耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

理科系の発想

2015年02月27日 09時27分14秒 | この頃思うこと
 若い頃は死ぬことを考えることが無かった。

 自分の死は、随分先の話で、当分考える必要がなかった。
だから今、明日、どう生きるか、目の前の課題をどう片付ける
か、どうすれば楽しめるか、そうすればその先にどんな素晴
らしい未来が開けるか、それが人生の目標だった。


 生き物は必ず死ぬものではあるが、それまでは生き続ける
ものだという前提の元に、効率を求めることを使命と考える
のが、理科系の発想で、死とは何か、何のために生きるのか、
ということは、文科系に任せた積りでいた。


 昔、自分が積み立てた年金を取り崩しているんだ、と言う
言い訳は用意しているが、無為徒食の老人が、生き続けること
が許されるのか、と考える事がある。
 1ドルあれば飢えた幼児にミルクが届くとか、予防接種が
できるとか、そんな時に年金生活者が遊んで酒飲んでて良い
のか?


 自分の存在が、他の人の迷惑になっているんでは無いか、
ここに今、自分が居て良いんだろうか? 昔、貧乏生活を
強いられていた頃は、良くこんな事を考えたものだった。
歳とともに厚かましくなって、開き直りを覚えて、行列の
中に自分の位置を確保することをためらわなくなった。


 高齢者の域に近づき、死が他人事で無くなると、何の
ために生きるのかが気になる様になった。
 痛い・苦しいは勘弁して貰いたいが、死ぬことはさほど
怖く無い、と思っている。
只、周りに迷惑をかける死にかたはしたくない。いや、
死んでしまえば、関係ないかな。

 人は、無條件に死を回避するもののようだが、今の私は
死を怖いとは思っていないようだ。
しかし、今ここで例えば心筋梗塞の発作が起きたら、どう
するだろうか? 苦しむのは嫌だが、そのまま死んでしまう
事を受け入れるだろうか?

 自分の健康状態にさしたる異常が無く、今すぐ死にそうに
無いから、生意気な事を考えるんだろうか?

持病を持っている人、死期が近い人は、どう考えるんだろう
か?



 取り敢えず理科系頭脳では、生きている現実を前提条件
として時間を無駄にしないよう努力して見よう。


        大寒の手足にしみる朝湯かな 蛙蝉




最新の画像もっと見る

コメントを投稿