<茨城県と福島県の県境>
奥州街道(白河の道);第5回;1日目(4);関の明神・白河関の森公園
(クラブツーリズム)
2017年7月12日(水)~13日(木)
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1日目;2017年7月(水) (つづき)曇後雨
<ルート地図>
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<野趣豊かな草道>
■白河関への分岐
雨が少し強く降り出す.そうなるとノートに記録するのもままならなくなる.今は梅雨時である.雨が降っても当然だし,多少,雨に降られるのも”承知の助”…とはいうものの,やっぱり雨が降り出すと意気消沈する.勢い写真を撮ろうとする気持ちも,ノートをとる意欲も減退してしまう.
雨に降られながら,14時45分,白河関へ向かう道を分岐する.
意気消沈しているとはいえ,機会があったら,是非,白河の関も行ってみたいなと思いながら通過する.自分一人の旅立ったら,多分,私はここから白河の関に向かっただろうなと思いながら…
<白河の関へ向かう道を分岐する>
■草道に入る
白河の道を分岐してすぐに川沿いの草道に入る.途端に長閑な田園風景の真っ直中に入った気分になる.
この草道は実によく手入れされていて,下草は私の頭より綺麗に刈り込まれている.住民の方々の熱意を感じながら,実に良い気分で草道を歩く.
<草道に入る>
■路傍の石塔群
草道に入って2分ほど歩いて,14時48分頃,路傍に沢山の石塔が立ち並ぶ所を通過する(冒頭の写真).その中に二十三夜塔があるのを確認する.
これらの石塔を建立した人達は,一体どんな願いをこれらの塔に込めたんだろうか.また,ここでどんな暮らしをしていたんだろうか.そんな取り留めもないことを想像しながら歩き続ける.
<路傍の石塔群>
■初花清水
14時49分,初花清水に到着する.
山の方から道路の下を潜って,湧き水が流れている.
プラスティックのコップが1個置いてある.
”この水,本当に飲んで大丈夫かな…”
と思った私は,水源の方まで目視する.どうやら,地面から直接湧き出ているようなので飲んでも大丈夫だろうと判断する.
せっかくコップが置いてあるので,とにかくこの湧き水を一杯飲んでみる.
水温は余り冷たいというわけではないが,軟水でなかなか美味しい水である.
「…なかなか美味しい水ですよ…」
と独り言のように言う.
私以外にも,2~3人の方が試飲する.
江戸時代の人も,ここで喉を潤していたに違いない…そんな感慨に耽る.
<初花清水>
■瓢石
雨は何時の間にか雨具が不要なくらいの小降りになっている.
初花清水を試飲したせいか,気分は上々である.
14時53分,瓢石に到着する.
ここには3基の石塔が並んでいるが,向かって一番右側にあるのが瓢箪の形をした瓢石である.
<瓢石と2基の石塔>
<山中の集落>
■明治天皇山中御小休所
14時55分,瓢石の少し先で,自動車道に合流する.
14時59分,Y字形分岐で右側の裏道に入る.
15時02分,民家の庭先に立っている「明治天皇山中御小休所」と刻字された立派な石塔の前に到着する.
<明治天皇山中御小休所>
■立派な屋敷が建ち並ぶ
山中の集落を歩く.
道路の両側に,白壁の立派な家がゆったりと建ち並んでいる.閑静で素晴らしい環境である.
”良いなあ~…”
思わず羨望のため息が出る.
<山中の集落>
■立派な馬頭観音
15時19分,立派な馬頭観音に到着する.
これほど大きくて立派な馬頭観音は,余り見た記憶がない.見晴の良い絶好の場所に馬頭観音が祀られている.
<立派な馬頭観音>
■斜面の上の明神地蔵
15時24分,道路が左に大きくカーブする場所の斜面を見上げると,立派で大きな地蔵が祀られている.明神地蔵である.
私は地蔵の前の石段を登って,もっと近いところから地蔵の写真を撮りたいなと思ったが,何せこの道路は国道294号線である.結構,自動車が飛ばしている.こんなところを横切ったら,添乗員もヤキモキするたろうと思って,近場から地蔵を撮るのは自粛する.
<国道を見下ろすように明神地蔵が座っている>
■明神地蔵クローズアップ
道路を挟んだ遠いところから,デジカメを望遠にして明神地蔵の写真を撮る.後でこの写真を見ると,地蔵に向かって左側にも坐像が安置されている.この坐像,何だろう?
多分,今の道は昔の山道を掘り下げて拡幅されているだろうから,昔の奥州街道は,多分,明神地蔵と同じ高さの所をと追っていたんだろうと勝手に想像する.
<明神地蔵>
<境の明神>
■境の明神(茨城県)
15時32分.茨城県側の境の明神に到着する.
明神下の駐車場では,専用バスが私たちの到着を待っている.
まずは茨城県側の境の明神を参拝する.
旅行社から頂戴した資料を見ると,茨城県側の境の明神玉津島神社である.明治39年(1906年),火災で社殿が全焼した.現在の建物は明治39年(1908年)に再建したものだという.
<境の明神(茨城県側)>
■県境を越える
茨城県側の境の明神を参拝してから,15時35分,茨城県側から県境を越えて福島県に入る.いよいよ蝦夷地である.
県境は鬱蒼とした木立の中の峠である.
ちなみに,県境案内板の脇にある電光板では,23.3℃という文字が光っている.今の気温だろうか? もしこの数字が正しいなら,もっとずっと涼しいはずだが…
”どうもおかしい? 体感温度と大分ずれているな…”
<いよいよ福島県>
■境の明神(福島県)
15時36分,福島県側の境の明神を参拝する.
旅行社が配布した資料によると,こちら側は住吉神社である.この社殿は昭和57年(1982年)に建立されたものとのこと.
境内に何故か和算の説明板が掲示されている.
<境の明神(福島県側)>
■専用バスに乗車
15時40分,参拝を終える. これで第5回1日目の王州街道歩きは終わりである.
私たちは,再び茨城県側に戻って,15時43分,駐車場で待っている専用バスに乗車する.
専用バスはすぐに発車する.これから白河の関まで専用バスで移動する予定である.
15時43分,私たちを乗せた専用バスは関の明神駐車場を発車する.
<関の明神駐車場>
********************白河関の森公園*********************
<ルート地図>
■境の明神→白河の関
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■白河関の森公園
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※公園の案内板を撮影した
<まずは記念写真>
■白河関跡に到着
私たちを乗せた専用バスは,関の明神から東へ向かって走る.
15時55分,白河関の森公園に到着する.ここは古代の関所跡である)国指定史跡).
白河関跡の前を通る道路は東山道である.
実は長野県作久地方にある私の生家の畑は東山道に面している.今はこの東山道は市の所有になってる.
生家の畑から東山道を辿ると,白河関まで繋がっているかと思うと,なんとなく感激する.
”東山道跡を辿って歩いてみたいな…”
と,とんでもないことを連想する.
<白河関の森公園に到着>
■完歩記念の集合写真
添乗員の誘導で,公園入口近くの広場に集合する.
ここで奥州街道完歩記念の写真を撮るとのことである.
前列に座った人達が大きな垂れ幕を持つ,垂れ幕には「芭蕉・曽良も愛したみちのく奥奥州街道を歩く会全長約80キロ完全踏破」と書いてある.
私も今回で五街道を全部歩いたことになる.
”さて,これからどうしよう…?”
私は先行きを迷いながら写真に収まる.
<完歩記念の衆愚写真>
<公園内を一周>
■白河関跡入口
講師の先導で公園内を一周する.
公園入口には「国史跡白河関跡」と刻字された大きな石柱が立っている.
入口近くに,白河関の由来を説明した案内板がある.
講師の説明によると.「延暦18年(799年),この関に60人の国守が配置された.能因法師など歌枕として多くの和歌に白河関が登場する.寛政12年(1800年),白河藩主松平定信が白河神社関の森を「白河の関跡」と決めて,自筆で「古関蹟」と書いた碑を建てた」という.
公園内で写真を沢山撮ったが,ブログ容量の都合で幾つかを収録するに留める.
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■古関蹟の碑と矢立松
左下の写真が松平定信が建立した古関蹟の碑である.
右下の写真は,源義経が平家追討のため平泉を出発してここで戦勝を祈願して矢を射った松があった所である.
<松平定信の碑> <矢立の松>
■白河神社参拝
参道を進んで,16時05分,白河神社前に到着する.
白河神社の由来は下の写真の通りである.
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■芭蕉「奥の細道」の碑と従二位の杉
空堀や土塁跡を散策した後,16時17分,芭蕉「奥の細道」碑に到着する.碑に書かれている文章は何とか読めそうだが,読んでいる時間がないので,写真を撮っておく.
後で読んでみるつもりだったが,まだ全く読む気になれないでいる.
右下の写真は従二位の杉.鎌倉時代の歌人,従二位藤原家隆が手植えした木だという.樹齢約800年,幹周り5メートルの大木である.
<芭蕉「奥の細道」碑> <従二位の杉>
■旗立の桜と幌掛の楓
左下の写真は旗立ての桜である.近くにある案内板の記事によると,治承4年(1180年),源義経は平家追討の戦勝祈願のためにこの桜に旗を立てたという.
右下の写真は幌掛の楓.源義経が前九年の役で白河を通ったときに,この楓に幌を掛けて休息したという.
<旗立ての桜> <幌掛の楓>
■白河関から白川温泉へ
16時28分,白河関森の公園の見学を終えて駐車場へ戻る.
すぐに専用バスに乗車する.
16時32分,私たちを乗せた専用バスは,芦野温泉に向けて発車する.
芦野温泉では,入浴を楽しんだ後,完歩記念懇親会が開催される予定である.
<白河関駐車場>
(つづく)
つづきの記事
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「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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