中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ポーランド訪問記(13);クラコフ;ヴァヴェル城見学

2011年07月14日 05時07分21秒 | ポーランド;クラコフ訪問記

     ポーランド訪問記(13);クラコフ;ヴァヴェル城見学
             (スケッチ旅行)
       2001年6月16日(土)~6月25日

第3日目;2001年6月18日(火).クラコフ滞在2日目
(つづき).

 8時15分頃.私は自分の部屋を出て,ロビーへ降りる.
 フロントで,TC50ドルを現地通貨ズロチに換金する.換金レートは,
     1US$=3.6971ズロチ
である.ワルシャワ空港で換金したレートより,ドルがずっと有利なレートである.
 8時30分,同行のF先生,N夫妻もロビーへ降りてくる.S先生は終日部屋に籠もってお勉強のようである.
 8時35分,全員が揃ったので,取りあえずはホテルを出て,ブラブラ歩きを開始する.頼りはホテルフロントに置いてあった観光案内と『地球の歩き方』だけである.取りあえずは,『地球の歩き方』で「一番美しい通り」と紹介されているホテル近くのカノニオッザ通り(Kanonioza)へ行ってみる.

 8時42分,カノニオッザ通りの入口に着く.道幅が5メートルほどの裏路地のような所である.3階建ての古い家屋が並んでいる.どうしてここが一番美しい通りか理解できないが,少々乱雑な建物が並んでいるという印象である.
 この通りを抜けて,8時50分にヴァヴェル城(Zamek kroleweski na Wawel)の城門へ登る坂に到着する.ユックリと4分ほど掛けて坂道を上り詰めると,いよいよヴァヴェル城である.
 坂を登る右手にはクラコフ市街が見下ろせる.左手には煉瓦作りの高い城壁が続く.城の中に入る.広い中庭を半分囲むように大きな建物が「ヨ」の字形に並んでいる.この城はどんな曰く因縁があるのか良く分からない.『地球の歩き方』にも,歴代ポーランド王の居城としか説明がない.
 入口近くにポーランドの英雄,タテウシコンチェンコ像(Pomnik T.Kosciuszki)が建っている.その近くで,子供達の集団がワイワイと騒ぎながら私達を追い越していく.
  城の中に入る.すぐ左側に大聖堂が聳えている.中に入るのは恐れ多いような気がして,入口から中を一寸覗くだけで終わりにする.その先の広場の奥にヴァヴェル城王宮の建物が聳えている.中に入りたいが,入館チケットをどこで購入したらよいか分からずウロウロとする.


 丁度そのとき,通りすがりの若い日本人女性が,
 「チケットはあちらの建物で売っていますよ・・・」
と広場の反対側の小さな建物を指さしながら教えてくれる.
 立ち話をすると,この女性,全くの一人旅のようである.
 「すごいな~ぁ・・・」
と思う.

<バベル城のチケット>

 教えられた建物へ行って入場券を購入する.入場料は1人12ズロチである.ついでにトイレに行く.トイレに入るのに1ズロチ取られる.


 王宮の中に入る.何人か見物客が集まると係員が案内してくれる.説明はポーランド語チームと英語チームに分かれて行われる.日本語の説明はないので,やむなく私達は英語のチームに入る.そして20人ほどの白人の連中と一緒に,博物館内を回ることになる.
 中には凄い絵画や彫刻がドッサリと飾ってある.近くでは子供達の集団が見学している.子供達が目を輝かせながら説明を聞いている.私達の英語チームにはドイツ語を話す人たちが混じっている.多数の白人の中に,日本人が4人だけ混じっているので,何となく目立つ.
 若い白人の女性が説明を続ける.英語のヒアリングは苦手である.それにポーランドの歴史を勉強していないので,肝心の説明がチンプンカンプンである.おぼろげながら聞いていると,これらのコレクションは15世紀の昔まで遡るらしい.
 手許には見学しながら筆記したメモが数枚残っている.しかし,ここで穿り返しても面白くもなかろう.とにかく圧倒されるほどの素晴らしい美術品が山のように陳列されている.ポーランドを訪れたら必見の場所である.


  11時35分,美術館から外に出る.
 地図を頼りに,広い道路を南下してデルニタ通りを横断する.にわかに雨が降り出す.Nさん夫妻はコーモリを持参している.F先生と私は雨具を持っていない.とりあえずは,行きずりの果物屋の軒先で雨宿りをする.
 その内に,F先生は近くの雑貨屋でコーモリを購入する.
 雨が小やみになったので,ふたたび今来た通りを南下する.そしてユダヤ人居住区に入る.地図を見ながらデタラメ歩きをして,小さな広場に出る.
 地図によるとボルニカ広場(Wolnica Square)というらしい.この広場に面して,”KLIMAT CAFE”という小さなレストランがあるのを見つける.
 12時35分,このレストランに入る.店内は10人も座れば一杯になるほどの小さな店である.夫婦で経営しているらしい.5~6才の可愛い女の子も居る.私はNoodle in Bolognas Sauce,10ズロチとリプトン紅茶を注文する.
      

 お酒が好きなF先生はアルコールを所望する.料理ができるまでの間に,Nさんが鶴の折り紙を作り,この女の子に渡す.女の子は,
 「お母さん,こんなの作ってもらったよ」(と,言っているのだろう)
と言いながら,母親に見せる.とても喜んでいる.
 テーブルの真ん中にローソクの灯りが点っている.店の中には,真空管式のラジオが置いてある.元ラジオマニアの私は,真空管にとても興味がある.
 出てきた料理はスパゲティ風うどんである.大きなお皿に茹でたうどんが乗せてある.その上から挽肉やチーズが振りかけてある.少々しょっぱいが普通の味である.大きなカップにタップリのお湯を入れたリプトン紅茶は,いつもの味だった.
                                   (つづく)

「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/34db59051337a6989718afe6bcb9124e
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/130f7d9faa9f0e7cb6ee8b0ca0950e4f


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[編集後記]

2011年7月13日(水)
 晴.猛暑

 昨日,炎天下の塔ノ岳を往復したばかりなので,翌日の今日は,午前中ぐらい家にいてユックリいようと思う.
 朝食後,自室の机に向かって,さてどうしようかと思っていると,いきなり私宛の固定電話
が架かってくる.ここ数年,私は携帯メール,PCメール,および携帯電話だけで,外部との情報交換の99パーセントを行っている.従って,固定電話に架かってくる電話のほとんどは碌でもない用事である・・・全部,碌でもないとは言わないが.

 家内が不審そうな顔をして,
 「電話よ・・」
と私に受話器を渡す.
 電話の向こうは手慣れた調子の語り口で話す女性である.
 「・・もし,もし,・・・・FHさんえすか? こちら○×新聞です.ご覧になったことありますでしょうか.」
 ○×新聞は,まあ有名な経済系の新聞である.
 「はあ,・・・まあ,購読したことはありませんが,もちろん読んだことがあります・・・」
 すると,先日開催された鎌倉美術展で私の絵を見た.素晴らしい絵だったと,くどい話を始める.私は焦れて,話を遮って,
 「・・・・で,ご用件は何でしょうか・・?」
と伺う.すると,
 「実は美術展の特集を組むことになりました.全部で20何コマ(正確な数字は聞いてすぐ忘れた)あります.総天然色で,皆様の絵を掲載したいと思います」
 私は,すぐに事情を察する.
 「要するに,掲載料が有料と言うことですか・・・?」
 「はい,・・1コマの掲載料は・・・」
ここで,話を遮って,
 「私は,お金を払ってまで自分の絵をPRしたいとは思いませんので,失礼します・・」
と電話を途中で切る.私は心の中で,
 「掲載するんなら,逆に原稿料を払え・・!」
と新聞社に言いたい.
 ても,電話を切った後で,せめて料金だけでも聞いておけば良かったなと思う.
 新聞にとって,広告料が重要な経営資源であることは重々分かっているが,私ごとき駆け出しの好事家まで商売の対象になるとは恐れ入った.
 思い起こせば,現役時代,やれ県民特集だ,○×高校の同窓会特集だ,××県民名簿だと,次から次へと広告の勧誘があった.これらの大半が大手の有名新聞だった.
 それはそうと,今週土曜日から旅に出る.旅の最中も,習慣としてのブログ記事は描き続けたいと思っている.ただし,PCを持参するつもりはないので,現地ホテルのPCから入力することになる.多分,日本語では無理かな・・・ん,ならいっそのことノートPCを持参市場かな.でも面倒だなと,迷っている.
                                  (愚痴おわり)




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