もう家族には言われている、働くのはもうやめてくれと。
今まで就学や就労を行うことで何回も病気を再発させてきた。よって働いて稼ぐより治療費や人生の損害にて反ってお金がかかってしまってきた。
もう家族に負担を強いることはできないと自分でも受け入れる方向でいる。するとなんだか自分が穏やかになってきたのだ。きっと無理な事をずっと強く思わなくなったからだろう。ないものねだりに努力することを止めたからだろう。
これからの先の事はとても暗いことばかりだ。そんな人生の中で何か少しだけでも生きていてよかったと思えるようにといつも願っている。そこで思った部屋のいらないものをすべて処分して何か一品生きがいと思えるものを置こうと。
今、候補に上がっているのは30年から20年ほど以前の間に夢中だったシンセサイザーだ。今の時代はソフトウェアのシンセサイザーが主流になってきているが、あえて鍵盤のついているハードウェアシンセサイザーをだ。
わずかな小遣い貯金とモノを売却したお金で、どうにか廉価版のハードウェアシンセサイザーなら購入できるかもしれない。貯金はゼロになってしまうが。それでも生きていてよかったと思える何かが欲しいなら出費してもいいだろうか。
年末年始も何も予定はない。年越しはそばの生めんをかって自炊そばを食べて迎える予定だ。クリスマスデートやパーティなんてもちろんあるわけがない。こんな自分がハードウェアシンセサイザーを購入するのは、身分不相応なことで贅沢なのだろうか。せめてそのくらいと思ってはいけないのだろうか。
精神障害者なんてろくに食べない貧しい生活を強いればいい、そんな観念が自分にはある。すまなさそうに生きていかなければいけないと。額を地面につけるようにして生きていくべきだと。そんな身分劣等感がとても人生を悲しくする。
ハードウェアシンセサイザーも無理なことねだりなのだろう。でも思うだけはお金もかからなく誰にも迷惑をかけない。カタログやネットで製品の動画をみるだけで満足しよう。
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