ポーランド訪問記(17):アウシュビッツに到着
(スケッチ旅行)
2001年6月16日(土)~6月25日
2001年6月20日(水).第5日目.クラコフ3日目
いよいよアウシュビッツを訪問する日である.
またもや,早朝,3時40分に,目が覚めてしまう.目が覚めたついでに,トイレへ行く.この旅行では,最初からどうも通じが悪くて往生している.例によって,サドラックを飲む.窓から外を覗いてみる.相変わらず霧雨が降り続いている.通りに面した店のショーウインドウには照明が点っているので,外は意外に明るい.歩道の石畳が夜露に濡れて,ところどころに水たまりができている.白黒の斑猫が,のそのそと通りを歩いている.広場近くで数名の若い男性がはしゃぎ回っている.
5時にシャワーを浴びる.昨夜服用したサドラックが利いたのか,どうやら通じがある.これでお腹の調子が大分良くなる.水を流すと,例によって排水溝が大音響を立てる.まだまだ時間がある.明日,コンファレンスで発表する資料を取りだして,プレゼンテーションの練習を繰り返す.その結果,どうも発表資料が多すぎるように思えるので,3分の1ほど画面を削除して,全体を見直す.
6時,朝食のために隣のビルにあるレストランへ向かう.バイキング方式である.ただ,用意されているメニューは貧弱で,昨日と同じである.トマト,ハム,チーズ,キュウリ,牛乳,ゆで卵,ヨーグルト,コーヒーで朝食を済ませる.私が朝食を食べ始めて暫くすると,同行者がつぎつぎにレストランに現れる.
8時丁度に,参加者5人は,電車通りでタクシーを拾う.運転手は一見して温厚な人柄なことは分かるが,英語が殆ど通じない.お互いにボデーランゲージと英単語を併用しながら,なんとかコミュニケーションを図る.走り始めて,ものの10分も経たない内に,田園地帯の真っ直中を車は走る.一面に牧場が広がる.タクシーは,歩道のない2車線の道を,もの凄いスピードで走る.どうも怖いので,シートベルトをシッカリと締める.いくつかの集落を通過する.一見して貧しいという印象を受ける.
やがて,8時45分,車は丘陵地帯に入る.道の両側には森林が延々と続く.そして,8時48分,行く手の視界が急に開ける.道の両側に歩道が付くようになる.さらに,信号機が付いている.何という町か分からないが,ちょっとした市街地が続く.8時53分,三叉路を左折する.車は林の中を通過する.タクシーのラジオがうるさく鳴り続ける.相変わらず何台もの車を追い抜きながら,猛スピードで走り続ける.
9時丁度に,鉄道の踏切を通過する.複線の線路が続いている.そして,9時05分,広い駐車場に到着した.
いよいよアウシュビッツ見学が始まる.
私達は,『地球の歩き方』で紹介されているガイドの中村さんと落ち合う.中村さんの案内で,アウシュビッツとビルゲナウを見学する予定である.
中村さんの案内で,アウシュビッツの入口に立つ.
入口のアーチには「働けば自由になる(Albeit Macht Free)」と書いてある.なんとも空しい標語である.この門を潜って生還できた人は皆無に近いのに・・・・
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私達はアウシュビッツを見学して,激しいショックを受けた.
このブログで,もう少し書き続けたいが,今,あの見学したときのことを思い出すと,気が滅入ってしまい,これ以上書き進める気にならない.
第2時世界大戦当時の5年間に600万人のユダヤ人などが殺戮された.その内,150万人が,この殺人工場で殺された.ここで,数々の遺品を見ていると,胸が詰まる.ここは,全ヨーロッパのユダヤ人を根こそぎ殺人しようとした所である.
ここを見学していると,ドイツ人の国民性の根元を垣間見たような気がした.彼らは,良きにつけ,悪しきにつけ,計画的,科学的,組織的だなとつくづく思う.それに,いかにも陰湿である.
数ヶ月前に,ベトナムの戦争記念館を見学したことがある.こちらでは身の毛がよだつような恐ろしい殺人器具がたくさん陳列してあった.こちらは,なんとなく,あっけらかんとしていて,具体的,即物的であった.
何れにしても,戦争は凄惨である.アウシュビッツの様子は,次回から少しずつ紹介することにしよう.
(つづく)
「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/58e775d385696f6c337c67015f79e50b
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/584e6422933529e663c8db40151d11b2
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[編集後記]
2011年7月27日(水) 曇
■時差ボケが治らない
朝からドンヨリとした天気である.
私は,雨が降らない限り,今日こそ塔ノ岳に出掛けようと思っていた.そのつもりで,昨夜から塔ノ岳へ行く準備をしていた.しかし,午前4時に起床することができなかったので,またもや行き損なってしまった.
ツールドモンブランから帰国して,早,3日目になるが,未だに時差ボケが取れない.昨夜も21時に就寝したが,23時頃目が覚めてしまい,その後数時間はどうしても眠れない.その内に明け方になって,ついつい熟睡してしまい,気がついたら6時を過ぎていた.もう,丹沢へは行けない時間である.
「年を取ると,時差ボケに弱くなるのかな?・・・でも,こんなぐうたらしていたら,たちまちのうちにブロイラーになっちゃうな・・」
私は焦り始めている.もっとも,余り根拠のない屁理屈かもしれないが・・・とはいえ,この時差ボケ,早く何とかしなければ駄目だ.
■姉の詩集
ツールドモンブラントレッキングに出掛けている間に,私の故郷,信州に住む姉から詩集が送られてくる.ここ数年来,姉は難病と闘っている.姉は医師だが,同時に俳人でもある.
病魔と闘いながら詠んだ俳句には,研ぎ澄まされたような“気”を感じる.
俳句一首は,たった17文字に過ぎないが,その奥には言葉では言い尽くせない情景や感情が隠されていることを,姉の句を読んで始めて実感している.
私は,姉の俳句で,とても勇気づけられている.
姉は俳句を通じて,自分の思いを吐露している.ならば,弟の私は水彩画を通じて,自分の思いを率直に表現してみたい.私は姉に追われるように,“何かしなければ・・”と焦りはじめている.
(愚痴おわり)
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