浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

霊魂は自分か?

2012-06-29 | 【修行の方法】


靈魂是不是我 / 霊魂は自分か?
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三九四集)2011/5/4 檔名:02-039-0394

靈魂是不是我?佛在經上告訴我們,靈魂是一個迷惑顛倒的我,不能說它不是我,但是它迷了,它沒有智慧。有智慧就不會迷惑,就不會在六道裡再去投胎,再去搞冤冤相報,不會幹這個傻事。在佛法裡面講靈性是我,靈魂覺悟了,就不叫靈魂,就叫靈性,靈性是我,靈性不生不滅。
霊魂は自分なのでしょうか?佛陀は仏典において説かれています。霊魂は迷いのある自分であり、自分でないとは言えません。しかし迷っていて、智慧はありません。智慧があれば迷いはなく、六道において再び生まれ変わることはなくなり、恨みを晴らし合うといった愚かな事は二度としません。仏法では霊性が自分であると説いています。霊性は悟っているので、霊魂とは言わず、霊性と言うのです。霊性が自分であり、霊性は不生不滅です。

惠能大師明心見性,性是什麼樣子?他向忍和尚的報告,第一個,性是清淨的,從來沒有染污,永遠沒有染污。我們今天講染污,佛經上後頭有個字,「染污意」,也就是說阿耶、末那、意識都會有染污,靈性不染污。靈性是真心,是真我;阿耶是假的,是妄心,是假我不是真我,所以這個觀念很重要。
恵能大師は明心見性に達しました。「性」とはどのようなものでしょう?大師は忍和尚に報告しています。一つ目は、「性」は清浄であり、これまで穢れたことはなく、永遠に穢れることはありません。私たちが今日言う穢れ(汚染)は、仏典では後ろに字を加えて「汚染意」と言います。阿頼耶識・末那・意識はすべて穢れますが、霊性は穢れません。霊性は真心であり、真の自分です。阿頼耶識には実体はなく、妄心であり、偽りの自分であって真の自分ではありません。この観念はとても重要です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一以貫之(一を以て之を貫く) | トップ | 『太上感応篇』 日本語訳3/3 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。