ポーランド訪問記(19):アウシュビッツ寸景(1)
(スケッチ旅行)
2001年6月16日(土)~6月25日(月)
2001年6月20日(水).第5日目.クラコフ3日目
■殺人ガスが入っていた空き缶の山
このブログ記事を復刻編集していても,おぞましい情景が脳裏に蘇る.山積みにされている空き缶の中にどれだけの殺人ガスが入っていたのか知るよしもないが,とにかくもの凄い人数の人たちがここで殺された.
殺された人たちには,何の罪もないのに・・・
■人骨が入った展示
逆三角錐のガラス製の入れ物に死体を焼却した後の灰入れられている.見ているだけで怖気が走る.
■収容所の居室
殺人工場で,殺されるのを待っている間の居室.板敷きの床にわらが敷き詰められている.まるで家畜以下の扱いである.
■殺した女性の髪の毛と,その髪の毛で編んだ布
こんな展示を見ていると,涙が出てくる.なんでこんなに無神経に布など編むことが出来たのだろう.よくまあ,平気でこんなむごいことをしたものだ.
冷徹なドイツ人魂を見せつけられたような気がする.ドイツ人か怖くなる.
■ガス室の内部
窓のない真っ暗な部屋.天井から毒ガスが噴射された.
何も知らされずに,このガス室に押し込められた人たち.天井から殺人ガスが流れてくる.悔しさと絶望の呻き声が聞こえてくるような気がする.
■処刑台
1947年4月16日,ここでヘスが処刑された.
■殺戮の壁
この壁の前で約5000人のポーランド人が殺された.
ポーランド人として生を受けたこと自体が犯罪と見なされた.
両側の壁にはサイレンサーが取り付けられ,窓にはブラインドが付けられていた.
ここは公開処刑所であった.
■牢獄(立ち牢)
この牢獄は地下にある.
50×50センチメートルほどの広さで,高さ2メートルほどの窓のない真っ暗な空間.下に小さな扉がある.中からは空けられない.ここに裸にされたユダヤ人が4人ずつ,立ったまま押し込められた.やがて彼らは窒息死する.
地下には28カ所の独房があった.ここで初めて毒ガスを使った処刑が執行された.コルド神父はここで処刑された.
■焼却炉
虐殺された遺体は,焼却炉で効率的に消却された.
■収容所の町並み
ポプラ並木が見事である.
収容所ができた頃は,この見事なポプラも,せいぜい人の身長ほどの高さだったという.今はあれから幾星霜.大きく育っている.
整然とした見通しの良い町並みである.しかし,要所,要所に監視棟があって,厳重に監視されていた.不振な行動をとるものは,即,銃殺された.
見学したときの資料を見ていると,万感の思いが込み上げてくる.よくもまあ,こんなおぞましいことを平気でやったものだ.人間の持つ“業(ごう)”.
私は悲しみをこらえながら,この記事を編集している.
(つづく)
「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/584e6422933529e663c8db40151d11b2
「ポーランド訪問記」「の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2d0e9cfb0d2c45a5f96c611a012fbf15
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[編集後記]
2011年8月1日(月) 曇後晴
相変わらず蒸し暑いとはいえ,曇りがちの天気なので,暑さはいくらか和らいでいる.あと2~3日の間に,塔ノ岳に出掛けるとして,今日の午前中は雑務を積極的に片付けることにする.そして,いよいよ明日辺りから,この間のツールドモンブランの記事のブログ連載に着手しようかと思っている.
ツールドモンブランのトレッキング中に,足が攣ってしまい困っていた女性に,私が何時も持ち歩いている「つむら68」を提供した.この方が,そのお礼にと,わざわざ私宛にビール券を送ってきた.大変有り難く,申し訳なく思うが,一方では,正直な所,
「わざわざ,面倒なことをしなくても良いのに・・」
とも思っている.
贈り物を頂戴した以上,お礼の手紙を書かなければならない.これが何日も私を苦しめるのである.
ブログの記事のように,手前勝手に書き殴っている分には何の苦労もないが,礼状を書くとなると,とにかく緊張してしまい,なかなか文章が書けない.それに便せん,封筒,切手と,この頃,全くといって良いほど使わなくなってしまった文房具類を,大船あるいは鎌倉まで出掛けて仕入れてこなければならない.そして,お礼の文章を作るのに2~3日,ウンウンと唸らなければならない.これが塔ノ岳に登ること以上に私を悩ませる.
「どうしよう・・?」
滑稽に見えるかも知れないが,私は,正直な所,今,悩んでいる.
皆さん,どうぞ私に手紙や品物を送らないでください.礼状を書かなければのトラウマに悩まされます.どうぞ,一番有り難いんです.
午後から野暮用があって藤沢へ出る.
藤沢までは,陽気が良いときならば,ブラブラと散歩をするのに丁度良い距離だが,今日はさすがに蒸し暑いので,歩く気にならない.そこで,我が家から山を下って,バス停深沢まで降りる.そして,深沢から江ノ電バスの「こまわり君」という愛称に小さなバスに乗ってしまう.
ヤボ用を終えて,JR大船駅経由で帰宅するが,駅の階段を登るのだけでシンドイ.
この所,体力が落ちたなとツクヅク感じている.
・・・・で,久々にアウシュビッツの記事を編集していると,見学したときのことを鮮明に思い出してしまう.悲しくなって,何もする気にならなくなる.
私は,某学会で「絆とICTの関係」について,研究発表をするように依頼されている.発表は9月.そろそろ発表内容の枠組みを整理しなければならないので,実は焦っている.でも,このアウシュビッツの資料を見ていると,悲しみが込み上げてきて,何もする気にならない.
どうしよう・・
(愚痴おわり)
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