本日は、ファシリテーションスキルに関する思い・・を少し書かせていただきます。
合意形成やファシリテーションについて、強く意識したのは、やはり3.11 原発事故対応だったと思います。
原発は、人間が作ったもっとも複雑なものの一つです。
それが制御不能に陥った。
技術者・知識人や政府高官が総動員されても、一向に解決しない。いまでも・・・・
復興処理もいまだ一向に進んでいない東北の地域も多数あることをご存知ですか。
そう、高台移転の是非などについて、住民の合意形成が進まないからです。
会社や組織でもそうです。経営者は社員の無能ぶりをなげき、社員は経営者のそれをなげく。
学校においては、「なんでこんなことを学ぶのか?」という深い問いに教師は答えず、「とりあえず難関大突破するためには勉強しておけ」的な・・・・
どこか おかしい。
みんなが納得する解ってどうやってみつけていくのか?
みんなが幸せになる方法って、どうやって模索していけばいいのか?
それを探って、対話型のワークショップに多数参加してきました。
対話することは大事。でも、対話”温泉”になってしまっている。
対話自体は聴いてもらえたり、話したいことが話せる場になっている。
そこが心地いい、気持ちいい。 でも温泉から出て、自分のフィールドに帰れば寒々としている。
そして対話だけでは、肝心なことが決まっていかない。アクションプランに結びついていかない例もたくさん観てきました。
どこか、心地悪いこともあえて場にだせる、でも最後はお互い納得できる。そんな空間をつくる人がなかなかいない・・・出てこない。
結局は他人事、だれかが決めてくれればいいというマインドに戻っていってしまっている。
これは、何が足りないのだろう??
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人間はどうやら、新しいコミュニケーション手段が必要とする領域に来ているのではないでしょうか?
誰か一人が一つの価値観を押しつけるのではなく、多様な価値観が表現される。
でも、多様な価値観を表現すれば、当然、衝突はおきる。
そうなったとき、誰かが何らかの手段で調整を図る必要がある。
それぞれの人のニーズに注目しながらも、なるべくみんなが納得できる解をさぐっていくことを助ける人。
その調整役が決めてしまうのではなく、”場”に決めさせる力。・・・・ それを引き出せる人。またはその能力。
あるいは、注目しているコミュニティの個人個人に潜在的に隠されていて表現されていない能力をもっと引き出していく。
それもできる人。またはその能力。
上質なコミュニケ―ションが上記のことに相当するならば、
今は、「ファシリテーション」という言葉が、それに近いものだと思っています。
子どもはこうしたいと思って表現しているけど、自分(親)はそれには反対。
親がすぐに命令して従わせることは簡単かもしれません。泣き叫んでも大人の方が力は強かったりするから・・・
でも、それでいいのか? 変に抑圧的にいつも接していれば子どもの精神はどこかで病みます。
もちろん、子どもの言うとおりに親が振る舞っていたら、とんでもない大人になってしまうのも事実。
じゃ、どうするか・・・・ これもファシリテーションスキル
先生が一方的に授業を進めれば、生徒は正解の決まった従順な方法を暗記はできる。
でも、それでいいのか? 社会に出て正解のない問題には対処できなくなります。
すると、先生は、子どもの状況を把握しつつ、適切な問いを生徒に与えることが重要になります。
そんな問いや、子ども自身が考えていけるようにしていくことが大切になるのです。
じゃ、どうするか・・・・ これもファシリテーションスキル
会社で上司が一方的に・・・ 町内会では自治会長が一方的に・・・
以下 同様・・・・(笑
どこでもファシリテーションが必要となってきそうですね。。。。
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今回、オンラインで授業をなさっている田原真人さんの後押しもあり、ファシリテーション講座を10月から開催することになりました。
オンラインで5週にわたって夜行われる、ファシリテーションに特化したプログラムはおそらく日本で最初となることでしょう。
もちろん、講師としての私の役割は重要ですが、そこに参加した方の”場”がつくる力が、いろいろなものを生み出します。
講師の話を聴いて、右から左へ真似するのではない。
参加者が互いに気づき合い、磨き合う集団となります。
オンラインだから、仕事が終わった夜に、家庭からアクセスできます。
オンラインだから、全国の学びたい同志が集い、熱い場になります。
オンラインではありますが、相手の顔をみてじっくり話ができる仕組みがサポートされています。
ファシリテーションスキル入門 締め切りは本日24時となっています。
次回は、いつ開催できるか未定です。
いま、必要性を感じた方が続々と集まっています。
合意形成やファシリテーションについて、強く意識したのは、やはり3.11 原発事故対応だったと思います。
原発は、人間が作ったもっとも複雑なものの一つです。
それが制御不能に陥った。
技術者・知識人や政府高官が総動員されても、一向に解決しない。いまでも・・・・
復興処理もいまだ一向に進んでいない東北の地域も多数あることをご存知ですか。
そう、高台移転の是非などについて、住民の合意形成が進まないからです。
会社や組織でもそうです。経営者は社員の無能ぶりをなげき、社員は経営者のそれをなげく。
学校においては、「なんでこんなことを学ぶのか?」という深い問いに教師は答えず、「とりあえず難関大突破するためには勉強しておけ」的な・・・・
どこか おかしい。
みんなが納得する解ってどうやってみつけていくのか?
みんなが幸せになる方法って、どうやって模索していけばいいのか?
それを探って、対話型のワークショップに多数参加してきました。
対話することは大事。でも、対話”温泉”になってしまっている。
対話自体は聴いてもらえたり、話したいことが話せる場になっている。
そこが心地いい、気持ちいい。 でも温泉から出て、自分のフィールドに帰れば寒々としている。
そして対話だけでは、肝心なことが決まっていかない。アクションプランに結びついていかない例もたくさん観てきました。
どこか、心地悪いこともあえて場にだせる、でも最後はお互い納得できる。そんな空間をつくる人がなかなかいない・・・出てこない。
結局は他人事、だれかが決めてくれればいいというマインドに戻っていってしまっている。
これは、何が足りないのだろう??
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人間はどうやら、新しいコミュニケーション手段が必要とする領域に来ているのではないでしょうか?
誰か一人が一つの価値観を押しつけるのではなく、多様な価値観が表現される。
でも、多様な価値観を表現すれば、当然、衝突はおきる。
そうなったとき、誰かが何らかの手段で調整を図る必要がある。
それぞれの人のニーズに注目しながらも、なるべくみんなが納得できる解をさぐっていくことを助ける人。
その調整役が決めてしまうのではなく、”場”に決めさせる力。・・・・ それを引き出せる人。またはその能力。
あるいは、注目しているコミュニティの個人個人に潜在的に隠されていて表現されていない能力をもっと引き出していく。
それもできる人。またはその能力。
上質なコミュニケ―ションが上記のことに相当するならば、
今は、「ファシリテーション」という言葉が、それに近いものだと思っています。
子どもはこうしたいと思って表現しているけど、自分(親)はそれには反対。
親がすぐに命令して従わせることは簡単かもしれません。泣き叫んでも大人の方が力は強かったりするから・・・
でも、それでいいのか? 変に抑圧的にいつも接していれば子どもの精神はどこかで病みます。
もちろん、子どもの言うとおりに親が振る舞っていたら、とんでもない大人になってしまうのも事実。
じゃ、どうするか・・・・ これもファシリテーションスキル
先生が一方的に授業を進めれば、生徒は正解の決まった従順な方法を暗記はできる。
でも、それでいいのか? 社会に出て正解のない問題には対処できなくなります。
すると、先生は、子どもの状況を把握しつつ、適切な問いを生徒に与えることが重要になります。
そんな問いや、子ども自身が考えていけるようにしていくことが大切になるのです。
じゃ、どうするか・・・・ これもファシリテーションスキル
会社で上司が一方的に・・・ 町内会では自治会長が一方的に・・・
以下 同様・・・・(笑
どこでもファシリテーションが必要となってきそうですね。。。。
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今回、オンラインで授業をなさっている田原真人さんの後押しもあり、ファシリテーション講座を10月から開催することになりました。
オンラインで5週にわたって夜行われる、ファシリテーションに特化したプログラムはおそらく日本で最初となることでしょう。
もちろん、講師としての私の役割は重要ですが、そこに参加した方の”場”がつくる力が、いろいろなものを生み出します。
講師の話を聴いて、右から左へ真似するのではない。
参加者が互いに気づき合い、磨き合う集団となります。
オンラインだから、仕事が終わった夜に、家庭からアクセスできます。
オンラインだから、全国の学びたい同志が集い、熱い場になります。
オンラインではありますが、相手の顔をみてじっくり話ができる仕組みがサポートされています。
ファシリテーションスキル入門 締め切りは本日24時となっています。
次回は、いつ開催できるか未定です。
いま、必要性を感じた方が続々と集まっています。