耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

高浜虚子

2012年07月22日 13時54分01秒 | その他
 図書館で見かけたので、虚子の句集を借りてきた。

 高浜虚子は、ホトトギスで花鳥諷詠を唱えた俳人で、近代俳句を確立した
と言われている。
 ホトトギス同人の伯父から、俳句は感情を詠うものではなく、見たままの
自然を575にまとめて詠むものだと教わり、若干の窮屈さと違和感を感じた
ものだった。
 しかし、今回初めて虚子の俳句を読んで、ホトトギス俳句に対する見方が
変わったように思う。

 まず驚いたのは、著名な俳人が極端に嫌う、字余りの破調の句が多いと
いうことだ。

   白牡丹といふといへども紅ほのか
   春潮といへば必ず門司を思ふ
   元旦の門を出づれば七人の敵


あたりは、字余りと言えども、あまり不自然さは無いが、

   怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜
   書中古人に会す妻が炭引く音すなり
   凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり


などは、字余りというより、もう短詩の世界であろう。

 数年前に、柿田川のきれいな水に鮎が泳ぎ、それを狙ってカワセミが集まり、
それを撮影するためにカメラを持った人が集まっている様子を詠んだ、

   柿田川梅雨の晴れ間に水も魚も鳥も人も 蛙蝉

という句もそんなに異端でも無いという気がする。


 また、花鳥諷詠を超えて人の気持ち・思いを読んだ句も多い。

   命かけて芋虫憎む女かな
   秋風やとある女の或る運命
   敵といふもの今は無し秋の月
   虚子一人銀河と共に西へ行く
   去年今年貫く棒の如きもの


 やはり私は、自分の句を通して、自分の考えを述べたいと思う。

   孫と夏この人生の絶頂期
   食い初めや男雛と並べいつの日か
   佳きことを老母に話して小春かな
   来年もこの赤き花送りたし
 
    蛙蝉



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