耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

大地震

2011年03月12日 17時43分01秒 | 都会の風景
 3月11日午後3時少し前に東北地方で、観測史上最大規模の地震が発生した。

 私は大阪で照明器具売り込みのための現地確認作業中。ユッサユッサと揺れ、
テレビを見た人が東京は大変みたいだ、と言う。あわててスマートフォンで確認
するとエライことになっている。挨拶もそこそこにお客様を辞し、近くの喫茶店で
情報収集。ワンセグTVとWEBの情報で状況を把握できたが、電話連絡が出来
ない。
 そのうちに、一人の携帯に家族が東京の自宅からかけた電話が届いた。何度
もトライしてやっと掛かったとのこと。相当揺れたが無事だと言う。

 妻の携帯にも自宅の電話にも、何度かけても通じなかったが、今度は私の娘
からdocomoのSMSにメールが届いた。さすがにdocomoだ、電話は全く機能しな
いものの、メールだけでも連絡の手段があるのは心強い。娘にも私の自宅の
様子を調べるよう頼んだが、全く通じないとのこと。

 新幹線始め交通機関は動いていないので、とりあえず予約していたホテルに
入ろうと、歩いていたら緑の電話ボックスが目についた。勧められて、ダメ元で
かけてみたら、何と自宅に繋がった。近くでは被害が大きい所もあるが、自宅
のダメージは小さいとのことで、一安心。

 携帯もメールも通じないのに、公衆電話もなかなか侮れない。
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2 コメント

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大地震 ()
2011-03-21 15:39:38
耳順庵さん
いつも興味深く拝読させていただいておりますが、今回初めてコメントさせていただきます。
出張先で自宅方面で大地震発生の報に接するということでは精神的ストレスは大変なものでしたろうと拝察いたします。奥様も無事で何よりでした。
私の仕事場は品川の大崎ですが、地震発生の瞬間は割りと小刻みの小さなゆれだったのでいつもの茨城県南部あたりを震源とするものだな、くらいに思っていましたが、そのうち大きく揺れだしなかなか静まりません。約2分間ぐらい大きく揺れ続けたと思います。この間ゆれの山が3回くらいあったように思います。
会社にはまったく被害が出なかったのですが、電車がとまってしまったため徒歩で帰宅しようと決心しました。5:15くらいに大崎を出て山手通り・井の頭通りをひたすら歩き、吉祥寺でバスに乗って、自宅にたどり着いたのが10:30ころだったと思います。この間、消防署とコンビでトイレを借り、最後に公園の公衆トイレも借りました。道中のほとんどすべてのコンビにが営業していて心強く思いました。
docomoの携帯は通話はもちろんメールもだめでした。途中で公衆電話ボックスがあったので試しに掛けて見たところ幸い通じたので息子の無事を確認し一安心して歩きを続行することができました。妻も私の帰宅後1時間ほどで勤めから戻ってきました。
ニュースを見ると被害の甚大さが未曾有であることは明白で、その晩はなかなか寝付けませんでした。
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首都圏の地震 (耳順庵)
2011-03-22 07:38:05
 私も現役時代は、大崎や五反田に長年勤務していました。あのあたりは、地震に弱く、大地震が来ると火災が発生して生存の確率は低いんではないか、といつも思っていました。
 今回は発生時刻がたまたま良くて、火が出なかったけど、火事の中で都内を歩くのは、極めて困難ではないでしょうか。
 私は今、新橋に勤務していますが、覚悟を決めて、あきらめるしかない、と思っています。
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