教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

時間がないということと職業

2012-09-11 | 番組、記事、書籍コメント
フェイスブックで知った、ゴトーケンタさんのとあるブログ記事。

「果たして現代人は時間がなくなったのか?」という疑問。

**ここから引用
▼普通の市民が一分一秒を争う時代

例えるならば、携帯やネットが当たり前になる前のまとまった時間の単位が30分だとしたら、いまは3分くらいの感覚だ。

人によってはもっと短いかもしれない。そうでなければ【一分一秒を争う】なんて言葉を日常的に頻繁に耳にすることはないはずだ。

命のかかっている医療の現場ならまだしも、現代ではごく普通の生活市民が一分一秒を争う異常事態だ。

**ここまで引用

確かに、ツイッターやフェイスブック、さらに携帯のLINEなどではリアルタイムに様々な他人の様子がはいってくる。これらにまともに対応していたら、時間はいくらあったも足らないということになるでしょう。時間が細切れにされ、同時に複数の課題処理を迫られる毎日。生活を便利に豊かにしてくれるはずの文明の発展が、我々の人間らしさを逆に縛っている現状があるのかもしれません。また、それになんとなく気づいてはいるものの、表立って、「じゃあ、それ自分は使いませんから」とは勇気を持って宣言できないところもつらいところです。途端に情報格差の弱者的立場に立たされる可能性がありますから。

ここでメディアリテラシー教育の必要性を感じます。
今の自分がつながる必要がある相手は誰であり、メディアは何であり、必要な情報そのものは何なのか。膨大な情報が行き交う中で、賢い選択能力が問われるわけです。

いらないゴミのような情報は、あえてつかまない、拾わない、それに時間をとられないといった自己防衛が必要なのかもしれません。

また、次に続く記事も気になりました。

**ここから引用
▼一芸に秀でるためには10000時間を要する

とは、よく言われるが、10000時間ってどのくらいかというと、毎日3時間を10年だ。あるいはそれを職業として見習いをするなら、10年かかるところを3年くらいに短縮できるかもしれない。

週末ちょろっと講義に通って受験して資格取得するだけで飯が食えるとか安心するのはそもそもおかしいのではないか。

**ここまで引用

誰かの代用となる仕事は、ITやアルバイト・派遣社員などにとって代わられます。
これが、「別に自分がいなくたって・・・自分なんていなくたって」という低い自己肯定感につながったりする可能性があります。そして確かに一芸に秀でるためには、常に自分を高めるための勉強を常にしなくてはなりません。その世界も人数が増えてくれば過酷な競争になっていってしまいます。それをエキサイティングだと思える人は除いて憂鬱度は増していくことでしょう。

ものすごく自分に投資し、時間も割いてその道の専門家になったとしても、その頃、その職業に需要が必ずあるとは限りません。そうした場合は別の道、別の学習が必要になるとしたら・・・

こうして、常に何かしていないと不安になり、また自分は出来ているのだろうか? という別の不安もよんでいることになります。これを打破する根本的な解決策をここで提示できるわけではないのですが、まずは現状認識や何がおきているかを冷静に観る姿勢が必要なのだなぁと思いました。
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