中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ポーランド訪問記(8) 夕食と夜の散策

2011年07月05日 19時41分20秒 | ポーランド;クラコフ訪問記

       ポーランド訪問記(8) 夕食と夜の散策
             (スケッチ旅行)
     2001年6月16日(土)~6月25日(月)

第2日目;2001年6月17日(日).ワルシャワ滞在2日目(3)

 ワルシャワ市内見学を終えた私達は,15時40分に,FORUMホテルに帰着した.
 私は部屋にはいると,すぐに風呂に入って,下着の洗濯をする.時差が残っているためか,大して歩いたわけでもないのに,何となく全身に疲労感がある.
 洗濯が終わった後,ベッドの上で,ついウトウトとしてしまう.
 いきなり電話が鳴る.電話の主は,Nさんの奥さんである.飛び起きて時計を見る.18時35分である.
 「しまった!」
 実は,18時30分に,皆と待ち合わせて,散歩かたがた夕食を共にすることになっている.すぐ飛び起きて,ロビーへ降りる.既に全員が待っている.
 すぐにタクシーに乗り,新世界通りを北上し,旧市街より少し手前で右折,さらに右折してセントアントニオというレストランに到着する.
 このレストランは,英語が堪能な同行者のHさんが,ホテルのインフォーメーションで,あらかじめ調査していたところである.
 18時53分にレストランの近くに到着する.
 19時05分,レストランに入る.私は,アルコールをあまり嗜まない.したがって,私は,生来,飲み助には,好感を持っていない.ウワバミのように,高価なアルコールを飲んで“割り勘”とは何事だ! 金額の多少ではない.割り勘にする卑しい根性が気に入らない.
 「アルコールの割り勘は断固ダメ!」
と私は強く主張する.そこで,今夜からは,割り勘御法度である.
 まずは飲み物の注文である.私は,アルコール分が比較的少ないトニック(5ズロチ)を注文する.そして,前菜には”Medallions of wild hoar in a much noon-vodka sauce, served with baked potatoes and spinach”(44ズロチ)という訳の分からないコース料理を注文する.
 大きなお皿の真ん中に,青いピーマンや,赤いピーマンの微塵切りを和えたものがチョコンと盛りつけたものである.何という名前か分からないが酸味のあるドレッシングが掛けてある.美味しい.
 メインディッシュは牡蠣を注文する.大きな牡蠣が3個,正三角形に置かれ,その間にほうれん草,ピーマン,ニンジンなどを和えたものが盛りつけられている.とにかく大変なボリュームである.結局,半分一寸だけ食べて,後は残してしまった.
 デザートは苺のアイスクリームである.
 食事をしながら,皆でとりとめもない話を交わす.
 酒好きのF先生は酔うほどに,勤務先での愚痴を繰り返し始める.そろそろ潮時である.
 Hさんが各自の支払い額を計算する.
 アルコールを嗜まないで格安のメニューを選んだ私の支払額はチップを入れて75ズロチ,隣の飲み助,Fさんは125ズロチである.やっぱり!
 「今日はバカに高いな」
とFさんが愚痴を言う.私は,
 「当たり前だ!」
と心の中で返事する.


 21時15分,St Antonioを出る.店の前を左手に少し進むと,2車線の道路に突き当たる.SONYのネオンが,場違いによそよそしく輝いている.そこを左折して少し進むと,右手の薄暗い路地の奥からスラブ調の音楽が聞こえてくる.
 路地に入るには少々勇気が要ったが,路地の中に入ってみる.路地を30~40メートル入ると突き当たりに間口5~6メートルほどの小さなステージがある.ステージの上では,若い女性の歌手が哀調を帯びた歌を歌っている.
 広場の周りには,屋台が何軒か軒を並べている.屋台の前には数名が向かい合って座れるテーブルが何卓か並べられている.日本の田舎の縁日のような雰囲気である.
 路地を出て,ふたたび広い道に戻る.暫く進むと電車道の平和通に出る.薄暗いが広い電車道の歩道を南下する.歩道の所々でお店が開いている.何となくパリのシャンゼリゼ通りを連想させる素敵な雰囲気である.やっぱり,ワルシャワは紛れもなくヨーロッパだなと思う.


 途中で,今日の昼食の代金を精算する.バカ食いした連中との割り勘は腑に落ちないが,割り勘廃止は今夜の夕食からなので,その前の昼食の割り勘には快く応じた.単純平均の67ズロチを幹事に支払う.
 地下道を通り抜けて,22時05分,無事にホテルに帰着する.
 とにかく眠い.
 もう一度,シャワーを浴びようと思ったが面倒である.そのまま就寝することにした. 

 今日一日で,7,100円も出費してしまった.こんな生活をしていたら,たちまちの内に干上がってしまう.明日からは,もっと支出を抑えなければダメだと,固く誓った.
                                          (つづく)

****************<2003年の編集後記>*************************

[編集後記]
 ※2003年に記述したもの

連載再開宣言
 はじめに雑談・・・・ もう,1年近く前(2002年のこと)の話だが・・・・
 前回、この訪問記を第8回までアップしたまま、何となく連載を中断して,1年も経過してしまった.何となく息切れがしていたので,アップする気力が失われていたからである.
 だが、私ごとき、移り気の多い瘋癲じいさん(当時の私のあだ名)にとって、一つのことにじっくり取り組んでいるほどつらいことはない.ついつい、山登りに行ったり、色鉛筆学校へ行ったりしている内に、月日はドンドンと過ぎ去ってしまった.
 つい先日(7月18日,※2003年のこと)も、今、通っている登山学校のインストラクタに連れられて淵野辺にある「ストーマジック」に行って、終日、岩登りの訓練を受けてきた.
 平素、あまり使わない筋肉を使ったので、翌日は何となく筋が突っ張ったような感触が残っている.垂直に近い岩場で小さな足場に「すくっ」と立ち上がれたときの爽快感は何とも形容のしようがない.
 それはともかく、私は、来月早々(2004年)から、しばらく旅行するので(※注:結果的にどこへも行かなかった)、この訪問記も中断することになる.出発までに、もう少し資料を纏めておきたいと思い始めている.
 今週で、勤務先も夏休みに入る.これを機会に、いろいろやっておきたかったことも片付けてしまいたい・・・・フォーラムの皆様との箱根オフミを含めて・・・
 (※以上は,昨年(2002年),夏頃,書き残したものである.)

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 ・・・・・と,ここまで書いてから今日まで,瞬く間に半年以上の月日が過ぎ去った.
 その間に,私は無事キリマンジャロ登山を済ませた.北アルプスや南アルプスの山々もいくつか登った.八ヶ岳連峰の冬山へも登った.そして,振り返ってみると,2003年1年間に,延べ180日以上も山の中を彷徨っていた.つまり,1年を通じて,勤務先か,山か,どちらかへ,ほとんど毎日通っていた勘定になる.
 その傍ら,一昨年の秋から,私は近ツリ横浜主催の3年間で卒業できる「山旅スクール」という登山学校に通い始めた.そして,1年目は無事皆勤し,現在,2年目を過ごしている.そして,今では「モンブランに登りたい」という途方もなく見果てぬ夢を追っている(注:この夢は2005年に達成した).
 そのためか,年甲斐もなく重登山靴に,12本爪のアイゼンとピッケル姿で,敢然と冬山へチャレンジしている・・・・まるでバカ丸出し,まあ,腐ったドンキホーテといった存在に成り果てている.
 そんな毎日を繰り返している内に,何時しか平素目を通す雑誌にも変化が出始めた.もとより,自分の専門分野の雑誌や文献も「ちらり,ちらり」とは見ている.だが,今では断然山関係の雑誌や文献に興味を奪われている.そして,今や月刊誌『山と渓谷』が最大の愛読誌になってしまった.
 この雑誌の異名は『山と広告』というらしい.とにかくこの雑誌には沢山の広告が出ている.その広告の中で登山用の新商品を見つけると,無性に手に入れたくなるから困ったものである.挙げ句の果てに,私は小遣いの大半を登山用品に費やすという“瘋癲山ぼけ爺”になり果ててしまっている.
 ところが,“山ぼけ”には“山ぼけ”に相応しい同行者が集まってくるから,この世は不思議である.いつの間にか,瘋癲山ぼけ爺の回りに,山好きの老若男女が10名ほども集まるようになった(現在の湘南カラビナ隊の前身).そして山の話ばかりしている.そこで私は,このフォーラムの鎌倉オフミでおなじみの「忍者」(現在の「仙人」)をそそのかして,仲間に巻き込んだ.これらの物好き達と一緒に,暇さえあれば,あちこちの山旅を頻繁に楽しみながら過ごすのが,このごろの私のライフスタイルである.
 さて,そうこうしている内に,フォーラム連載のN幹事長著作の「トルコ訪問記」も,いよいよフィナーレを迎えようとしている.一方,私のポーランド訪問記は,ここ半年あまり凍結したままである.さすがに,これはもう,いくら瘋癲でも,凍結したままでは見過ごせない.N幹事長は,自らの背中を鉄筋入りにしながらも,フォーラムで,ただ一人頑張って居られる.まことに感銘すべき大挙である.
 それに較べたら,頭がスカスカになったほかには,どこといって痛い所もない私が,相変わらず,ぐうたらとバカ食いをしながら,何もしないで,いたずらに馬齢を重ねているのは恥ずべきことである.本当に,我ながら情けない.
 これは,どう考えても,なんともまずいことで,このままでは,歪んだ腹の虫が治まらない.
 まあ・・・そんなわけで,このポーランド訪問記も,長い間,放置していたが,何とかしなければ・・・と,痛く思い始めた.とはいえ,第一,こんなに間をあけた「おさらば」状態のポーランド訪問記に対して,誰からも文句は出ないし,ましてや「もっと書き続けよと」も言われていない.相手にされないのは,内心,これまた寂しいことではあるが,だからといって,今更,続編を再開する必然性は全くない,,,,,そうなると,そこは「へそ曲がり」瘋癲である.何といっても,瘋癲の心の奥底に巣食っている斜めな根性が黙っちゃいない.俄然,“意地でも書いてやるぞ”と,勝手に闘争心(誰に対して?)を煽り立てて,めらめらと燃え上がっているのである.
 という訳で,ここにポーランド訪問記の再開宣言をする次第である.
 またもや,こんな「へそ曲がり」の瘋癲老人の回想録に付き合わされる皆様には,何とも大変お気の毒なことである.だが幸いなことに,この瘋癲老人は古希をとうに越えた高齢である.だから彼のローソクの残りは,大方の皆様に比較すれば,哀れなほど短いに違いない.何時,そよかぜに流されて,「ふと」消えてしまうとも限らない.
 瘋癲老人の私より若い「ミスター」(巨人の長島さんのこと)が,3月4日に,突如,脳溢血で倒れた.だから,私の身にも,何時,何が起きるか分からない.でも,それならば,それで,それは仏が与えたくれた「不運」というべきであろう.だから,まあ私の命のローソクが弱く細々と点っている間は,この押しつけがましい雑文に,おつき合い願いたいのである.
 今は,とにかく,そそくさと,このポーランド訪問記を終えて,一日も早く「キリマンジャロ漫遊記」と行きたい心情である(注:すでにこのブログで紹介済み).とにもかくにも,今の内に,折角の記録を何とか纏めておかないと,気が収まらなくなってきた.
 という訳で,今回はとりあえず再開宣言だけで終わる.
 では,次回から・・・ 
                                      (昔書いた愚痴おわり)

「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ecd3cae6eeddfb16a1b0bee08c6d307d
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3c4bcbe5272e7debcee6bf3261e17ea5 


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[編集後記]

2011年7月5日(火)
 晴

 丹沢塔ノ岳へ行こうかと思って,4時に起床する・・・が,天気予報では,どうやら午前中は雨のようである.外も見ると,どんよりとした曇り空である.夜中に雨が降ったらしく,路面が濡れている.いくら山へ行きたいと言っても,わざわざ雨の中を登る気はしない.私は今日の所は塔ノ岳詣でを諦める.
 ところが天気予報が良い方に外れた.雨のはずだが,実際は,大空さえ見え始める.残念だが仕方がない.
 早朝から,近くの森で,バカなハトが,
 「デデ ホワッパパッ,デデ ホワッパパッ,・・・」
とすっとぼけた声で啼いている.
 ぽっかり空いた午前中.私はこのところ放り出していた雑務を一生懸命こなす.そうこうしているうちに,瞬く間に午前中が終わる.
 昼食後,久々に散髪でもしようかと,丸山の尾根にある我が家から深沢へ下る.
 テレビでは,今日も熊谷などでは35℃を越える猛暑が続いているようだ.でも,幸いなことに,鎌倉では海風が適当に吹いているので,ほとんど暑さは感じない.むしろ爽やかで心地よい気候である.
 15分ほどで深沢の商店街に到着する.でも,肝心の床屋は火曜の定休日.うっかりした.
 「それでは・・」
ということで,私が勝手に「タモリ」と読んでいる喫茶店に入る.この店には,週に1度程度通っている.店に入り,備え付けの週刊誌を2冊ほどもって客席に着く.そして400円也のブレンドコーヒーを注文する.
 ここのコーヒーの特徴は,とにかくコーヒーが熱々なことである.かなり肉厚のコーヒーカップに並々とコーヒーが入っている.かなりユックリとコーヒーを飲んでいても,熱々のままのコーヒーが味わえるのがよい.
 1杯のコーヒーで,小一時間過ごす.
 ついで,道路を挟んで反対側にある某靴屋チェーン店に入る.トレッキングシューズのコーナーで何となく立ち止まる.
 靴屋を出て,梶原方面を一回り.特にどこということもなく,約1万歩ほど歩いて,16時頃帰宅する.
 何気なくテレビを点ける.丁度,水戸黄門が始まる.話の筋は分かっているが,何となく全部見てしまう.続いてニュース・・・・食卓で冷たいお茶を飲んでいる内に,まもなく夕食.
 一体私は,貴重な今日の一日,何をしていたのだろうか.勿体ない.

                                    (愚痴おわり)



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