耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

コンピュータ

2014年08月21日 09時52分28秒 | 世相今昔
 始めてコンピュータに接したのは、大学の卒論の時だった。

 FORTLANでプログラムを組んで東大にある大型コンピュータを使わせて
もらうために、紙カードにパンチした。まだIBMの汎用機が日本に数台
しか無くて、九州の田舎大学の電算機室には、紙カードのパンチ機が
数台置かれているだけの頃だ。

 練習問題として、4桁の数字を麻雀牌に見たてて、聴牌している組み
合わせを探すというプログラムを作ったことがある。
FORTRANのプルグラムを紙カードにパンチして、航空便で東大に送ると
数日後に、シンタックス・エラーと書かれたプリンターの出力が送り
返されてくる。
ミスを修正してまた送る、という気の長いことをやっていた。

 大学の電算機センター(計数センターと言ったっけ)を建設中に、
米軍のジェット戦闘機が突っ込んで来て大騒ぎになって、総長を先頭に
全学で市中デモをやった頃だ。ファントムが田舎大学の70年安保闘争の
口火となって、その後学内封鎖が続いた。

 その電算機センターは2年後にオープンした。





 今はスマホや携帯で利用するソフトウェアシステムのことを、
「アプリ」というが、少し前はPCで使うソフトウェアは、ゲームソフト
とか通信ソフトのように「ソフト」と言っていた。
就職して最初の部署では、ミニコンを使って機械を制御したり事務処理を
するコンピュータシステムを製造販売していたが、ソフトウエアの集まり
を「システム」と称していた。用語も時代で変わって来る。

 プログラム言語も代わった。当時、科学技術計算はFORTRAN、事務処理は
COBOLが一般的だったが、いずれもコンパイル言語で、いったん機械語に
変換した後で、電算機が処理した。
その後 インタープリター言語と言う便利なものが出てきた。解釈実行型言
語とも言う。PCの初期に人気だったBASICなどがそうで、命令語を逐次実行
する。

 要は、機械が実行できる形にまで詳細に具体化した命令を、漏らさず記述
するために曖昧さを許さず、厳密に文法を定義した言語体系がプログラムで
あろう。最近は、オブジェクト指向などと言って、人間の思考に近づく傾向
があるが、まだ自然言語には程遠い。




 最近はロボットブームである。私も会社でロボット作りに携わったことが
有る。といっても最近流行りの人型ロボットではなく、多関節ロボットと
いう産業用の機械である。この動作を記述するためのロボット言語を開発
した。これくらいの速さで手先を動かせとか、センサーの信号を取り込め、
と言った命令をロボットに指示するためのプログラムである。

 最近は、画面上の図記号を組み合わせることで、子供でもロボットを動かす
ことが出来るようだ。



 機械が人間に近づいて来ているのか、人間が機械側にすり寄っているのか、
微妙な問題である。






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