなく、あなたの自性(じしょう)【注3】の中に求めるものです。
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 【注2】 「佛氏門中,有求必応」(仏氏門中、求め有らば必ず応ぜらる)・・・・仏門においては、求めれば必ずかなえられる。
 【注3】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ=宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)、真心のこと。本来具えている性質。
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  佛家講自性,它不迷信,向哪裡求?向你自心裡面去求,有求必應,向外面求求不到,統統都要向自性。求長壽得長壽,求兒女得兒女,求升官就升官,求發財得發財,什麼都能求到,求成佛都能得到,何况世間這些小事,哪有求不到的!你懂得道理,真的有求必應。
 仏教が説く自性は、迷信ではありません。どこに求めるのでしょう?あなた自身の心に求めます。求めれば必ずかなえられますが、外に求めても得ることはできません。すべて自性に向かわなければなりません。長寿を求めれば長寿を得、子どもを求めれば子どもを得、昇進を求めれば昇進し、財を求めれば財を得て、何でも得ることができ、成仏さえも得ることができます。ましてや世間の些細なことなど、得られないことがあるでしょうか!あなたはこの道理を理解していれば、本当に求めれば必ずかなえられます。

我們學,學了得到好處,要全心全力把這個好處介紹給別人,大家都能斷惡行善,就形成共業,共業好,共業就是天下太平,共業就是極樂世界。我們能不能把這個地球變成極樂世界?答案是肯定的,只要地球上的居民覺悟,放下對立,放下控制,放下佔有,這世界就是極樂世界。
私たちは学んで得るところがあるなら、全力でその良さを人に紹介しなければなりません。皆が悪を断ち、善を修めることができれば、共業(ぐうごう)【注4】を形成できます。共業は良いものです。共業こそが天下泰平であり、共業こそが極楽世界です。私たちはこの地球を極楽世界に変えることはできるでしょうか?答えははっきりしています。ただ地球上の住民が目覚めて、対立を手放し、制御することを手放し、占有することを手放せば、この世界は極楽世界になります。
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 【注4】 共業(ぐうごう)・・・・相互に共通するような果報を共業(ぐうごう)といい、自己のみで他に共通しない果報を不共業という。
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<参考>
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」
(『新訳聖書』「マタイによる福音書」より)

第一回更新 2012-03-10
第一回訂正 2014-08-07

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如何にして自分の運命を改善するか(下)

2012-03-10 | 【因果の教育】


如何改造自己的命運(下集) / 如何にして自分の運命を改善するか(下)
文摘恭錄--修華嚴奧旨妄盡還源觀(第八十一集)2009/8/23

  我們學習給別人看,學菩薩先學什麼?先學謙虛,謙卦六爻皆吉,趨吉避凶從這下手。中國古聖先賢教我們,從小學謙虛、謙讓。天主教的《玫瑰經》是他們的早晚課誦,《玫瑰經》十五段,第一段聖母瑪麗亞的謙虛,擺在第一條。中國老祖宗也如是,你讀《禮記》,一翻開第一句是「曲禮曰,毋不敬」。佛法裡有很多懺儀,拜懺裡頭的儀規,你展開本子第一句話,「一切恭敬,一心頂禮」,謙虛!人謙虛恭敬才滿心的歡喜,滿面笑容。
私たちは学んで人に見せます。菩薩に学ぶには先ず何を学ぶのでしょう?先ず謙虚を学びます。「謙卦・六爻皆吉【脚注】、「趨吉避凶」(吉に趨(おもむ)き凶を避ける)から着手します。中国の古の聖賢は、子どもの頃から謙虚、謙譲を学ぶよう教えています。カトリック教の『ロザリオの祈り』【注1】は彼らが朝晩読んでいるものです。『ロザリオの祈り』十五段のうち、第一段は聖母マリアの謙虚さです。これが第一条に置かれています。中国のご先祖様も同じです。『礼記』を読むと、開いた最初の言葉は「曲礼曰,毋不敬」(曲禮に曰く、敬せざること毋かれ)【注2】です。仏法には多くの懺儀(さんぎ)があります。拝懺(仏に祈って悔い改めること)の儀規は、本を開いた最初の言葉は「一切恭敬,一心頂礼」(一切を恭敬し、一心に頂礼す)、謙虚についてです!人は謙虚で慎み深く敬ってこそ、心に喜びが満ち溢れ、満面の笑みになるものです。
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 【注1】 ロザリオの祈り(中国語で『玫瑰經』)・・・・カトリック教の祈祷文。「喜びの玄義」「苦しみの玄義」「栄えの玄義」から成り、それぞれ第一玄義から第五玄義まで、計十五玄義ある。
<喜びの玄義、第一玄義>
この一連を献げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、その御取り次ぎによりてけんそんの徳をこいねがわん。
典拠: http://hosanna.romaaeterna.jp/koukyoukai/kk133.html
 【注2】 「曲禮曰,毋不敬」・・・・「毋不敬」は「敬わざることなかれ」、つまり「すべてを敬わなければならない」という意味。
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  中國的寺廟有一定的規矩,你進山門第一個看見的是誰?彌勒菩薩。彌勒菩薩造的是什麼像?布袋和尚的像。宋朝的布袋和尚,他走的時候告訴大家,他是彌勒菩薩再來的,說完就走,這是真的,不是假的。以後中國人造彌勒菩薩像都造他的像,歡喜佛,進入佛門裡歡歡喜喜。
中国の寺院には一定の規則があります。あなたが山門に入って最初に見るのは誰でしょう?弥勒菩薩です。弥勒菩薩像は誰をモデルに造ったのでしょう?布袋和尚の像です。宋朝の布袋和尚は、往生する時皆に言いました。彼は「弥勒菩薩の再来である」と言って、言い終わるとすぐに往生しました。これは真実です。嘘ではありません。それ以降、中国人は弥勒菩薩像を造るときは、すべて布袋和尚の像を造ります。歓喜仏が、仏門に入って喜んでいるものです。

菩薩在一切大眾當中所示現的,常生歡喜心,法喜充滿,體現出一片慈悲,我們所有一切不善的念頭,不善的行業才容易消除。如果這一點做不到,你的業力消不了,業要是消不了肯定長,那麻煩就大了!在六道裡面是業報身,善多惡少你享福,善少惡多你得受罪,不能怪人,別業共業都不可以怨天尤人,都要知道是自作自受,自己承當,沒有人能代替的,這個道理不可以不懂。
菩薩は一切の衆生の中で、常に歓喜の心をもち、法喜充満し、慈悲の心を体現します。私たちの一切の不善の考え、不善の行いは、このようにすれば容易に解消されます。もしこれができないなら、あなたは業力を消すことができず、業を消せなければ必ず増加します。それでは大変です!六道の中でにおいては業報身【注4】です。善行が多く悪行が少なければ福を享受します。善行が少なく悪行が多ければ苦しみを受けます。人を咎めることはできません。別業(個別に受ける果報)・共業(共通して受ける果報)、すべて天を恨むことも人を咎めることもできません。すべては自業自得であり、自分で引き受けるもので、誰も代りになることはできません。この道理は知っておかなければなりません。
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 【注4】 業報身(ごうほうしん)・・・・前世・過去の果報によって受けたこの世の身体のこと。
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<注>
「謙卦・六爻皆吉」・・・・「謙卦」とは『易経』六十四卦のうち第十五卦「地山謙(ちさんけん)」のこと。「六爻」(ろくばく)の爻(ばく)とは易を行う際に用いる算木の線ことで、「陰爻」(- -)「陽爻」(――)の別があり、陰爻を六(りく)、陽爻を九(きゅう)と言う。「六爻皆吉」とは、六爻がすべて吉であること。
謙卦の形は「地山謙」の名称の通り、「地」の下に「山」がある形である。山を君子に例えて、君子が才能を持ちながら謙遜して自らを下に置く、謙譲の徳を表している。
 「謙卦、地山謙」の図

浄空法師は『了凡四訓講記』の中で「謙卦・六爻皆吉」について下記のように解説している。
以下に翻文を引用する。
<『易経』六十四卦には、どの卦にも吉・凶があり、どれも吉凶が入り交じっている。ただ謙卦だけが「六爻皆吉」(すべて吉)である。六十四卦のうち唯一この卦だけである!この卦のことを「地山謙」という。上は坤卦であり、坤とは「地」のことである。下は艮卦であり、艮は「山」のことである。高山が大地の下にある。これは謙虚を表している。徳が高ければ高いほど、へりくだらなければならない、ということである。>
【参考サイト】 http://www.suttaworld.org/latest_t/lfsu/lfsu-5.htm

第一回更新 2012-03-10
第一回訂正 2014-08-07

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催眠術は六道輪廻を証明している

2012-02-08 | 【因果の教育】


催眠術證明有六道輪迴 / 催眠術は六道輪廻を証明している
文摘恭錄--修華嚴奧旨妄盡還源觀 (第八十三集) 2009/8/25

  外國這些心理醫生用催眠術,治療一些疑難雜症,讓病人在深度催眠之下回到過去,曾經有回到八十幾世以前,四、五千年。那個是什麼時代?洞穴的時代,還沒有房子,住在山洞裡頭,他都經歷過。他們有個結論是每個人過去世至少在這個地球上出生一千次,將來還有一千次,這個訊息好不好?不是好消息。為什麼?
外国の心理療法士は催眠術を用いて、診断のつかない病を治療しています。病人を深い催眠の中で過去に戻らせ、かつて八十数世前の、四、五千年前に戻ったことがあるそうです。それは何時代でしょう?洞窟の時代です。まだ家がなく、山の洞窟に住んでいました。その人は経験した事があるのです。彼らの結論は、どの人も過去世において、少なくともこの地球上に一千回は生まれており、将来もまた一千回は生まれるいうものですこの話は良いものでしょうか?良い話ではありません。なぜでしょう?

沒有脫離六道輪迴,輪迴太苦!如果我們在這地球上一生,一世、二世、三世像佛菩薩所說的,「隨緣消舊業,更莫造新殃」,那就好了。這些心理醫生說,你所學習的,考試全及格、全通過,通過就畢業了,你不再來了,脫離六道輪迴了。如果一面消業,一面又造業,這個事情麻煩。
六道輪廻【注1】を離脱していないからです。輪廻は苦し過ぎます!もし私たちがこの地球上の一生、一世、二世、三世を、菩薩が言うように、「随縁消旧業,更莫造新殃」(縁に随って古い業を解消し、更に新しい災いを造ることがない)【注2】であれば良いのです。それらの心理療法士が言うには、あなたが学んだことは、テストを受けてすべて合格すれば、すべて通過すれば卒業です。あなたはもう来ることはなくなり、六道輪廻を離脱します。もし一方で業を解消しながら、また一方で業を造っているなら、面倒な事になります。
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 【注1】 六道輪廻(ろくどうりんね)・・・・衆生が六道に迷いの生死を繰り返すこと。六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六つ。
 【注2】 「随縁消旧業,更莫造新殃」・・・・縁に随ひて旧業を消し、更に新殃を造ること莫し。
   縁に随って古い業を解消し、更に新たな災いを造ることがない。
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確實我們很冷靜的觀察世間人,世間的眾生,這些眾生是有情眾生,是不是消業?消業同時又造業,所以出六道難!我們今天得到這個訊息不容易,總算是明白過來,要歡歡喜喜不再造業。順境、善緣,決定不起貪戀,要感謝、感恩,絕不貪戀,貪戀就又造業,善有善報。如果遇到逆境、惡緣,我們也要感恩,也要感謝,為什麼?
確かに冷静に世間の人を観察して見れば、世間の有情【注3】の衆生は、業を解消しているでしょうか?業を解消すると同時に業を造っています。そのため六道を出るのが難しいのです!私たちが今日この情報を得たことは容易な事ではありません。やっとのことで理解できたなら、心から喜んでもう二度と業を造らないことです。順境にあっても、善い縁があっても、決して執着しないことです。恩に感謝して、決して執着しないことです。執着すればまた業を造ることになります。善には善報があります。もし逆境や悪い縁に遭遇しても、私たちはその恩に感謝しなければなりません。なぜでしょう?
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 【注3】 有情(うじょう)・・・・感情や意識など、心の動きを有するもの。
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同樣在消業障,消我們負面的,決定不起怨恨,不起煩惱,不怨天、不尤人,知道這是我們過去造的不善業,才有這個回報。善有善果,惡有惡報,在惡報裡面要歡喜接受。只要沒有怨恨,不怨天、不尤人,能夠隨順,普賢菩薩講「恆順眾生,隨喜功」,只要能隨喜就成就自己的功,這是功夫。
同じように業障【注4】を解消し、悪い部分を解消しているからです。決して恨まず、煩悩を起こさず、天を恨まず人を咎めず、私たちが過去に不善の業を造ったからこそこのような報いがあるのだと理解することです。善には善報があり、悪には悪報があり、悪報の中にあっても喜んで受け入れる事です。ただ恨む心がなく、天を恨まず人を咎めず、普賢菩薩は「恆順衆生,随喜功徳【注5】と説いていますが、ただ喜んで随えば、自己の功徳を成就する事ができます。これは功夫(時間をかけて修練した成果)です。
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 【注4】 業障(ごっしょう)・・・・悪業によって生じた障害。
 【注5】 「恆順衆生,随喜功徳」・・・・常に衆生に随い、喜んで功徳を積むこと。(意訳)
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逆境惡緣,惡緣是不善的人,逆境是不好的環境,遇到了,能夠反省、改過,這是我過去生中所造不善業所感,決定不能怪別人。凡是遇到侮辱我、羞辱我、誹謗我、陷害我的,都應當生感謝心,消除業障。如果我們不能接受、不服氣,還要據理力爭,那就錯了。不管有沒有理?接受了就好,才能消業障。否則,你又造業障,你有怨恨,你又起報復,來生還要來,你的課程沒有修完,生生世世冤冤相報,沒完沒了!
逆境悪縁。悪縁とは不善の人であり、逆境とは良くない環境のことです。それらに遭遇したら反省し、悔い改めます。これは自分が過去世の中で造った不善の業によるもので、決して人を咎める事はできません。およそ自分を侮辱し、恥辱を与え、誹謗し、落とし入れるものには、すべて感謝の心を持って、業障を解消すべきです。もし受け入れられず、不服に思い、筋の通ったことを押し通そうとするなら、それは間違いです。道理があろうとなかろうと、受け入れればよいのです。そうすれば業障を解消することができます。そうしなければ、あなたはまた業障を造ってしまいます。あなたが恨み、報復すれば、来世でまた報いが来て、あなたは課題を学び終えなければ、生まれ変わる度に恨みを報い合って、きりがありません!

第一回更新 2012-02-08
第一回訂正 2014-08-07

コメント (2)
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善報悪報の言い伝え

2012-02-08 | 【因果の教育】


善惡報的迷思 / 善報悪報の言い伝え
文摘恭錄自修華嚴奧旨妄盡還源觀 (第六十八集) 2009/8/2 台灣

  報應這個道理跟事是真的,一點都不假,古大常給我們講,「不是不報,時辰未到」。為什麼會有這種現象?一生造作惡業的人,他沒有受到惡報,不是沒有因果,我們凡夫只看到一世,如果你看到他過去世,看到他未來世,那你就沒話說了。過去生中他修的是大善大福,這一生他造作許多的惡業,但他這一生享受的是過去生中的福報。造作惡業對他過去生中的福報有沒有打折扣?
因果応報の道理は真実です。偽りではありません。昔の大徳はよく「不是不報,時辰未到」(報いがないのではなく、まだ時が来ていないのである)(脚注1)と言っています。なぜこのような現象が起こるのでしょうか?一生悪業を行った人が、悪報(脚注2)を受けないのは、因果がないからではありません。私たち凡夫はこの現世の一生しか見ていませんが、もしあなたがその人の過去世、未来世を見る事ができれば、そのようには言えません。過去世の中でその人が大善大福を修めていれば、その人がこの一生で数多くの悪業を行っても、享受するのは過去世の福の果報です。悪業を行えば、過去世の福の果報は差し引かれるのでしょうか?

有,虧損了很多,但是還有餘福。譬如用錢財做比喻,大家比較容易理解。他前生所修的有千億的財富,這一生廣造一切惡業,他還有百億的財富,千億到百億已經虧損十分之九,還有一分,他還沒享完。有報,不是沒報,因為他過去修得太大了。他這一生福報享完,來生苦報就現前,這一生所造的惡業來生受報。我們不知道他過去生,以為造作惡沒有受報,這是肉眼凡夫看不到三世因果,所產生的誤會。
差し引かれます。大変な損失です。しかしまだ残りの福があります。例えば金銭を用いた比喩であれば、皆さん理解しやすいでしょう。その人は前世で千億の富を修めたとします。この一生で悪業の限りを尽くして、その人にはまだ百億の富が残っています。千億から百億であればすでに九割の損失ですが、残りの一割はまだ享受していないということです。報いはあるのです。報いがないのではなく、その人の過去に修めた福が非常に大きいのです。その人がこの一生で福を享受し尽くしたら、来世には苦報が現れます。この一生で行ったすべての悪業の報いを受ける事になります。私たちはその人の過去世を知らないので、悪いことをして報いがないと思うのですが、これは凡夫の肉眼では三世因果(脚注3)を見る事ができない為に生じる誤解です。

  還有看到修福的,人真是好人,心善、念頭善、行為善,可是他一生潦倒,受盡了苦難折磨,這什麼原因?跟前面例子恰相反,這個人前世造作很重的罪業,這一生當中修福,有沒有替他消災?有,他本來受的苦比這個要超過很多倍,現在已經是重罪輕報了,這是事實真相。他的罪報報完了,福報就現前。因果通三世,我們要知道這個事實真相,心就平了,知道這個事情決定不是假的。
それから、福を修めて人柄も本当に良く、善良で、心も行いも善でありながら、その人の一生は落ちぶれて、苦難を嘗め尽くしている人がいます。これは何の原因でしょうか?前述の例とはちょうど反対で、この人は前世の罪業が非常に重いのです。この一生で福を修めることは、その人の厄払いになるでしょうか?なります。その人が受ける苦しみは本来非常に大きなものですが、重罪の報いは軽くなります。これは事実の真相です。その人の罪の報いが終われば、福の果報がやってきます。因果は三世に通じています。私たちはこの事実の真相を知る事で、心が平静になり、この事が決して偽りではないことを知るでしょう。

<脚注>
1.
不是不報,時辰未到
  これ報いざるにあらず、時辰(じしん)未だ到らざるなり。
  報いがないのではなく、まだ時が来ていないのである。

2.善報(ぜんぽう)・・・・善行に対する良い報い。
  悪報(あくほう)・・・・悪事に対する悪い報い。

3.三世因果・・・・過去世・現世・来世を通じている因果のこと。

『三世因果経』の冒頭には、次の言葉がある。
 欲知過去因,今生受者是、欲知來世果,今生作者是。
 過去の因を知らんと欲すれば、今生受けるが是なり。来世の果を知らんと欲すれば、今生作るが是なり。
 過去に行ったことを知りたいのなら、この一生で遭遇することがそれである。
 来世の果報を知りたいのなら、この一生で行ったことがそれである。

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世間における倫理道徳・因果教育の中心

2012-02-02 | 【因果の教育】


世間倫理道因果教育的中心 / 世間における倫理道徳・因果教育の中心
文摘恭錄自修華嚴奧旨妄盡還源觀 (第六十九集) 2009/8/3

  如果我們要幫助全世界,幫助這個國家民族,幫助這麼大的地區,東亞這個地區,要怎麼做?要做一個實驗點。我們這個世間確實有大富長者,他有這個財力,大富長者能做這個好事。怎麼做法?建公寓,我就從這個公寓做起。這公寓是什麼?我們講彌陀村。公寓要賣的時候,來買的人一定是學佛的,一定是念佛的,不是念佛的不賣給他。
もし私たちが全世界を助け、国家・民族を助け、これほど大きな地域、東アジア地域を助けたいなら、どうすれば良いでしょう?一つ実験地区を作らなければなりません。この世間には本当に大富豪がいるもので、彼らには財力があります。大富豪であれば善行を行うことができます。どうするのでしょう?まずアパートを建て、このアパートから始めます。このアパートは何かというと、私たちは弥陀村と名付けます。アパート(の部屋)を売る時、購入する人は仏法を学ぶ人、必ず念仏する人にします。念仏しない人には売りません。

這一棟公寓住幾十戶人家,全都是念佛的,進住之後,我們一起學《弟子規》,一起學《感應篇》,認真去做,這一棟大樓、一個社區就是一個道場,無量功!這個大樓的頂層不賣,頂層做念佛堂,是公共設施,家人想念佛,到頂樓念佛堂去念佛。最下面的一層我都想到了,做素食餐廳,可以經營做買賣。第二層做圖書館,閱讀的。三層以上是住家。
このアパート一棟には数十戸の家庭が住み、すべて念仏する人で、入居した後、私たちは一緒に『弟子規』を学び、一緒に『感応篇』を学び、真摯に実行します。このビル、コミュニティは道場です。計り知れない功徳です!このビルの最上階は売りません。最上階は念仏堂を作り、公共施設として、入居者が念仏したくなったら最上階の念仏堂に来て念仏するのです。一階は精進料理のレストランにして、経営して商売すれば良いでしょう。二階には図書館を作り、閲覧できるようにします。三階より上は住居にします。

有那麼一個大富長者頭腦要能想到,這樣一做就做出典型。這個大樓裡的住眾,人跟人之間相親相愛,不是陌生人,一個大樓是一家人,學會了謙卑,學會了尊重,學會了關懷,學會了照顧,互助合作。你一生做了一樁大事業了。
そのように一人の大富豪が頭を働かせれば、このような一つのモデルを作る事ができます。このビルに住む住人は、人と人とがお互いに親しみ愛し合って、見知らぬ人ではなく、ビルは一つの家族となり、謙虚な心を学び、尊重することを学び、思いやりと配慮を学び、お互いに助け合います。その人は一生の大事業をした事になります。

  在澳洲我就想這樣做,買一塊大的土地,將來做為一個彌陀村,大家都住在一起,互相照顧,這個彌陀村裡面有佛堂、有講堂,朝這個方向去做。全世界,我們有共同的理想,希望大家在一起共修。而澳洲土地很便宜,我們可以免費供給,房子自己可以蓋。
オーストラリアでこのようにしたいと考えています。広い土地を購入して、将来は弥陀村をつくって皆で一緒に住み、お互いに助け合います。この弥陀村の中には仏堂をつくり、講堂をつくる、このような方向で進めます。全世界、私たちは皆が一緒に修行するという共通の理想があります。オーストラリアの土地は安いので、私たちは無料で供給して、家は自分で建てれば良いのです。

澳洲居住的環境,在現在這個地球上來說是很理想的環境,澳洲、紐西蘭都是非常好的環境,地大人少。我們在湯池做了三年,有這個經驗,慢慢的、自自然然的,十年、二十年,它就會形成一個小鎮,這個小鎮就是世界和平的示範小鎮。
オーストラリアの居住環境は、今の地球では理想的な環境と言えます。オーストラリア、ニュージーランドは皆とても良い環境です。土地が広く人は少ない。私たちは湯池(脚注1)で三年(社会実験を)行いましたが、この経験があるので、ゆっくりと、自然な形で、十年二十年かけて小さな町を形成し、この小さな町を世界平和の模範の町にするのです。

  所以必須做一個最好的示範,其他的地方想做,我們協助他們做,讓他們到我們這兒來學,多看、多學,然後再發展第二個點、第三個點。我們永遠守在這一點,才能保證成就,永遠在這裡做帶頭作用,鼓勵別人做。這是真正幫助眾生破迷開悟,離苦得樂。
ですから必ず最高の模範を示さなければなりません。他の場所で行いたい人がいれば、私たちはその人たちに協力します。その人たちに私たちの所に来てよく見てもらい、よく学んでもらい、その後で二つ目、三つ目と発展させます。私たちは永遠にこの点を守ってこそ、確実に成就することができます。永遠にここで先頭に立つ役割を担い、他の人が行うのを励ますのです。これは本当に衆生の「破迷開悟,離苦得樂」(迷いを破り悟りを開く。苦しみを離れ安らぎを得る)を助けることです。

一樁事情要做成功圓滿,絕對不是一代,這個觀念我們要有,一定要培養底下一代,第二代、第三代、第四代,這個事業才成為一個悠久的事業,世世代代相傳,它成為人間倫理、道、因果教育的中心。接受這個教育,每個人都沒有自私自利,雖然我執沒破,但是都知道尊重別人,都知道為別人服務是應該的,都能做得到,全心全力為社會服務,為大眾服務,而不為自己。
この事を円満に成功させるのは、絶対に一代ではありません。このような観念が必要です。必ず次の世代、二代、三代、四代と育成して、この事業はようやく悠久の事業となり、代々受け継がれ、それは人間の倫理、道徳、因果教育の中心となるのです。この教育を受け入れればどの人も私利私欲がなくなり、我執(脚注2)を克服していなくても、人を尊重することを知り、人の為に奉仕する事は当然の事だと知るでしょう。すべて実行することができます。全力で社会の為に奉仕し、大衆の為に奉仕します。自分の為ではありません。

<脚注>
1.湯池(Tang chi)・・・・(地名)中国安徽省の湯池鎮。

湯池の社会実験・・・・(湯池/TangChi は地名)浄空法師の故郷、安徽省の湯池鎮で行われた、倫理道徳教育の社会実験のこと。「文化教育センター」を設立し、倫理道徳を教育する教師を養成して、全町民へ倫理道徳を教育する社会実験を行った。 教師は二ヶ月間集中してトレーニングを行い、『弟子規』の教えを実行できるようになってから、それぞれ農村へ赴いて『弟子規』の授業を行った。わずか4、5ヶ月のうちに4万8000の住民たちはお互いに協力し合うようになり、目に見えて道徳の気風が高まったという。2006年の10月、浄空法師はユネスコ(UNESCO、国連教育科学文化機関)の会議においてこの社会実験について8時間に渡り詳細に報告を行っている。

2.我執(がしゅう)・・・・人には常住不変の実体があるとする誤った考え。自分中心の考えにとらわれて離れられないこと。

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悪を断ち善を修める中に深い因果教育がある

2012-01-17 | 【因果の教育】


斷惡修善裡有很深的因果教育 / 悪を断ち善を修める中に深い因果教育がある
文摘恭錄自修華嚴奧旨妄盡還源觀 (第六十九集) 2009/8/3

  斷惡修善裡有很深的因果教育,善因一定得善果,惡因一定感惡報。在現前這個社會,古代也有,有些人看到行善的人生活過得很苦,作惡的人非常富有,還有很高的地位,所以對於因果就懷疑,這個人行善是好人,為什麼沒得好報?那個人是惡人,為什麼做那麼大的官,發那麼大的財?往往對因果就不相信,這是世俗人情難免的。
 「断悪修善」、悪を断ち善を修める中に深い因果教育が含まれています。善因(良い行い)は必ず善果(良い結果)を得ることができますが、悪因(悪い行い)は必ず悪果(悪い結果)を招きます。今のこの社会では、古代にも見られたことですが、ある人は善い行いをしているのに生活は苦しく、悪い行いをしている人が裕福で、そのうえ高い地位を得ています。そのため因果に対する疑いが生じます。この人の行いは善いのになぜ良い果報がないのでしょう?その人は行いが悪いのに、なぜ高官の職につき、莫大な財産を持っているのでしょうか?往々にして因果を信じないのは、世俗の人情として免れ難いものです。

佛菩薩清楚,他是迷於一時,不知道人有過去世、現在世,還有未來世,因果通三世。經上常講「欲知前世因」,我要想像我前世是幹什麼的,造了什麼因?佛說,「今生受者是」,你這一生所遭受的,是你前世所造的因。我要想知道我來世的果報怎麼樣?經上說「欲知來世果,今生作者是」,你這一生所作所為,今生造因,來生受果報,業因果報,絲毫不爽。
仏様や菩薩は明瞭です。その人は一時迷っているに過ぎず、人に過去世があり、現世、そして来世があり、因果は三世に渡って通じていることを理解していないのです。経典(脚注1)に説かれています。「前世の因を知らんと欲すれば・・・・」、私は前世で何をしたのか、どのような因を造ったのでしょうか? 仏様は言います。「今生受くるが是なり」、あなたがこの一生で遭遇したこと、それがあなたが前世で作った因なのです。私の来世の果報はどのようなものなのでしょうか?経典は「来世の果を知らんと欲すれば、今生作るが是なり」と説いています。あなたがこの一生で行った行為、今生で因を造れば、来世でその果報を受けます。業因(脚注2)果報は、いささかも違いません。

  印祖特別強調,世出世法,宇宙之間,理是心性,事是因果,因果主宰了事的變化。這個道理深,不但中國老祖宗常說,佛經裡面也說了很多,這個世界所有宗教的典籍全都說到了,沒有一個宗教經典不講因果的,這是真理。諺語所謂的「英雄所見,大略相同」,這是真理。菩薩教化眾生,一定要做出來給大家看,這就是菩薩大慈大悲的顯示。他要是不做出來,大慈大悲不就落空了?
 印祖は特に強調しています。世間の法、宇宙の中において、理は心性、事は因果であり、因果は事の変化を支配しています。この道理は深いもので、中国のご先祖様もよく説いており、仏典にも多く説かれています。この世界のすべての宗教の典籍にはすべて説かれており、宗教の経典に因果を説かないものはありません。これは真理です。諺に言う「優れた人の考えるところは、大体似かよっている」(脚注3)であり、これは真理です。菩薩は衆生を教化するのに、必ず実行して皆に見せます。これこそが菩薩の大きな慈悲の現れです。その人がもし実行できないのであれば、大きな慈悲も無駄になってしまいませんか?

只有言說,沒有實質。做出來,真做出樣子來給我們看,我們明白了,把心性、因果表演出來,給一切眾生看,目的在哪裡?幫助一切眾生覺悟。人人真正明白因果的道理與事實真相,他起心動念、言語造作自然就有收斂,無需要人教。前清周安士居士有兩句話說得好,在《安士全書》裡,他說「人人信因果,天下大治之道也;人人不信因果,天下大亂之道也」,你看因果重不重要?關係整個社會、整個世界的安危。今天全世界社會動亂、不安,什麼原因?不信因果,沒有人講因果。
ただ語るだけで、実質がありません。実行して、本当にやって見せてくれれば、私たちは理解できます。心性・因果の教えを実行して一切の衆生に見せる、その目的はどこにあるのでしょう?一切の衆生が悟るのを助けるためです。人々が本当に因果の道理と事実の真相を理解すれば、人々の心の使い方や言動は自ずから慎重になり、教える必要がなくなります。清朝前期の周安士居士は良い言葉を残しています。『安士全書』(脚注4)の中で、彼は「人々が皆因果に明るければ、天下は大いに治まり、人々が因果に暗ければ、それは天下大乱の道である。(脚注5)と言います。どうでしょう、因果は重要ですね?全社会、全世界の平穏と危機に関係しています。今日は全世界の社会が乱れ、不安定です。何が原因なのでしょう?因果を信じないためです。因果を説く人がいないためです。

<脚注>
1.経典
・・・・『三世因果経』のこと。
 欲知過去因,今生受者是、欲知來世果,今生作者是。(『三世因果経』冒頭の言葉)
 過去の因を知らんと欲すれば、今生受くるが是なり。来世の果報を知らんと欲すれば、今生作るが是なり。
 過去の因を知りたければ、今生において享受しているものがそれである。
 来世の果報を知りたければ、今生における行いがそれである。(筆者訳)

2.業因(ごういん)・・・・未来に苦楽の果報を招く原因となる善悪の行為。

3.「英雄所見,大略相同」・・・・(英雄の見る所、大略相同じ)
 優れた人の考えるところは、大体似かよっている。

4.『安士全書』・・・・清朝の周安士居士による著作。「文昌帝君陰騭文講義節録」「万善先資」「欲海回狂」「西帰直指」の四部を含む。中国浄土宗十三代祖である民国の高僧・印光大師により“善世第一奇書”(世の中を善くする第一の珍書)と称され、蘇州の弘化社により流通した書籍。原書はすべて古文であり、現代人が読むのに不便があるため、現代社会では読む人は数少ない。
*「文昌帝君陰騭文講義節録」の「陰騭」(=阴骘)とは、陰徳のこと。
(百度百科より抜粋して翻訳:http://baike.baidu.com/view/809936.htm

5.「人人皆明因果、天下大治之道也。人人不明因果、天下大乱之道也。」(『安士全書』)
  人人皆因果明らかなれば、天下大治の道なり。人人因果明らかならざれば、天下大乱の道なり。
  人々が皆因果に明るければ、天下は大いに治まり、人々が因果に暗ければ、それは天下大乱の道である。

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地球の災難の根源

2011-08-04 | 【因果の教育】


地球災變的根源 / 地球の災難の根源
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一O九集)2010/8/11

古時候的教學是什麼價值觀?聖賢的價值觀、君子的價值觀。現在顛倒了,現在人只需要學會有能力賺錢就行了,做人不要學,社會就亂了;社會一亂,地球就病了。你看,我們的正­報出了問題,依報就跟著出問題。依報是我們生活環境,生活環境離不開地球,地球在這一、二年種種災變是過去歷史上沒有看到過的。
昔の教学はどのような価値観だったでしょうか?聖賢の価値観、君子の価値観です。今では逆転しています。今の人はただ金儲けができれば良いと考えて、人としての身の処し方を学ばないので、社会は乱れています。社会が乱れれば、地球は病んできます。私たちの正報(しょうほう:果報として受ける身心)に問題が生じ、依報(えほう:果報としての環境)もそれに連れて問題が生じています。依報とは私たちの生活環境です。生活環境は地球を離れることはできません。地球のこの一、二年の様々な災害は、過去の歴史に見られなかったことです。

有些人問,為什麼會變成這個樣子?佛經上有­一句話答案,「依報隨著正報轉」。佛這個答案太好了,把你的疑慮統統說出來。為什麼變成這個樣子?隨著你的正報轉,正報是什麼?念頭。我們的意念不善,我們不知道修福,起­心動念、言語造作無不是罪,像《地藏經》上所說的。我們所造的是什麼,那我們所受的就是什麼,這個不能不知道。
ある人々は質問します。なぜこのように変わってしまったのでしょうか?仏経には一句の解答があります。「依報は正報に随って転じる」(依報随著正報転)。素晴らしい解答です。あなたの疑問にすべて答えています。なぜこのように変わってしまったのでしょうか?あなたの正報に随って転じるなら、その正報とは何でしょうか?思いです。私たちの意念が不善で、私たちが福を修めることを知らず、心の使い方や、言葉や行為が、罪でないものはないからです。ちょうど『地蔵経』に説かれています。私たちが行っているのは何か、それが即ち私たちが受ける何かなのです。これを知っておかなければなりません。

不但在中國儒釋道講這個道理,我們細心去觀察,幾乎這世界上­各大宗教經典裡面都講這個,善心善行有善報,不善的心行有惡報。在個人,小的是我們身體得病,病苦,這是小的,大的那就變成災難。如果這個社會大多數人都造作不善,問題就­嚴重了;造作不善的人很多,真正行善的人幾乎找不到,這個問題嚴重。
中国の儒教・仏教・道教の道理に限らず、注意して観察してみれば、およそこの世界の各宗教の経典にはすべて、「善心・善行には善報があり、不善の心行には悪報がある」と説かれています。個人において、小さなところでは身体が病気になり、病に苦しみます。これは小さいものです。大きいものでは災難に変わります。もしこの社会の大多数の人が不善を行っていれば、問題は深刻です。不善を行う人が多く、本当に善を行う人はほとんど見当たりません。この問題は深刻です。

  教下一代先從倫理道上下手,這個重要。可是今天你就是想用倫理道教你的下一代,就有一定的困難。為什麼?整個社會沒有了,你一家講倫理道,你的小孩走出家門,這個東­西是古老的東西,沒用,他能相信嗎?他能接受嗎?你給七、八十歲老頭去講可以,他會點頭,是有道理;你跟年輕人講他搖頭,他不相信。
次世代を教えるには先ず倫理道徳から着手すること、これが重要です。しかし今、倫理道徳を次世代に教えるのは、少なからず困難があります。なぜでしょうか?社会全体に無くなっているからです。あなたの家族が倫理道徳を重んじても、子どもが外出すれば、このような古いものは役に立ちません。子どもは信じるでしょうか?子どもは受け入れられるでしょうか?七、八十歳のお年寄りに説くなら良いのです。彼らは道理があると頷くでしょう。若い人に説けば、彼らは首を振って信じないでしょう。

所以現實的社會,沒有倫理、沒有道、­沒有因果,也沒有法律。法律管好人,壞人走法律的漏洞,變成保護壞人。現前這個社會,從前毛主席講無法無天,真是這樣的。無法無天到這種狀況,那就是天還是要來管事,還是­要管,不管不行。這個天是大自然,大自然給你帶來疾病、給你帶來災難,這些疾病、災難都是你自己自作自受,它不是別人給你的。
ですから現実の社会では、倫理もなく、道徳もなく、因果もなく、また法律もありません。法律は人を管理しますが、悪い人は法律の隙間を行くので、あべこべに悪い人を保護しているのです。今のこの社会は、かつて毛主席は「無法無天」【注1】と言いましたが、本当にそのようです。「無法無天」の状況であれば、天が関わるようになります。関わらない訳にはいきません。この天とは大自然のことです。大自然があなたに疾病をもたらし、災難をもたらします。これらの疾病、災難はすべてあなた自身の自業自得です。他人があなたに与えるものではありません。

<注>
1.「無法無天」
・・・・法も無く、天も無い。つまり、法を破り天理をわきまえないこと。

第一回更新 2011-08-04
第一回訂正 2014-11-15

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人の果報は自業自得

2011-08-04 | 【因果の教育】


人的果報確實是自作自受 / 人の果報は自業自得
文摘恭錄—大方廣佛華嚴經  (第二0八二卷) 2009/12/5

煩惱魔,煩惱無量無邊,煩、惱、怨、恨、傲慢、忌妒,這都是魔,那都不在外頭,在本身!這個我們要曉得。所以降魔首先降伏自己的這些魔障,成就自己。第三個叫死魔,你看都­屬於自己,生死,我們道業還沒有成就,壽命到了,這是折磨。縱然修得不錯,來生再到人道,又到人間來了,至少你當中中斷了二十年,然後接著再修行,當中中斷這麼久,很困難­,不容易!
煩悩魔、煩悩は計り知れません。煩、悩、怨、恨、傲慢、嫉妬、これらはすべて魔です。外にあるのではなく、内にあるものだということを知るべきです。ですから悪魔を降伏させるには先ず自分の魔障(脚注1)を降伏させ自分を成就させることです。三つ目は「死魔」(脚注2)と言います。これはすべて自分に属するもので、生死、事業の成就、寿命、これらはすべて試練です。たとえよく修行していて、来世で再び人間界に来たとしても、少なくとも二十年は(修行を)中断することになります。それからまた引き続き修行をしたとしても、途中で長い間中断していては、(成就するのは)非常に困難です。

中斷二十年又回來了,又到人間來了,你是不是又遇到佛法,又遇到好老師?所以種種條件具足,你就曉得是很困難的事情。如果雖然得人身,遇不到佛法,遇不到好老師­,遇不到善友,這一生又空過了。修的福都享福報去了,享福報哪有不造罪業的!我們中國人講風水輪流轉,這個話講得很有道理,富貴人是不是永遠生生世世富貴?不是的。窮人是­不是生生世世窮?也不是的。
二十年中断して再び人間界に戻ってきて、あなたはまた仏法にめぐり合うでしょうか?また良い老師と出会うでしょうか?すべての条件を備えることは、とても難しいことです。もし人間の体を得ることができても、仏法に出会わず、良い老師と出会わず、善良な友人と出会わなければ、その一生は無為に過ぎてしまいます。修めた福はすべて享受して使ってしまい、(福のある良い境遇を)享受するなら罪を犯さない人はいないでしょう。私たち中国人は風水や流転(輪廻)を語りますが、この話には道理があります。金持ちは永遠に生まれる度に金持ちなのでしょうか?そうではありません。貧しい人は生まれる度に貧しいのでしょうか?それもそうではありません。

窮人來生就是富貴人,富貴人來生就是窮人,什麼道理?你看富貴人的享受,享福,享福裡面頭一個吃的,他要殺害多少眾生,這是造業。貧窮人想吃沒­得吃,我年歲小的時候住在鄉下,住在農村裡面,十歲離開農村,農村裡面的生活我很了解,肉食一個月才吃到一次。
貧しい人は来世は金持ちとなり、金持ちは来世では貧しい人となります。これはどういうことでしょうか?金持ち(という環境や身分)を享受し、その福を享受していれば、先ず第一に「食べること」があります。多くの衆生を殺せば、罪業(殺生)を犯すことになります。貧しい人は食べたくても食べるものがありません。私は幼少の頃に、田舎の農村に住んでいました。十歳で農村を離れましたが、農村の生活はよく理解しています。肉はひと月に一度やっと食べられるくらいです。

殺一頭豬,賣豬肉,一個月只有一次,不是天天有。大概只有過­年,過年大概有十幾天,天天可以買到肉,不是過年的時候,一個月就一次。想吃吃不到,不造業,少造業。富貴人在飲食上吃眾生肉的機會就太多了,所以他到來生就貧賤。那個窮­人一生過去了,造的業少,來生他就富裕起來,輪流轉。
豚を一頭殺し、豚肉を売るのは、ひと月に一度だけです。毎日ではありません。年越しはだいたい十数日ありますが、だいたい年越しだけ毎日肉を買うことができました。年越しでなければ、ひと月に一度だけです。食べたくても食べられず、罪業を犯すことがなく、業は少なくて済みます。金持ちは食事で衆生の肉を食べる機会がとても多いので、来世では貧しい境遇に生まれます。その貧しい境遇の一生で罪が少ないならば、来世では金持ちになり、流転していきます。

所以天道是非常公平的,人的果報確確實實是自作自受,與任何人都沒有關聯,這個裡頭道理很深,一定要懂得。懂得之後,­無論在什麼環境之下,順境也好,逆境也好,不會怨天尤人,永遠保持著心平氣和,你了解。
ですから天の道は非常に公平です。人の果報は間違いなく自業自得であり、如何なる人であろうと関係ありません。ここには深い道理があります。理解しなければなりません。本当に理解した後では、どのような環境の下であろうと、順境であろうと逆境であろうと、天を怨んで人をとがめる(脚注3)ようなことはなく、永遠に心の平静を保つ(脚注4)ことができます。

<脚注>
1.魔障
(ましょう)・・・・仏道の修行の妨げをなすもの。
2.死魔(しま)・・・・四魔の一つ。
   四魔とは仏道修行の妨げとなる四種のもののこと。
     ・ 煩悩魔(ぼんのうま)・・身心を悩まし乱す。
     ・ 五蘊魔(ごうんま)・・・・身体の苦悩を生じさせる。
     ・ 死魔(しま)・・・・・・・・・・生命を奪う。
     ・ 天魔(てんま)・・・・・・・・善行を妨げる。
3.「怨天憂人」・・・・天を怨みて人を憂う。天を怨み人をとがめる。
4.「心平気和」・・・・心平らかにして気和やかなり。心が平静で和やかなこと。

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メディアの責任は重大である

2011-07-31 | 【因果の教育】


媒體的責任重大 / メディアの責任は重大である
文摘恭錄--修華嚴奧旨妄盡還源觀(第七十三集)2009/8/13

現代的社會,能夠救社會的,能夠毀滅社會的、毀滅這個世界的,我常講兩種人,­一種是國家領導人,一種是搞媒體的。媒體影響力太大了,如果你是媒體的主持人,你播出­去的內容是暴力、色情、殺、盜、淫、妄,你就毀滅世界,要負因果責任。如果你播出去的內容是倫理道、因果、勸善的,你功無量,你救了世界。
現代の社会で、社会を救う事ができ、社会を崩壊させる事ができ、この世界を滅ぼす事ができるのは、二種類の人だと私はよく話しています。一つは国の指導者、もう一つはメディアです。メディアの影響力は非常に大きなものです。もしあなたがメディアの司会者で、放送する内容が暴力や色情、殺生、窃盗、邪淫、妄語であれば、あなたはこの世界を滅ぼします。因果の責任を負わなければなりません。あなたが放送する内容が、倫理道徳、因果、勧善などであれば、あなたの功徳は計り知れません。あなたは世界を救います。

實際上,中國古大講得好,「天下興亡,匹夫有責」,這個話講得好,任何一個人都可以做到。諺語所謂「天下無難事,只怕有心人」,你真正有心想做一樁好事,祖宗保佑你,諸佛菩薩、天龍善神保佑你,你怎麼會做得不成功?哪有這個道理?決定能做成功,為什麼?人不為自己。
実のところ、中国の古の大徳は言っています。「天下の興亡、匹夫に責あり【注1】、これは良い言葉です。誰もが実行しなければなりません。諺に言います。「天下に難事なし、只心ある人を怕(おそ)る【注2】。あなたが本当に良いことをしたいと思えば、ご先祖様が助けてくれます。諸仏菩薩、天龍善神が護ってくれます。どうして成功しないことがあるでしょうか?どこにそのような道理があるでしょうか?必ず成功します。なぜでしょうか?その人自身の為ではないからです。
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 【注1】 「天下興亡,匹夫有責」・・・・天下の興亡、匹夫に責有り。
     天下国家の興廃は一介の男にも責任がある。
 【注2】 「天下無難事,只怕有心人」・・・・天下に難事なし、只心有る人を怕(おそ)る。
     天下に難事はなく、強い意志ある人にはかなわない。
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做不成功是私心太重,如果一點私心都沒有,你的事業成就是無比的輝煌,你得人心,所有人會幫助你,你順天心,天地鬼神幫助你,哪有不成功的道理?
成功しないのは私心が重いためです。一点の私心もなければ、あなたの事業の成就はこの上なく光り輝きます。あなたは人心を得て、すべての人があなたを助けるでしょう。あなたが天の心に従えば、天地鬼神もあなたを助けます。成功しない道理がどこにあるのでしょうか?

第一回更新 2011-07-31
第一回訂正 2014-07-16

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異常現象は警告である

2011-07-31 | 【因果の教育】


異象是警告 / 異常現象は警告である
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一九一集)2010/11/10 

居住的環境,這幾天還有同學告訴我,說地陷下去了,無緣無故的這個大地突然陷下去,車在馬路上開,地一陷下去,車也下去了,有這種情形。這個在過去沒聽說過,在歷史上很少­這個記載,為什麼現在這麼多、這麼普遍?這個不是好現象。
居住環境について、ここ数日ある学生が私に言いました。地面の陥没についてです。何の理由もなく大地が突然陥没してしまい、車が道路を走っているときに地面が陥没し、車も巻き込まれてしまったというのです。このような話は過去には聞いたことがありません。歴史的にもこのような記録は少ないでしょう。ではなぜ今これほど多く、これほど広まっているのでしょうか?これは良い現象ではありません。

古人看到這些異象,都認為是上天給我們警告,讓我們反省,我們有過失。真正反省,斷惡修善,改邪歸正,端正心念,求懺悔。現在對這些不相信,不懂什麼叫懺悔,認為這些與我­們不相干,這是自然的現象、自然的災害,與我們的思想、言行沒有關係,這才是真正問題的所在。
古人はこのような現象を見たなら、すべて天が私たちに与えた警告であり、私たちを反省させ、自分たちに過失があったと考えていました。そして本当に反省し、悪を断って善を修め、邪を改め正に帰り、心を正し、懺悔をしました。しかし今ではこのようなことを信じません。何を懺悔というのかも知らず、これら(の現象)は私たちとは関係がない自然現象であり、自然の災害は私たちの思想(意識、考え)や言動とは関係がないと考えています。ここに本当の問題があるのです。

現在人不相信古人,認為古人都是迷信,不懂得科學。現在人相信科學,把古人所­有東西全部推翻,對古人表現的是輕視,沒有一點尊敬心,這在倫理上講叫大不孝!大不孝的人後果是怎麼樣的,他也不相信。但是不相信,災難來的時候你得要受。
現代人は古人を信じません。古人は科学的ではなく、すべて迷信だと考えています。現代人は科学を信じ、古人の(伝えた)ものをすべてご破算にしたうえ、古人を軽視して、まったく尊敬の念を持ちません。これは倫理でいうところの大不孝です!大不孝の人にはどのような果報があるのか、それも信じません。しかし信じなくても、災難が来たときにはそれを受けなければなりません。

所以現在我們要­感謝這世界上的科學家,特別是物理學家,近代物理學家他們研究的結論,跟大乘經上講的愈來愈相應。我們有理由相信,二、三十年之後,大乘佛教不再是宗教,是高等科學、高等­哲學,學術界會接受了。真正信佛的人他會信宗教,他會信儒、會信道,會相信中國古聖先賢傳統的文化。佛法在世間,確實也就像極樂世界在諸佛剎土一樣,超勝於彼。
私たちは今世界の科学者に感謝しなければなりません。特に物理学者です。近代の物理学者の研究結果は、大乗経で説かれているものと益々一致してきています。二、三十年後に大乗仏教はもう宗教ではなくなり、高等科学、高等哲学であることを学術界が受け入れることを、私たちは確信しています。本当に仏を信じる人は宗教を信じ、儒教を信じ、道教を信じ、中国古代の聖賢の伝統的な文化を信じます。仏法はこの世間にあって、間違いなく極楽世界の仏刹土と同じように素晴らしいものです。

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前世の行い、来世の果報を知る

2011-06-26 | 【因果の教育】


欲知過去因,今生受者是;欲知來世果,今生作者是
過去の因を知らんと欲すれば、今生受くるが是なり。
来世の果を知らんと欲すれば、今生作るが是なり。
【注1】
2010/11/21 文摘恭錄—淨土大經解演義(第二O一集)
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 【注1】 欲知過去因,今生受者是。欲知來世果,今生作者是。
・・・・『三世因果経』の冒頭の言葉。三世(さんぜ)とは前世・現世・来世のこと。
  過去の因縁を知りたければ、今生で享受することがそれである。
  来世の果報を知りたければ、今生の行いがそれである。
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「此願含二意:一者,如日澄憲師云:不知宿命故,於善不進,於惡不恐。」六道凡夫不就這個樣子嗎?十善,戒律、威儀是好事,知道是好,不肯幹,不能精進;貪瞋癡慢十惡業,­知道這個不善,天天幹,不怕。這是什麼?沒有宿命通,如果他真的有宿命通,他就不敢造惡業了。
此の願二意を含む。一つには、日本の澄憲法師の云うが如く、宿命を知らざる故に、善に於いて進まず、悪に於いて恐れず。」(『無量寿経』の註解より)
六道凡夫は、正にこのようはありませんか?十善、戒律、威儀は良いことです。良いことだと知りながら、行おうとしません。精進することができません。貪嗔痴慢(貪り、怒り、愚昧、傲慢)、十悪業、これらは不善だと知りながら、毎日行って恐れません。これは何でしょうか?宿命に通じていないからです。もしその人が本当に宿命に通じているなら、悪業を行おうとはしません。

為什麼?善有三善道的果報,造惡有三惡道的果報,苦樂懸殊太遠了,就不敢不認­真的學習。「萬善懈怠,眾惡造作,只為不知宿業也」,這句話非常感嘆,什麼人?六道眾生。佛菩薩看得清楚,他知道自己的宿命,也知道別人的宿命。
なぜでしょうか?善には三善道の果報があり、悪を行えば三悪道の果報があり、苦楽の程度は大きくかけ離れているからです。真摯に学ばない訳にはいきません。
万善を懈怠(けたい)し、衆悪を造作するは、ただ宿業を知らざる為なり。」(同上註解)
この言葉は六道の衆生を嘆いています。仏菩薩(ほとけぼさつ)にははっきりと見えています。彼らは自分の宿命を知っています。また他人の宿命も知っています。

古人有一句話說得好,對凡夫講的,「欲知過去因」,你要想知道你過去世造作的什麼因,「今生受者是」,我們這一生的遭遇都是。果報!前世造的業,這一生你得的果報。「欲知­來世果」,我來世怎麼樣?「今生作者是」,我這一生幹的是些什麼,我這一生所作所為,來世果報。這一生所受的這些苦樂是過去生中造的業報。
古人は良い言葉を残しています。凡夫に対して説いたものです。
欲知過去因」(過去の因を知らんと欲すれば)、あなたが過去に行ったことを知りたいのであれば、
今生受者是」(今生受くるが是なり)、私たちがこの一生で遭遇することがすべてそれです。果報です!前世に作った業は、この一生であなたが享受する果報なのです。
欲知来世果」(来世の果を知らんと欲すれば)、自分の来世はどうなるのでしょうか?
今生作者是」(今生作るが是なり)、自分がこの一生で何をしたのか、自分のこの一生の行いが、来世の果報です。この一生で享受する苦楽は、過去生の中で作られた業報なのです。

這兩句話你要是真正聽懂了、搞明­白了,你就心平氣和,遇到什麼樣的困苦、艱難你不會怨天尤人,你會自己反省,自己改過自新。有沒有作用?有作用,能把過去生中造的不善業減輕,可以把現前所受的緩和,這就­是改造命運!改造命運要靠自己,別人對你無能為力,要靠別人來幫助你改造命運,那是迷信,那是騙人的。
この二つの言葉を本当に理解できれば、あなたの心は平静になります。どのような苦しみや困難に遭遇しても、あなたは天を怨んだり人を咎めたりはしません。あなたは自己反省し、自分で悔い改めるはずです。効果はあるでしょうか?効果はあります。過去生で作った不善の業を軽減し、現前で受けているものを緩和します。これが運命を変えるということです!運命を変えるのは自分次第です。他人はあなたをどうすることも出来ません。他人の助けに頼って運命を変えようとするなら、それは迷信です。その人は詐欺師です。

佛菩薩絕不欺騙人,你們讀《了凡四訓》,你看雲谷禪師教袁了凡的那些­開導,了凡先生聽懂了、接受了,回去依教奉行,果然命運就改了,連壽命都延長了。袁了凡先生原本壽命只有五十三歲,他明白明瞭之後,一生努力修善積,七十四歲走的,延壽­二十一年。這是什麼?知道命運的一個好處,人不能不知道。
仏菩薩は人を騙しません。『了凡四訓』【注2】を読むと、袁了凡は雲谷禅師が説いた教えを、理解して受け入れました。帰ってから教えに従って実行し、案の定運命は変わりました。寿命さえも延長されました。袁了凡のもとの寿命は五十三歳しかありませんでした。彼は道理を理解してから、生涯修善積徳に努め、七十四歳で亡くなりました。二十一年寿命を延ばしました。これは何でしょうか?これは運命を知ることの一つの利点です。人は知っておかなければなりません。
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 【注2】 『了凡四訓』・・・・(書名)中国民代の儒学者、袁了凡(えん・りょうぼん)は53歳で寿命を終えるという宿命は変えられないと思い悩んだが、雲谷禅師と出会い、因果の教えを学んで、「積善」こそが運命を変える根本だと悟る。
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現在我們看世間人敢造惡,他不相信因果,不相信佛法,也不相信古聖先賢,心裡面只存著眼前的名聞利養,無止境的去­追求,活得非常辛苦,他欲望沒有滿足的時候。到死後,墮落在惡道裡面後悔莫及。
今世間の人たちは悪い行いを何とも思いません。彼らは因果や仏法を信じません。古の聖賢も信じません。心の中には目の前の名聞利養(みょうもんりよう)【注3】があるけです。それを際限なく追い求めて、非常に苦しんで生きています。彼らの欲望が満足することはありません。死んだ後、悪道に堕ちてから後悔してもどうにもなりません。
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 【注3】 名聞利養(みょうもんりよう)・・・名声と利得。名誉欲と財欲に駆り立てるもの。
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<参考>
子曰、不知命、無為君子也。 (『論語』「堯曰」)
子曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。
孔子は言う。天命を自覚していなければ、君子になることはできない。


第一回更新 2011-06-26
第一回訂正 2014-10-24

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人類が地球を害している

2011-06-26 | 【因果の教育】


人類害了地球 / 人類が地球を害している
文摘恭錄—淨土大經解演義(第六十四集)2010/6/21 

我們這個世界現在都是苦,佛在這經上告訴我們真話,飲苦食毒。我們現在生活真可憐,為什麼?嚴重染污。科學技術不是好東西,我們很冷靜的去觀察,它帶給我們的方便不多,我­們付出的代價太不值得了。付出什麼代價?地球毀滅,你說值不值得。科技造成的染污,現在人知道了,水土的染污太明顯了。
私たちのこの世界は今苦しみばかりです。仏が経典で説いているのは本当の話です。苦を飲み毒を食らう。私たちの今の生活は哀れなものです。なぜかといえば、汚染が深刻だからです。科学技術は良いものではありません。冷静に観察してみれば、それがもたらした便利さは多くなく、私たちが払った代償はあまり価値あるものではありません。どんな代償を払ったのでしょうか?地球の破壊です。あなたは価値があると思いますか?科学技術は汚染をもたらしました。水や土の汚染は明らかです。

現在許多人在呼籲,將來,可能是很快的將來,地球人­得不到乾淨的水,飲水沒有了,這問題嚴重!土壤染污了,嚴重的化肥跟農藥。東西是種出來了,種出來之後,這個土地再不能種東西,它有毒了,你怎麼辦?這些東西科學技術放在­裡面,好像長得是很好看,長得快、長得多,但是營養價值跟從前人工方法一比相差很遠,營養沒有了。
今多くの人が呼びかけています。将来、おそらく近い将来、地球人はきれいな水を得られなくなります。飲料水がなくなれば、これは大問題です!土壌が汚染、強い化学肥料と農薬。ものを植えて、それが育った後は、その土地は毒があるので何も植えられない。あなたはどうしますか?これらは科学技術が中に入っていて、育ったものは見た目はきれいで、量もたくさんありますが、栄養価を見れば、(昔ながらの)人が育てていたものと比較になりません。栄養がないのです。

水裡面這些毒素、土壤裡的毒素,到什麼時候才能清除掉,才能恢復正常?那­就不是短時間。現在技術發達,砍伐森林,破壞大自然的生態平衡,造成什麼?造成旱災、水災、風災,人類這種貪瞋痴慢不善的心態造成的;嚴重的災害,地球溫度上升,南北極磁­極產生了變化,這不是自然現象,自然現象是溫和的,這是人為的。
水の中の毒素、土壌の中の毒素は、どれだけ時間が経てばきれいに除けるのでしょうか?正常に回復するのでしょうか?それは短い時間ではありません。現在技術が発達し、森林を伐採して大自然のバランスを壊し、何をもたらしたでしょうか?重大な災害、地球の温暖化、南極・北極の磁極に変化をもたらしました。これは自然現象ではありません。自然現象は温和なものです。これは人為的なものです。

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