ポーランド訪問記(22)素晴らしいバンケット
(学会参加)
2001年6月16日(土)~6月25日(月)
2001年6月20日(水).第5日目。クラコフ3日目 (つづき)
私達は,今夜,これから開催されるISC(Informing Science Conference)のレセプションに参加することになっている.会場は,クラコフの南西にあるウエスキス宮殿(Wezykow)である。クラコフ中央広場の入口に集合して,学会が仕立てたバスに乗って会場へ向かうことになっている.
招待状がないと会場には入れないので,まずは,招待状を持っているかを確かめる.
招待状には,次のようなことが書かれている.
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The organizer of
The Informing Science Conference
have the great honor
to invite to banquet
that takes place in “Palace Wezkow” in Pasekowaka
on Wednesday 20th June at 19.30.
Please take this invitation to the bus.
The gathering takes place in the “Rezydent Hotel” at 18.30.
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18時30分,集合場所のドゼフディエツル博士(Dr.Dozef Dietl)像の前へ行く.各国,さまざまな人種の同行者,約40人ばかりが集まっている.皆,私達と同じホテルか近くのホテルに宿泊しているらしい.
18時48分にバスに乗車する.すぐに発車.バスはクラコフから南の方向に走り出す.
私も地図を見ながら,バスがどちらの方向へ向かっているかを調べていたが,バスが右へ左へと繰り返し曲がっている内に,方向が分からなくなる.
案内役の女性,Bさんが,皆に挨拶をする.
「これから会場のウェスキス城まで,45分ほどかかります・・・途中,××ホテルからくるバスと合流します・・・」
と英語で説明する.
Bさんは学会の事務を担当している方である.
19時41分,私達を乗せたバスは,なだらかな丘陵地帯を通過する.のどかな田園が広がっている.道路が次第に狭くなる.舗装の状態もだんだんと悪くなり,バスが上下に大きくバウンドする。何となく心細くなりはじめる.
バスが停まる.
前方の標識を見ると「重量制限2.5トン」と書いてある.どうやら道に迷ったようである.
Bさんがマイクを握り,皆に説明する.
「予想外のことになりました・・・・これから,1キロメートルほど,今来た道を戻ります・・・これもポーランドの田舎流なんです・・・」
道路が狭いので,バスを方向転換させることは不可能である.数百メートルほどの狭い道をバックでソロリソロリと走る.
19時50分に,道を間違えた場所まで戻る.バスは,ここからやっと正面を向いて走り出す.道路の両側には小綺麗な農家が点在している.
20時を大分回った頃,私達のバスは,何とかウェスキス城に到着する.広い庭園の向こうに3階建ての大きな館が見える.ここがウェスキス城である.
「ウェ~・・・ェ! 凄い所だな~ぁ・・・!」
<会場となった宮殿>
玄関を入る.係員に招待状を渡す.
建物の中は意外に狭い.受付を済ませて2階のレセプション会場に進む.古い建物,内部は以外に質素.たくさんの人達が集まって,ガヤガヤと飲み始めている.
私達も,片言英語ながら,ゴジャゴジャと話しながら,会話の渦の中に入り込む.こんな時間がとても楽しいが,お互いに訛りの強い英語で話し合うので,凄く疲れる.
やがて,中央の小さなステージに視界の紳士が立つ.
「これからレセプションを開始します・・・最初にコーエン会長を紹介します・・」
と挨拶する.もう21時05分である.
コーエン会長の短いスピーチの後,司会者が,この建物の歴史を説明する.正確にメモしなかったので,ここでは省略.
いきなり凄い声量の女性歌手がローカル色豊かな歌を歌い出す.
続いて2人の男性と女性の歌手が一緒に歌い出す.バイオリンを弾きながら,激しい踊りをまじえ,おへそを出すようにして歌いまくる.
“熱海の~・・海岸散歩するゥ~・・・”
のギコギコバイオリンと同じような感じである.とにかく,すざましい迫力に圧倒される.
会場は隣り合わせの二つの部屋に分かれている.歌手達は,二つの部屋を歌いながら行き来する.大変情熱的な歌が次から次へと出てくる.歌詞は全く分からないが,
“ウン,シャッ,シャ・・・ウン,シャッ,シャ・・・”
という3拍子のリズムに乗って,ひたすら歌いまくる.
<賑やかな音楽隊>
私は,会場の様子や,食べ物のスケッチを繰り返す.パン,アスパラ,ハム,春巻き,ブロッコリー,トマト等々を取り皿にとっては,スケッチして,それを食べまくる.
私がスケッチをしていると,コーエン会長がやって来て,
「あなたは,アーティストか?」
と聞く.
「いえ,飛んでもない・・・Just my hobbyですよ」
と,いつものように返事をする.
時間が瞬く間に過ぎる.
22時30分に,司会が,
「皆さん,外へでてください・・・これから花火を揚げます」
という.
外に出る。いつの間にか外は真っ暗である.
やがて数十発の花火が次から次へと揚げられる.素晴らしい花火である.
楽団が音楽を奏でるのを聴きながら,バスに乗車する.私達が乗るバスは普通のバスだが,もう1台は2階建ての大きなバスである.
私は,Hさんの脇に座る.
22時48分,案内役のBさんに見送られながら,ウェスキス城を後にする.
バスは暗い田舎道を走り出す.私はいつの間にか寝込んでしまう.気が付くと,バスは私達のホテルのすぐ近くまで来ている.
22時50分,バスを降りる.
小雨が降っている.小走りにしてホテルへ駆け込む.ロビーで鍵を受け取り,部屋へ飛び込む.シャワーも浴びずに,そのままベッドに潜り込む.
(つづく)
「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d2312d325517a12c95b4c1498d0ef9e9
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2655e253e6aee0585300f06e8dd714ae
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[編集後記]
2011年8月17日(水) 晴 猛暑
相変わらずの猛暑である.
何時ものように,4時に起床する.辺りはまだ夜が明けきらずに暗い.今日こそ丹沢へ出掛けようと思う.念のため,外へ出てみる.昨日の猛暑で暖められた熱気で,早朝なのにムッとするほどの高温である.とても残念だが,あえて猛暑が予想される日に丹沢へ出掛けることもなかろうと断念する,・・・ム,ム,ム,御身大切とは言え,残念至極.
これでは,ますます足腰が弱くなってしまうなと心配になる.そうかといって,この異常なほどの暑い中,山歩きをして熱中症にでもなったら,それこそ元も子もなくなる.ジレンマ!
…で,歩かないよりは,たとえ鎌倉の天園でも歩く方がマシなので,10時30分頃,バス停鎌倉中央公園入口から歩き出して,源氏山公園,建長寺,天園ハイキングコース,獅子舞,鎌倉駅までを一回りしてきた.暑いのなんのって…
でも,汗だらけになって一回りしたので,だいぶスッキリした(この記録は明日このブログに掲載する).
明後日から,北アルプスの軽い山へ2泊3日で行く予定である.良い年だから安全のために某ツアー会社主宰のツアーに参加する.そろそろ準備をしなければと思っているが,まだその気にならない.何時もながら困ったものである.
(愚痴おわり)
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