<広沼橋付近から富士山が綺麗に見える>
東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(25)
(小田急トラベル)
2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その5)
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第9回第2日目 2月10日(土)(1)
<毘沙門天妙法寺を目指して>
■ホテルで朝食
第1日目,三島駅から東田子の浦駅まで歩いた私達は,沼津グランドホテルに宿泊した。
狭いながらも快適なホテルだが,普段自宅では夜中に使ったことのない暖房が終日入っているために,どうも暑くて寝苦しい。あまりよく眠れないまま,目が覚めてしまう。まだ4時,外は真っ暗である。でも,4時といえば,何時も起床する時間である。そのまま起きあがって,テレビを見ながら,ひたすら時間が経つのを待つ。それでも,6時を過ぎると,辺りが段々と明るくなってくる。
6時30分から,ホテルのレストランで朝食を摂る。バイキング方式。私は,ゆで卵,スープ,食パン,牛乳,リンゴを適当に選んで,朝食にする。
※プリントすると綺麗に見えます。
■東田子の浦から歩き出す
7時25分,沼津グランドホテル前の広場に集合する。そのまま出発。例のエイ、エイ、オーの掛け声は省略である。7時30分にJR沼津駅に到着する。ツアーガイドから乗車券を受け取って,沼津7時30分発東海道本線下り列車に乗車する。列車は結構混雑している。
7時49分,東田子の浦駅に到着する。駅から雪を被った富士山が,とても良く見えている。ただ,残念なのは,富士山の前を沢山の電線が横切っていることである。
8時04分,今度は「エイ、エイ、オー・・」の掛け声とともに,第2日目の旅が始まる。また,昨日の続きの道を,ひたすら西へ向かって歩き続ける。歩き始めて直ぐに,間宿柏原本陣跡を通過する(8時7分)。この間宿がどのような所だったかは全く分からないまま,ドンドンと先へ進む。
8時12分,川の名前は分からないが,狭い川に架かる広沼橋を渡る。進行方向右手,つまり北側には,五合目辺りまで真っ白に雪を被った富士山が良く見えている。なかなか景色の良い所である。
<東田子の浦駅> <東田子の浦駅から見た富士山>
■増田平四郎立像と沼田新田一里塚
8時16分に,増田平四郎の立像の前を通過する。立派な立像である。多分有名な人物なのだろう。でも,浅学の私には,彼が一体誰なのか全く分からない。傍らに建っている案内板を見ている内に,沢山の同行者に,瞬く間に追い越されて,列の一番ビリになってしまう。慌てて読むのを止めて,案内板の写真を撮る。どうやら,増田某は,19世紀の大飢饉や水害から救済するために,大排水路を計画,完成させた人物のようである。
さらに西へ進む。そして,8時17分に,江戸から32番目の沼田新田一里塚跡を通過する。進行方向右側,つまり北側に,相変わらず富士山がとても良く見えている。
8時28分,私達は自動車の往来が激しい富士清水線から,西南西に分岐する旧東海道に入る。道路端に「見よう歩こう富士市の東海道」と書いた柱が建っている。
<間宿柏原本陣跡> <増田平四郎像>
<「増田平四郎とスイホシ」の説明文>
<沼田新田一里塚跡>
■毘沙門天妙法寺で一休み
進行方向左側には,小高い丘が続いている。東側には,大きな製紙工場の敷地が続く。製紙工場から,白くて大きな煙が,絶え間なくモクモクと上っている。その煙の向こうに,富士山が見え隠れする。
8時43分,私達は毘沙門天妙法寺入口に到着する。立派な石段を登って,小高い丘にある境内に入る。小高い丘の上に広場がある。その広場から,さらに石段を登った所に,毘沙門天妙法寺の本堂が建っている。ここで9時05分まで休憩となる。
近日中に,何かお祭りがあるらしくて,本堂下の広場で,沢山の屋台が建設中である。広い境内には,沢山の参拝客が集まっている。
妙法寺には,本堂を始めとして,極彩色の派手な建物が並んでいる。その規模の大きさに圧倒される。
毎年,旧暦1月8日には,達磨市が開催されて,大変賑わうという。そういえば,今,建設中の屋台は,この達磨市の準備なのかもしれない。
<毘沙門天妙法寺>
<製紙工場の煙の向こうに富士山> <左富士(中)吉原の案内杭>
<吉原宿を歩く>
■元吉原宿
9時06分,「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,西へ向けて,再び歩き出す。進行方向右側には,日本製紙の大きな工場が続く。この辺りは,元吉原と呼ばれるところである。
この辺りは,元吉原宿と言われている。最初の吉原宿は,この辺りにあったとわれている。ところが,度々津波の被害があったため,現在の吉原本町駅近くに移動したそうである。
9時34分頃,沼津バイパスのガード下を潜る。無機質な雰囲気の所である。そのガード下に,「(元)吉原宿跡」と書いてある小さな杭が,ひっそりと建ててある。この杭の写真を撮っている内に,また列の最後になってしまう。
ガード下は,絶え間なく通過する自動車の音が,とても煩く反響する。こんな所,何時までも通りたくないと思いながら,列の先頭を目指して,歩く速度を速める。
<左富士(中)吉原の杭> <左富士神社>
■名勝左富士
元吉原宿跡を通過した後,道路は北西に向きを変える。9時34分頃,「名勝左富士(中)吉原宿跡」と書いた杭が立っている。
9時39分,道路の左手にある左富士神社の前を通過する。例によって,慌ただしく写真を撮るが,また列の最後になってしまう。左富士神社の大きな白い鳥居の前で,道路は真北に向きを変える。鳥居から200メートルほど北進した所が,名勝左富士である。江戸から京都までの間で,進行方向左側に富士山が見える唯一の場所である。
9時43分,名勝左富士の説明板の前を通過する。ここも,説明文を読んでいる暇がないので,写真を撮っただけで通過する。道路は北西に向きを変える。その直ぐ先に,「吉原宿跡」と書いた案内柱が建っている。
<左富士の絵>
<左富士の説明文>
■木ノ元公園で休憩
9時51分,平家越碑と東海道標の前を通過する。残念なことに写真を撮り損ねるが,9時53分に,平家越え橋の看板の写真だけは撮る。ここは,和田川の畔に陣取った平家軍が,水鳥の羽音を,源氏の襲来と勘違いして背走したところである。
<平家越え橋> <吉原本町のアーケード街>
道路は再び真西に向きを変える。暫く進むと,だんだんと繁華街らしくなってくる。 9時58分,函南鉄道の本吉原駅側のガードを潜る。私達は,いつの間にか繁華街を歩いている。歩道にはアーケードが連なっている。ただ,どういう訳かシャッターを下ろしている店が多く,通行人も少ないような気がする。
10時07分,「次郎長の常宿」と書いた看板が掛かっている店の前を通過する。その近くに「東海道吉原宿」の案内板が建っている。
<次郎長の常宿> <木ノ元公園で休憩>
10時12分,私達は300年の歴史を持つ鯛屋旅館の前を通って,木ノ元公園に到着する。住宅地に囲まれた小さな公園である。前日の雨のためか,公園の真ん中に,小さな水溜まりが残っている。私達は,ここで,20分ほど休憩を取る。
<吉原宿の案内板>
(つづく)