教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

求められている、エバンジェリスト型教師

2014-01-21 | 教育事情(国内・脳科学・心理)
年々、複雑で量も多くなる教育コンテンツ。これをうまく伝える教育のエバンジェリスト的教師が求められているのだと思います。

大学受験などでは、物理や数学の公式も、最終形の美しい形を覚えているかどうかより、何が問題の本質で、どういうアプローチをするとその公式が出てくるかが重要です。たとえば、生徒に、「結局、微分するっていうのはどういうこと?」とたずねて、「えっとX^2乗の微分は2Xです」という答えを機械的に出すことよりも、「曲線の接線の傾きがどうなるかを導き出す」という本質の理解です。

実は教科書の構成なども、そのために、最初は公式暗記からいかずに、面倒な極限なんかから勉強するわけなんです。

問題は、そうしたことに教員も気づいていないですし、いちいち定義の証明をやっていると時間がかかってしまうから、「よーっし、ここは過程はどうでもいいから、公式だけはしっかりおぼえとけ!」ということがしばしば。

考えてみれば、ギリシャ時代から近代にかけて、学者が何年もあるいは一生かかって導き出した公式を、たった1時間かそこらでマスターしていく。そういうことを毎時間繰り返しているのが現代の学校です。また有名大学に首尾よく突破するためには、そうした受験で最低限覚えることのみを効率的にインプットしようという動きに実際、なっているわけです。

無理が生じてきます。さらに時代が進み、学問が細分化されて専門性が高まれば、覚える量は指数関数的にふえてしまうことになりますし、実際になっているのが現代社会です。

アメリカの医学部などではいちはやくアクティブラーニングなどに注目したのですが、積み重なり年々莫大に増えていくインプット量を無理やり押し込んでも限界があるので、学習方法そのものを変えなければというところに至ってきたのだと思います。

数学や物理で言えば、公式を導くステップの1行ずつを全員が必ずしも理解できなくても私はいいかなと思っています。(もちろんできればそれに越したことはないけど、それができないと理解したことにならないと強要してはいけないと思います) さきほどの微分のように、感覚的・体感的・右脳的・全体的・大局的理解をうまく伝えられる教師の存在というのが意味を持つことになります。


これから必要とされるひとつの教師の型は、複雑で大量の情報を整理して伝えられる伝道者=エバンジェリスト教師 だと思うのです。
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