家の中にモーターが何台あるかが、文化のバロメーターだった
時代がある。今は、コンピュータがいくつあるかだろうか。
ちょっとした家電製品の中にもマイコンチップが埋め込まれている
から、数十は下らないだろう。
家の中にテレビが何台あるか?
一家に一台と言われた時代もあるが、今は一部屋に一台、を通り
越している。PCでも携帯でも、ゲーム機でも、車の中でもテレビを
見ることができる時代になった。
電話はどうだ。
昔は電話を引いているのは町内に一軒か二軒。大体玄関の下駄箱
の上に、座布団かなんか敷いて、黒電話が置かれていた。一昔前の
公衆電話のようなもので、必要なときには貸して下さいと10円玉持って
借りに行ったし、呼出しもしてくれた。
あの電話機は電話線が電源線を兼ねていたから、停電になっても
使えた。今はいろんな機能が組み込まれていて、そのため電源が
生きていないと使えない。
便利なようで不便になったのではないかと思うのは、私だけだろうか。
もっと前は壁掛けの手回しのハンドルが付いている電話機で、
グルグル回すと交換手が出て、つないでくれる方式だった。一昔前の
内線電話もそんな方式だったな。
社用車で後ろのトランクの横に頭が黄色いアンテナが立っていると、
自動車電話が付いている証拠で、自慢の種だった。携帯電話が出た
頃は、肩掛けのカバンのような大きさだったが、あっという間に小型化
された。
それが今はどうだ。携帯は一人一台で、個人用と会社用と複数持って
いる人もいる。
時計もそうだ。
私が小さかった頃は、居間の大黒柱に振り子時計が一つ掛かって
いて、一日に一回踏み台に乗って、ネジを回すお爺ちゃんがまぶし
かった。
今でも腕時計をいくつか持っているが、今時時計が無い場所なんか
探すほうが難しい位だ。それでも出掛けるときに左腕に時計が無いと、
何となく心許ないのは何故だろう。
昔は時計の癖を覚えておいて、この時計がこの時間だから今何時だ、
などと言っていた。今は電波時計が常識だから、秒単位の狂いが気に
入らない。何とも、人間というものは身勝手なものだ。
思えばこの数十年で、我々の周りの風景は大きく変化した。
人間がそれに付いて行っているかどうかが、問題だ。
時代がある。今は、コンピュータがいくつあるかだろうか。
ちょっとした家電製品の中にもマイコンチップが埋め込まれている
から、数十は下らないだろう。
家の中にテレビが何台あるか?
一家に一台と言われた時代もあるが、今は一部屋に一台、を通り
越している。PCでも携帯でも、ゲーム機でも、車の中でもテレビを
見ることができる時代になった。
電話はどうだ。
昔は電話を引いているのは町内に一軒か二軒。大体玄関の下駄箱
の上に、座布団かなんか敷いて、黒電話が置かれていた。一昔前の
公衆電話のようなもので、必要なときには貸して下さいと10円玉持って
借りに行ったし、呼出しもしてくれた。
あの電話機は電話線が電源線を兼ねていたから、停電になっても
使えた。今はいろんな機能が組み込まれていて、そのため電源が
生きていないと使えない。
便利なようで不便になったのではないかと思うのは、私だけだろうか。
もっと前は壁掛けの手回しのハンドルが付いている電話機で、
グルグル回すと交換手が出て、つないでくれる方式だった。一昔前の
内線電話もそんな方式だったな。
社用車で後ろのトランクの横に頭が黄色いアンテナが立っていると、
自動車電話が付いている証拠で、自慢の種だった。携帯電話が出た
頃は、肩掛けのカバンのような大きさだったが、あっという間に小型化
された。
それが今はどうだ。携帯は一人一台で、個人用と会社用と複数持って
いる人もいる。
時計もそうだ。
私が小さかった頃は、居間の大黒柱に振り子時計が一つ掛かって
いて、一日に一回踏み台に乗って、ネジを回すお爺ちゃんがまぶし
かった。
今でも腕時計をいくつか持っているが、今時時計が無い場所なんか
探すほうが難しい位だ。それでも出掛けるときに左腕に時計が無いと、
何となく心許ないのは何故だろう。
昔は時計の癖を覚えておいて、この時計がこの時間だから今何時だ、
などと言っていた。今は電波時計が常識だから、秒単位の狂いが気に
入らない。何とも、人間というものは身勝手なものだ。
思えばこの数十年で、我々の周りの風景は大きく変化した。
人間がそれに付いて行っているかどうかが、問題だ。
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