耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

宗教的生活

2014年07月01日 09時12分19秒 | 世相今昔
 宗教とは何だろうか?

 宗教的生活とはどんなものだろうか?
 弱い人間の心を支え、考え方を方向付けるものだろうか。
門外漢の目には、人の心の弱さに付け込むように見えてならない。
天国の素晴らしさを説いて人の気持ちの中の依存心を煽り、地獄の
怖ろしさで恐喝し、人生の目的と生き方の指針を示して強制し、
仲間意識を持たせる。そして、組織が出来れば組織の維持と拡大が
自己目的になり、献金と勧誘が義務付けられるのは当然の成り行き
であろう。

 世に色んな宗教が有る。エホバの証人、物見の塔、統一教会、
オームなどは、そんな類なのだろうか?
 モルモン教やフリーメイソンはどうだろうか? マフィアやKKKも
宗教と言えるのだろうか?



 私は宗教を持たない。宗教文化には興味が有るから神社やお寺には
お参りするし、教会の雰囲気も嫌いじゃ無い。
しかし、生活を規制されるのは嫌だし、規則に縛られるのは窮屈だ。
ましてや献金を強制されたり勧誘を義務付けられるのは、まっぴらだ。

 宗教とはそんなものだと決め付けるつもりは無いが、外から見ると、
そう見える。つまり、信じようとする気持ちが無い、必要性を感じて
居ない、信心の素晴らしさを知らない、と言うことだろうか。

 キリスト教圏やイスラム社会のように、生まれた時から宗教的環境
にあり、生活の基盤に宗教活動が有ると、抵抗なく受け入れられるん
だろうが、自堕落な生活に慣れ親しんだ今となっては、抵抗が大きい。



 考えて見れば昔の日本は、教義や経典が明確に有った訳では無いが、
結構宗教的な生活をしていたのでは無いかと思う。地域社会の中で
日常の挨拶の仕方や生活習慣を学び、お百姓さんに感謝し食べ物を
粗末にせず、親や年長者を敬い規律を重んじ、季節の行事やしきたりを
大切にして、先祖を祀って八百万の神に感謝する。
 そんな生活は、十分に宗教的ではなかっただろうか。

 今の日本人が仏教や神道を受け入れられないようになったのでは無く、
日本人の生き方が、人間性を失いつつ有るような気がする。


 宗教側の問題では無いかもしれない。


    雷一撃何に怒りし喝なるか  蛙蝉


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今朝の新聞 | トップ | 庭のすもも »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

世相今昔」カテゴリの最新記事